嫁の里に・・・依頼のお茶を持って行って来た。
今日は、甥っ子も東京から帰って来ていた・・・立派に成っている。今は営業を行っているとの事・・・・・頑張っている。
里の、義兄は・・・誰も家を継ぐ者が居ないと嘆いでいたが・・・之も、現代の風潮かも知れない。
私の、母も、バカな子供が必要と言っていた・・・・親として、背中を掻いてくれる子も必要・・・之が、現代の風潮を知っている母の、口癖だった。
頭が良い、優秀な子供は、如何しても現在の価値観なら、都会に向かう・・・・高給を頂ける場所へと向かうのは仕方が無い。
しかし、バカなら、当然、地元に残る確率が高くなる。
私は、母の言っていたことも正しいと思い、バカな子供も必要と・・・思っていたら・・・今では四人の馬鹿な息子が居る事に成る。
しかし、親の背中を掻く事より・・・脛を齧り取って行く方が強いと私は感じている。
勿論、育て方の問題で、私の責任に成る。
しかし、四男の先輩が亡くなったと、昨日四男が言っていたが・・・今日の新聞に載っていた。26歳・・私の場合、親の気持ちで考えてしまう。
若し、一人っ子で、親として一所懸命に育てた、結果が、死・・・色んな、期待や夢も一瞬に無くなる。
色々な世話をしてきた。それも未来・将来に期待する部分が有ったからだと思う。
他人なら、遠に諦め・・放置していても良い・・状態でも親は、微かな期待や夢に、全精力をかける。
この期待に、応える事が出来ず、亡くなった、若者も無念と思う・・・
親の気持ちを察すると、無念さの度合いも大きいと思う。
勿論、現代・・・交通事故で死ぬ・・・一時は二万人に迫る勢いが有った。
生きていれば、死ぬ事は当然と言う事に成る。
寿命を全う出来る人も居るが・・・出来ない人も居る・・寿命半ばで亡くなる人も当然、多々居ると思う。
子供の数も、この生存率の問題と、バランスさせなければ、その種は淘汰される。
生物的に、弱い立場、又は社会的に弱い立場は、当然、沢山の子供を必要とする。
この部分も自然の摂理だと私は考えている。
五人の子育て中に・・・多々の、若者が死の話を聞いた。他人事でない・・・偶然に、生き残っているとも思える。
生きているだけでも、将来が有るし、未来に期待を持てる。之だけでも幸せと言う事に成る。
2019年4月29日月曜日
親族が・・・・
父方の親族が、二日に来訪との事・・・・
父から見て、従兄弟にあたる。
私の祖父も宮崎は小尾で商売を行っていた・・・兄弟も同じで、日南で商売を行っていた。
私の伯父も日南で生まれ、成人し・・・最後は赤紙で妻を残して戦地へ・・・出征は戸籍の場所の、私が今住む、柳川の地の、蒲池駅から出征している。
私の父も・・・終戦まで、宮崎は小尾で生活し・・・戦死が解った、祖父は・・商売を見切り・・・伯父の妻の将来の目度を付けて・・・幼い父と共に、宮崎を後にしている。
その後・・・祖母の親が商売を行っている・・・熊本は芦北で・・・終戦後、老後をユックリ、子育てをしながら暮らそうと考えていたらしい・・・
父は、芦北の小学校に入学・・・昔だから、許嫁も居た様だだが・・・この歴史だったら私は生まれていない。
一気に、日本国が変る、怒涛の流れが始まる。
農地開放政策が決まり・・・先祖が残した・・・祖父の先祖・祖母の先祖・・この両方が、柳川に有ると・・・長兄で有った、祖父が・・・故郷に帰る事に成る。
しかし、時すでに遅して・・・何もかも無くす方向に成るし、農地解放から間逃れた、山林だけが有る状態だったが・・・祖母の先祖の土地が有った為と思うが、国に対して裁判を起こし・・・費用の工面の為に、山林を処分する事に成った様だ・・・
この様な状況なので・・・父が、我儘で、喧嘩速い性格に成るのも解る気がする。
又、苦労と言う部分も、幼い頃、芦北でモーターボートを浮かべて、それに乗り遊んでいた。この様な生活が基本なら・・・全てが貧しいと思うのも仕方が無いと思う。
この様な、家の歴史・・・当然、父から聞いた事は、無い・・・父は貧しかったとしか言わない・・・
全て、父方の親族から教わった部分に成る。
嫁との新婚旅行も、この歴史調べて、場所を決めたくらい・・・・
数年前、義理に成る・・・父の姉・・・伯父の妻だった人が無くなった。その時に、祖父母等の戸籍謄本が居るとの事で、祖父母の戸籍を確認したら。
祖父母は従妹同士だった・・・祖母の実家の地元の財産、全てを、持参金として祖父が受け取る形に成っている事が、予想できた。その為に、裁判を起こした事も解る気がする。
祖母の父が凄い商売人だったらしい・・・・地元に家を新築してそれを新婚の、祖父母に与えている。しかし、商売の魅力が強かったのか・・・祖父母も商売の為に、宮崎に行っている様だ・・・
金や土地等々の財産がある為の・・・苦悩を教わる事が、子供の頃に出来たことに感謝している。
勿論、知らない事が多々ある。地元でわかる部分は、戦後・・・農地解放令以後の部分に成る。
それより、過去の部分は、祖父方の親族でも、宮崎や芦北・阿久根・泉・・この地域の人達に尋ねるしか方法がない。
唯、解る部分は・・・〇・〇家の先祖が略、全て、今住むこの地に居た事だし、眠っている事に成る。
祖父母も、結果として、この部分の責任を果たす為に、この地に戻ったと私は考えている。
要は、墓守の為に、戻ってきている。
しかし、この様な歴史お考えると・・・・今、この地に〇〇家の血を継いでいる、者が今では二人・・・・あと一人は娘しか儲ける事が出来なかった。
結果、この歴史を繋げる、立場は私だけに成る。
裏の伯父さん宅と言わる、大きな家も、今後、一人しか居ないし、その方も高齢で施設生活・・・・後は弟さんと言っても、生きておられれば高齢だし、その子は私と同じ年の男・・・・しかし、阿具根で商売をされているので、この地の管理は無理だと思う。
一族の歴史を繋げる事が難しくなっている。
明治維新後の苗字で氏が解る事も現代では難しい・・・関係者でも氏を名乗る事が出来た・・・
勿論、現代で、墓守を使命と考える人は少ないと思う。
しかし、歴史の継承をするのも後継者の責任だと私は考えている。
我が地域で、殿様と言われていた、商売人が、私の曽祖父の丁稚だったらしい・・・その人から、二十歳の頃に、私がその曽祖父に、〇〇家の血を引く者で、一番似ていると言って居られた。
その人も、今は亡くなれ・・・全然、別の〇〇家から入れた婿養子が、後を継いでいる。
この様な事を、見ていると・・・・最後まで継承できる部分は、墓しかない様な気がする。
形あるものは、全て土に還ると言われる。勿論、墓も同じだと思うが・・・最後の最後だと私は考えている。
日々の生活に奮闘する・・・之が一番、幸せだと私は考えている。
余裕が、結果として、人の我欲を含まらせるし・・・それが争いの元に成る。
祖父が商売の目度を決めた、理由にもこの部分が有ったと思う・・・しかし、立場的に欲が先行した、欲も責任と義務から出る場合が有ると言う事・・・
私も、色々学び・・人として成長しなければと思っている。
生きた証が、この部分だと私は考えている。当然、後継者を創る。残す、之も有る。
今日は、昼から、嫁の里の、義母の依頼・・・お茶を仕入れに・・・八女方面に行く事に成っている。
父から見て、従兄弟にあたる。
私の祖父も宮崎は小尾で商売を行っていた・・・兄弟も同じで、日南で商売を行っていた。
私の伯父も日南で生まれ、成人し・・・最後は赤紙で妻を残して戦地へ・・・出征は戸籍の場所の、私が今住む、柳川の地の、蒲池駅から出征している。
私の父も・・・終戦まで、宮崎は小尾で生活し・・・戦死が解った、祖父は・・商売を見切り・・・伯父の妻の将来の目度を付けて・・・幼い父と共に、宮崎を後にしている。
その後・・・祖母の親が商売を行っている・・・熊本は芦北で・・・終戦後、老後をユックリ、子育てをしながら暮らそうと考えていたらしい・・・
父は、芦北の小学校に入学・・・昔だから、許嫁も居た様だだが・・・この歴史だったら私は生まれていない。
一気に、日本国が変る、怒涛の流れが始まる。
農地開放政策が決まり・・・先祖が残した・・・祖父の先祖・祖母の先祖・・この両方が、柳川に有ると・・・長兄で有った、祖父が・・・故郷に帰る事に成る。
しかし、時すでに遅して・・・何もかも無くす方向に成るし、農地解放から間逃れた、山林だけが有る状態だったが・・・祖母の先祖の土地が有った為と思うが、国に対して裁判を起こし・・・費用の工面の為に、山林を処分する事に成った様だ・・・
この様な状況なので・・・父が、我儘で、喧嘩速い性格に成るのも解る気がする。
又、苦労と言う部分も、幼い頃、芦北でモーターボートを浮かべて、それに乗り遊んでいた。この様な生活が基本なら・・・全てが貧しいと思うのも仕方が無いと思う。
この様な、家の歴史・・・当然、父から聞いた事は、無い・・・父は貧しかったとしか言わない・・・
全て、父方の親族から教わった部分に成る。
嫁との新婚旅行も、この歴史調べて、場所を決めたくらい・・・・
数年前、義理に成る・・・父の姉・・・伯父の妻だった人が無くなった。その時に、祖父母等の戸籍謄本が居るとの事で、祖父母の戸籍を確認したら。
祖父母は従妹同士だった・・・祖母の実家の地元の財産、全てを、持参金として祖父が受け取る形に成っている事が、予想できた。その為に、裁判を起こした事も解る気がする。
祖母の父が凄い商売人だったらしい・・・・地元に家を新築してそれを新婚の、祖父母に与えている。しかし、商売の魅力が強かったのか・・・祖父母も商売の為に、宮崎に行っている様だ・・・
金や土地等々の財産がある為の・・・苦悩を教わる事が、子供の頃に出来たことに感謝している。
勿論、知らない事が多々ある。地元でわかる部分は、戦後・・・農地解放令以後の部分に成る。
それより、過去の部分は、祖父方の親族でも、宮崎や芦北・阿久根・泉・・この地域の人達に尋ねるしか方法がない。
唯、解る部分は・・・〇・〇家の先祖が略、全て、今住むこの地に居た事だし、眠っている事に成る。
祖父母も、結果として、この部分の責任を果たす為に、この地に戻ったと私は考えている。
要は、墓守の為に、戻ってきている。
しかし、この様な歴史お考えると・・・・今、この地に〇〇家の血を継いでいる、者が今では二人・・・・あと一人は娘しか儲ける事が出来なかった。
結果、この歴史を繋げる、立場は私だけに成る。
裏の伯父さん宅と言わる、大きな家も、今後、一人しか居ないし、その方も高齢で施設生活・・・・後は弟さんと言っても、生きておられれば高齢だし、その子は私と同じ年の男・・・・しかし、阿具根で商売をされているので、この地の管理は無理だと思う。
一族の歴史を繋げる事が難しくなっている。
明治維新後の苗字で氏が解る事も現代では難しい・・・関係者でも氏を名乗る事が出来た・・・
勿論、現代で、墓守を使命と考える人は少ないと思う。
しかし、歴史の継承をするのも後継者の責任だと私は考えている。
我が地域で、殿様と言われていた、商売人が、私の曽祖父の丁稚だったらしい・・・その人から、二十歳の頃に、私がその曽祖父に、〇〇家の血を引く者で、一番似ていると言って居られた。
その人も、今は亡くなれ・・・全然、別の〇〇家から入れた婿養子が、後を継いでいる。
この様な事を、見ていると・・・・最後まで継承できる部分は、墓しかない様な気がする。
形あるものは、全て土に還ると言われる。勿論、墓も同じだと思うが・・・最後の最後だと私は考えている。
日々の生活に奮闘する・・・之が一番、幸せだと私は考えている。
余裕が、結果として、人の我欲を含まらせるし・・・それが争いの元に成る。
祖父が商売の目度を決めた、理由にもこの部分が有ったと思う・・・しかし、立場的に欲が先行した、欲も責任と義務から出る場合が有ると言う事・・・
私も、色々学び・・人として成長しなければと思っている。
生きた証が、この部分だと私は考えている。当然、後継者を創る。残す、之も有る。
今日は、昼から、嫁の里の、義母の依頼・・・お茶を仕入れに・・・八女方面に行く事に成っている。
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