最近、テレビ等の報道等に、よく敵・味方と言う単語が出てくるように成った気がする。
世界的に、この感覚が有るのは私も解っている。特に一神教世界は、自然さえ敵で有るし、その敵に打ち勝って幸せ・幸福を手に入れるという価値観が確り有る・・・結果、全てが敵だし、その中で、己に近い立場が味方???程度の認識に成っている。
この価値観が、結果的に、戦争を生むし、悲惨な現象を作り出しているのだが・・・それを現代も続けている・・・
それと相反する価値観が、本来に日本国に有った。しかし、グローバル化等の誘導で、世界的な潮流に日本人も向かっていると私は感じている。
敵・・・この意味は、調べると敵(かたき)で有ると成る。
敵(かたき)とは???恨みが有ると成る・・・・恨みが無ければ敵は存在しないと言う事にも成るが、それでも敵と言われる場合が有る。
私は、敵と思わないが、何故か敵と思うように誘導する流れまで有る。
敵が多いと言う事は、先に書いた、かたきが多い、恨みを持った、人が多々居る、立場・ポジションと言う事に成る。この様なポジション・立場、幸せとは私は思えない。恨みだけが多々存在し続ける世界、その逆の味方を当然、求める事にも成る。
味方とは????・・・・己に都合が良い人と言う事に成る。
この逆が、敵とするなら、己に都合が悪い人は全て敵となる。
この様な単純な事で、敵・味方と分類し、それで人を区別する、当然、差別主義者で無い人が日本人は多いから、この様な人は少なく思えるが、現実にマスコミ等で流れている情報を見ると、敵・味方論の話が余りにも多すぎると私は思っている。
人は、心配も間違いも起す、又、嘘も付く・・・此を人と確り解っているなら、それが基本と言うことで人を見れば済む話・・・
それが、ある基準を設けて、当然、己に都合が良い基準を相手に当てはめる、入らなければ、嫌いな人・入れば好みの人、この行く付く処が、敵・味方論に成る。
生きていれば、良縁も、悪縁も、当然、起きる・・・思いとしては良縁で有って欲しいと思うが、現実は中々、思うようにいかない・・・
その為に、良縁は、何も考えずに手に入れるなら、悪縁も同じ様に取り組めば良いが、何故か、損した、バカを見た、己は被害者だと、何故かわめき出す。良い時は黙っていて、悪いと感じたらわめく・・・赤子が駄々を捏ねて泣いているのと同じと私には見るが・・・・人が良い親なら赤子の思いを叶えるだろう・・・しかし、親も色々、叶えてくれない親も居る。その都度・都度に、被害者・損したと思い続ければ、先に書いた、全てが恨みに繋がり、最終的に、敵と捉え出す・・・誰が???己以外は敵と言う事になる。当然、味方も居るが、一生・己に都合が良い人で有り続ける人しか味方になり得ないし、その様な人は居ない・・・
結果、己例以外は敵という世界・・・地獄の苦しみだと思う。可哀想と思うが、仕方が無い、地獄の世界で、人を蹴落とし少しでも上へと、何を求めているのか???解らないが、競争心で上を目指しているだけで、結果として、多くの屍を踏みつけていることになる。
色んな人が居る、当然、私の価値観に許容できない人も居る。それは誰に問題が有るのか???当然、私自身に許容できる価値観が無い為になる。
人として、確り、付き合っていく・・・その中で、何を得るのか???此が生きる事だと私は考えている。新しい、新たな価値観を知る、大事だと私は考えています。