四人部屋で一晩過した。己の器の小ささに呆れている。年の功世も言われる、多くの年月を歩んできて、還暦も数年前に終らせている・・・しかし。世間には色んな人が居るとは思って居たが、結果的に、見たい人を見続け・・・見たくない人は見ない生き方をしていたので。人の終盤・・終活じの人の姿を側で感じ取れる・・・此を苦痛と感じる情けなさ!!!!!
大声で叫ぶ人・・・・痴呆症が有るようで頼みたい・助けて貰いたいという時に、高齢の人から「か~~ちゃん」と大きく声を発してある。幼い頃に大きく母にに依存し母は子の為に全てを捧げられていたと想像する。親の育て方しだいで子の将来が決まる。何度も書くが「生老病死」が人生の中に存在するなら。対処の仕方・・捉え方等々を教えないと・・・・最終的に知らなかったことキツイ・嫌だ、なって言う不幸な人生なのかと悲観に暮れ産くれた親まで恨むことになる。
人は上り坂だけでばい下り坂もある・・・特に、人生終盤はこの方向性が強い、人は「生老病死」の中で生きているし。このリズムが正常、この事を誰が教えるのか????親・人族しか無い時代・・・何度も書くが、学校教育等等々、何を輩出しているのか・・・・優秀な消費者と作り続けている。優秀な消費者が幸せ幸福と思っている・・・このポジションを守る為に己意外には投資もお金も渡したくない・・・此が今の現代・・・結婚しない・子供を産もうともしない・・・結婚しても自己中のお姫様と王子様・・・多くのお金と、多くの下働きが無ければ直ぐに破綻・離婚する事に成る。
この様な社会なら優秀な消費者でない、単なる高齢者等が助排され出す、要は要らない存在という事に成り・・・実父母迄もがこの方向性進んでいる。老後が不安と益々、人的投資はせず己を守ってくれるのはお金だと信じ、どの欲に求め続けて最後は死ぬ・・・・
だから、光り輝く一瞬に憧れ、それ以外を学ぼうとしなく終焉に向う人々から目を背けて、学ぼうとしないし、己だけは成らないと思っている。以前も書いているが事業を50年以上続ける事は非常に難しい・・・・若いとき尊敬していた大社長・・・・田舎の村長の息子として育ち・・・町に木材・製材関係の会社を多く作られたが・・時代と共に国内産の木材の需要が減り、育った村の殆どの山を所有してあった社長から、商売を辞めるときが必ず来るのでそれも想定して商いはしなければ成らないと教えて頂いた・・感謝している、この言葉が無かったら無謀な借入れ・手形決済で、病で倒れたら、直ぐに銀行取引停止、不当たり倒産になる。子も言葉が耳に残ったのも父の事業の倒産で苦労していたときだったと思う。
その後・・・社長は亡くなられ、遺産の相続、娘婿達になった・・相続税が尋常で無い金額、物納でと頼んだらしいが駄目・・町にあった大きな製材所を売却・・・・
良いときも有るし、当然、悪いときも有る。良い時は気が滅入ることが無いので捉え方の勉強も要らない・・・問題は悪いとき、捉え方しだいで滅入る度合いも変わるし、逆に感謝と捉えることも勉強で変わる。
この負や損に対しての、捉え方を確り教えていないと、空しい人生になる。
話が長くなったが、あと二人の患者さん一人は身動きもしなく沈黙でテレビの視聴を続けられている。もう一人の患者さんは色んな機器が繋がれていて、重傷のようだ、昨晩、痰が絡んで血中酸素が低下したアラームが鳴り続けて目を覚ましたが看護士が来ない、苦しそうな呻き声が聞えるが、ナースコールを押すべきか等々、悩んでいたら看護士が来て対処してくれた。
この部屋の人私以外の己の意志で看護士を呼ぶ手段がナースコールと理解されていないようだ・・・私の役目が出てくるのかも知れない、此も社会貢献に繋がるし、最低でも他人様の貢献になると思っている、私でも出来る貢献・・・・考えていきたい。