無事、通夜も終了・・・
今回は、嬉しい事に、私より若い青年達が、通夜の受付に4人も来てくれた・・・感謝になる・・・
昨年、亡くなった進行住宅の若い兄妹の二人も参列してくれている・・・・・
隣組の、繋がりを保つ、之を、ここ数年、考えていたし、何故か、その様な役回りになっていた・・・
今まで、通夜の受付は、私が一番若く、殆どが高齢の方が、されていたが・・・・今回は、違った・・・
昔は、通夜・葬儀は、隣組が仕切って、全てを行っていた・・・・・
しかし、最近は、葬祭場を使う、葬儀の形態が増え、隣組がお手伝いする、部分が、受付位に成って来ている・・・・・
一緒に生きた、地域の人が、亡くなる・・・何かのお手伝いを・・・と・・・考える事は当然と思うが・・・
人との繋がりが、薄くなってきて・・・・この部分さえ難しくなってきている・・・
特に、人様に迷惑をかけたくないと、家族葬で行う、これも増えているが・・・・・亡くなった人とのお別れが出来ない、問題も出てきている・・・・
去年、私の友人も家族葬で行ったが・・・・亡くなった、お父さんとの繋がりも私は有る為に、遅い時間に、勝手に伺って、手を合わせる、この様な行動を取る事になる・・・
勿論、誰にも連絡しない、これで、葬儀を終わらせる、之も・・・人に迷惑をかけないと思っている人も多いが、現実には、後で死を知り、何処に手を合わせてよいか解らない、之が困る場合も有る・・・・
最近、多いのが、喪主になる、息子さん達が、地元に住んで無く、都会に住んで有る場合、亡くなった親の繋がりを知らないままに、葬儀を済ませる・・・・・
之で良いのかとも思う時が有る・・・・・
私の妹も、旦那が死んだ事さえ伝えなく、勝手に、葬儀もしないで、火葬して、終わらせていた・・・・之を、1ヵ月後に、聞いた、兄として、どう振舞うか・・・・大変な後処理が有った・・・・
誰一人と、親族の中で、納得された所は、無かった為に・・・・凄い事が起きたが、その様な処理もする気が無い、妹は誰にも迷惑をかけていない、褒められてよい行動をしたと、今でも思っている・・・・
結局、人との繋がりをどう考えているかの、違いになる・・・・・
この様な部分は、時代が経っても大事だと私は考えている、その為に、その様な振舞いを若い人に見せるしか、繋げる方法はないと考えている・・・・・
私も将来は解らないが・・・出来ればこの土地で死にたいと考えている・・・・それならこの土地に住む、若者を大事にしなければ、後に繋がっていかない・・・・
不思議だと思う事は、我が子より、他人の若者の方が、私の話も少しは興味を持ってくれる・・・・
大事だと思うので、私は、語り続けている・・・・
死んだら、動く事が出来ない・・・その自分の体とどう、処理するか、其れは私以外の人の、思いと行動になる・・・・・
その思いの部分が、狭い我見で考えるか・・・広い視野を持つかになる・・・・
生きた証・・・其れが葬儀でもある・・・・・誰しも死を避ける事は出来ない・・・・
死に方の、勉強を生きている時にしている・・・之が大事だと私は考えている・・・・
2017年1月5日木曜日
お手伝い・・・
嫁が、携帯ショップに出かけたきり、帰ってこない・・・・
礼服等の準備が必要だが、何処に有るかも解らない、私が存在している・・・・
通夜の、受付をするお手伝いが有るし・・・
隣組を代表しての、香典も預かっているために、急いで葬祭場に行かないと、行けない立場だが・・・
何が何処に有るかさえ、解らない・・・・・
我家も、父の変わりに私が動く、これが家としての単位で言えば、当然の事・・・
家長は父だし、父の名前で、事を進める、これが、後継の者の責任になる・・・
家を会社と考えると、解り易くなる・・・・・会社の長は、社長になる・・・その社長が動けない時には、代理が動く、これが当然だし、会社の信用に繋がる部分・・・
家も同じで、家の長は、家長になる・・・その家長の父が動けないなら、誰かが動く、之が当然に成る・・・・
家族が有ると言う事は、家の単位での考えも必要に成る・・・・
家と対外部分の橋渡しは、誰かが行う事になる・・・・代理の私だが、責任者という事になる・・・
礼服を探して・・・・早く伺う準備をしないと・・・・
礼服等の準備が必要だが、何処に有るかも解らない、私が存在している・・・・
通夜の、受付をするお手伝いが有るし・・・
隣組を代表しての、香典も預かっているために、急いで葬祭場に行かないと、行けない立場だが・・・
何が何処に有るかさえ、解らない・・・・・
我家も、父の変わりに私が動く、これが家としての単位で言えば、当然の事・・・
家長は父だし、父の名前で、事を進める、これが、後継の者の責任になる・・・
家を会社と考えると、解り易くなる・・・・・会社の長は、社長になる・・・その社長が動けない時には、代理が動く、これが当然だし、会社の信用に繋がる部分・・・
家も同じで、家の長は、家長になる・・・その家長の父が動けないなら、誰かが動く、之が当然に成る・・・・
家族が有ると言う事は、家の単位での考えも必要に成る・・・・
家と対外部分の橋渡しは、誰かが行う事になる・・・・代理の私だが、責任者という事になる・・・
礼服を探して・・・・早く伺う準備をしないと・・・・
初・・・触り・・・・良い・・・ニッコリ・・・
今年、初めてのRCを触った・・・・
色々な事が起きるために、触る機会が無く・・・今日まで、バックの中で、テック・コンバも熟睡が出来たと思う・・・
押したり、引いたりを、手でして楽しむ・・・この子供じみた楽しみが、私のレベルには丁度良い・・・
又、昨年末・・・数人の人がこの車に試乗して頂き、第三者の目線で、車の動きを観察でき、感謝している・・・・
車の基本、確り路面を捉えている時の動き・挙動を私は大事にしている・・・・この状態はグリップ走行が、一番路面を掴んでいると考え、試乗される人達のグリップ走行部分の、挙動、これが私のイメージに近づいてきている事が昨年末、解った事に感謝している・・・
RCカーの旋回は、私の目からだと、舵角が深過ぎる・・・・このアンダー的、挙動が好きでなかった・・・浅い舵角での旋回を、グリップ走行では求めているし、私には大パワー過ぎると考える、この車だと、小さな旋回半径でも、リアにヨーが発生していれば、舵角量は少なくても、旋回が可能になる、この部分でしか走らない、方向性・・・・これが実車の走りだと勝手に考えている・・
ドリフトの世界で言われる、アクセルで曲げる・・・これを味合う事が出来る車に近づいている・・・・
この部分を解る人かは解らないが、この車の試乗を望まれる人も、出て来た・・・・・何故か、2駆の走り方にも影響すると言われている・・・・
テック・コンバでのグリップ走行が殆どだし、ドリフト状態の維持は難しいと言われるが・・・グリップ走行を続けていても面白いし、やめられないと言われる・・・・
本来、車の操作は、グリップ走行でも面白いと思えると私は考えている、そのスピードが遅くても、車が、操作に確り動いていれば、操作の間違い等々を感じ取る事も出来る・・・この操作にリニアに答える車・・・これが面白いと私は考えている・・・
このリニアさを、操作で求める為に、色々模索を続けて、現状になった・・・・・その答えが食いや引っかかりに繋がる部分を減らす・・・・車は動き難い方向に成るし、確りトラクションを意識して、適正な操作しか受け付けなくなる・・・・
この部分は、逆も又真なりの考えになる・・・・食うから、アンダーな操作をしてしまう場合も有る・・
実車も同じで、プッシュアンダーが出れば、ステアを戻す、アクセルを戻す方向に、自然に車が誘導する・・・・この様な車が安全に繋がる・・・・しかし、プッシュアンダーを今以上の舵角・パワーで押し切る、これがRCの独特の操作になる・・・・
この独特なRCの操作・・・この延長線上で、私はRCドリフトを取り組んでいた時代が有る・・・所詮RCという感覚に成る・・・・・しかし、お会いする、RCドリフターの言葉での表現を信じれば、この操作を良いとは思っておられない感じが私はしたし・・・・其れを目標に、現在まで続けている・・・
変化が、ぶん回してアンダー走りをしていた時は、4000容量のバッテリーが20分持たない、これがその当時は自慢に思えていた・・・
この操作はトラクション等々を無視した走りになるし、車は勝手に走り続ける、操作側から離れた動きをする、このスーとした操作が、又良いと思っていた・・・考えが変われば、流れを求めていた事になる・・・・
今は、2100容量のバッテリーで2時間の走行が出来る・・・・
車が大きく変わっているとは思えない・・・操作側の私が変化している事になる・・・・
操作の無駄が無くなる方向で、この変化という事は・・・・大部分を捨てる操作を昔はしていたと言うことになる・・・・・
この変化が、又、走るという面白さの変化にも繋がっている・・・・ゆっくりと落ち着いた操作、この方向に成っている・・・・車の動きの面白さより、操作の面白さが少しは解るようになって来た・・・
初心者クラスからの少しの成長と思う・・・・
コースでご一緒する人は、解ると思う・・・・電費が良くなる方向は、スピード等が遅くなるか、早くなるか・・・そのスピードもコントロールできるか、出来ないか・・・
操作側に車が有れば、コントロールの自由度が増す事になる・・・・その事は、スピードコントロール、特に遅く走る等々も、意識しないでも自然に出来る様になる・・・・
特に、パワードリフト等、パワーでドリフトをしたいと考えている人は、パワーのコントロールでどうにでも成る状態に成る・・・・・・逆に慣性力を利用し過ぎる、慣性ドリフトなら・・・スピードのコントロールが非常に難しくなる・・・・
この部分は実車の作り方、考え方と同じになる・・・・タイヤが同じなら、重量は???何がコントロールに長けるかは解るはず・・・・・
形やスタイルを求め過ぎると、この操作側の面白さを忘れてしまう場合が有る・・・
操作して、楽しいと思える車が、私は一番大事だと考えている・・・・・その後が、車の動きに成る・・・・この動きも本来は、各自の好みが有る・・・・・この流れを進めて、最後が第三者がどう思うかになる・・・・
この順序を間違えると、直ぐに飽きる方向に向かう・・・・飽きない為に、物を買い続けたり、シャーシを変えたり・・・絡む環境を変えたり・・・全てが自分以外の部分を求めだす・・・
この流れに成れば、自分という部分を見失い、結果、その環境が永遠に自分にとって居心地のよい環境なら、良いが、若し環境が変われば、環境を恨む事に繋がっていく・・・・
結局、第三者の目を気にして、その部分に合わせ様という努力、これを面白いと思える人は其れでよい・・・・・
私は、自分自身が操作して楽しい、この部分を大事に考えている・・・
結局は、このブログの書いている様に、誰に勝つ必要もない・・・唯、自分自身に負けない車つくりを永遠に続ける事だと私は考えている・・・
難攻不落なテック・コンバがその答えになる・・・・挑戦を続けることは負けてはいない・・・その為には永遠に、私にとって、難攻不落で在ってもらいたいと、テック・コンバを進める事になる・・・
人は、勝ったと思った瞬間から・・・傲慢さ等々が一気に顔を出す・・・・その為に、勝つ人は謙虚さが求められる・・・・・しかし、私はその謙虚さが有るとは思えない、この様な人間は、勝つ事を避ける事に努力する事になる・・・・
分相応という考えになる・・・・自分の分以上を求めても、直ぐにメッキが剥げて、馬鹿にされる・・・・
それなら、分相応で、今の下手は分で馬鹿にされている方が、気が楽・・・・
特に趣味の世界、見栄を張っても、生活が楽になる等々無い・・・・何が理に適う、物理的、得が有るなら、見栄を張る理由も有ると思うが、趣味の世界では、その様な部分を求める自体、不思議だし、其れになれば、商売・プロという世界になる・・・・
各自の生活・環境も違う、この千差万別の人が、同じ、RCドリフトを楽しむ・・・・色んな個性が有っても良いと考えるし、多種な走り方が有っても良いと考える・・・・
これが、一般の時のコースになる・・・これを前提に考えれば、自由に常時コントロールに長ける車が必要に成る、事故を避ける為には大事になる・・・・
今年も、一般大衆車・・・・庶民カーをイメージして続けたいと考えている・・・・色んな個性に対して、優しい配慮が出来る車・・・・・その為には、何回も書いているが、シャーシから、危険な棘を無くす、これが大事に成る・・・・
おとなしい車に成る、この車を操作側が、どうコントロールするかが、その人の腕になる・・・・
羊の車を、狼の様に走らせる、これも操作技量に成る・・・・・
逆に狼の車を、羊の様に走らせる、これも操作技量に成る・・・・・・
この技量の向上心が、RCの楽しみだと私は考えている・・・・
色々な事が起きるために、触る機会が無く・・・今日まで、バックの中で、テック・コンバも熟睡が出来たと思う・・・
押したり、引いたりを、手でして楽しむ・・・この子供じみた楽しみが、私のレベルには丁度良い・・・
又、昨年末・・・数人の人がこの車に試乗して頂き、第三者の目線で、車の動きを観察でき、感謝している・・・・
車の基本、確り路面を捉えている時の動き・挙動を私は大事にしている・・・・この状態はグリップ走行が、一番路面を掴んでいると考え、試乗される人達のグリップ走行部分の、挙動、これが私のイメージに近づいてきている事が昨年末、解った事に感謝している・・・
RCカーの旋回は、私の目からだと、舵角が深過ぎる・・・・このアンダー的、挙動が好きでなかった・・・浅い舵角での旋回を、グリップ走行では求めているし、私には大パワー過ぎると考える、この車だと、小さな旋回半径でも、リアにヨーが発生していれば、舵角量は少なくても、旋回が可能になる、この部分でしか走らない、方向性・・・・これが実車の走りだと勝手に考えている・・
ドリフトの世界で言われる、アクセルで曲げる・・・これを味合う事が出来る車に近づいている・・・・
この部分を解る人かは解らないが、この車の試乗を望まれる人も、出て来た・・・・・何故か、2駆の走り方にも影響すると言われている・・・・
テック・コンバでのグリップ走行が殆どだし、ドリフト状態の維持は難しいと言われるが・・・グリップ走行を続けていても面白いし、やめられないと言われる・・・・
本来、車の操作は、グリップ走行でも面白いと思えると私は考えている、そのスピードが遅くても、車が、操作に確り動いていれば、操作の間違い等々を感じ取る事も出来る・・・この操作にリニアに答える車・・・これが面白いと私は考えている・・・
このリニアさを、操作で求める為に、色々模索を続けて、現状になった・・・・・その答えが食いや引っかかりに繋がる部分を減らす・・・・車は動き難い方向に成るし、確りトラクションを意識して、適正な操作しか受け付けなくなる・・・・
この部分は、逆も又真なりの考えになる・・・・食うから、アンダーな操作をしてしまう場合も有る・・
実車も同じで、プッシュアンダーが出れば、ステアを戻す、アクセルを戻す方向に、自然に車が誘導する・・・・この様な車が安全に繋がる・・・・しかし、プッシュアンダーを今以上の舵角・パワーで押し切る、これがRCの独特の操作になる・・・・
この独特なRCの操作・・・この延長線上で、私はRCドリフトを取り組んでいた時代が有る・・・所詮RCという感覚に成る・・・・・しかし、お会いする、RCドリフターの言葉での表現を信じれば、この操作を良いとは思っておられない感じが私はしたし・・・・其れを目標に、現在まで続けている・・・
変化が、ぶん回してアンダー走りをしていた時は、4000容量のバッテリーが20分持たない、これがその当時は自慢に思えていた・・・
この操作はトラクション等々を無視した走りになるし、車は勝手に走り続ける、操作側から離れた動きをする、このスーとした操作が、又良いと思っていた・・・考えが変われば、流れを求めていた事になる・・・・
今は、2100容量のバッテリーで2時間の走行が出来る・・・・
車が大きく変わっているとは思えない・・・操作側の私が変化している事になる・・・・
操作の無駄が無くなる方向で、この変化という事は・・・・大部分を捨てる操作を昔はしていたと言うことになる・・・・・
この変化が、又、走るという面白さの変化にも繋がっている・・・・ゆっくりと落ち着いた操作、この方向に成っている・・・・車の動きの面白さより、操作の面白さが少しは解るようになって来た・・・
初心者クラスからの少しの成長と思う・・・・
コースでご一緒する人は、解ると思う・・・・電費が良くなる方向は、スピード等が遅くなるか、早くなるか・・・そのスピードもコントロールできるか、出来ないか・・・
操作側に車が有れば、コントロールの自由度が増す事になる・・・・その事は、スピードコントロール、特に遅く走る等々も、意識しないでも自然に出来る様になる・・・・
特に、パワードリフト等、パワーでドリフトをしたいと考えている人は、パワーのコントロールでどうにでも成る状態に成る・・・・・・逆に慣性力を利用し過ぎる、慣性ドリフトなら・・・スピードのコントロールが非常に難しくなる・・・・
この部分は実車の作り方、考え方と同じになる・・・・タイヤが同じなら、重量は???何がコントロールに長けるかは解るはず・・・・・
形やスタイルを求め過ぎると、この操作側の面白さを忘れてしまう場合が有る・・・
操作して、楽しいと思える車が、私は一番大事だと考えている・・・・・その後が、車の動きに成る・・・・この動きも本来は、各自の好みが有る・・・・・この流れを進めて、最後が第三者がどう思うかになる・・・・
この順序を間違えると、直ぐに飽きる方向に向かう・・・・飽きない為に、物を買い続けたり、シャーシを変えたり・・・絡む環境を変えたり・・・全てが自分以外の部分を求めだす・・・
この流れに成れば、自分という部分を見失い、結果、その環境が永遠に自分にとって居心地のよい環境なら、良いが、若し環境が変われば、環境を恨む事に繋がっていく・・・・
結局、第三者の目を気にして、その部分に合わせ様という努力、これを面白いと思える人は其れでよい・・・・・
私は、自分自身が操作して楽しい、この部分を大事に考えている・・・
結局は、このブログの書いている様に、誰に勝つ必要もない・・・唯、自分自身に負けない車つくりを永遠に続ける事だと私は考えている・・・
難攻不落なテック・コンバがその答えになる・・・・挑戦を続けることは負けてはいない・・・その為には永遠に、私にとって、難攻不落で在ってもらいたいと、テック・コンバを進める事になる・・・
人は、勝ったと思った瞬間から・・・傲慢さ等々が一気に顔を出す・・・・その為に、勝つ人は謙虚さが求められる・・・・・しかし、私はその謙虚さが有るとは思えない、この様な人間は、勝つ事を避ける事に努力する事になる・・・・
分相応という考えになる・・・・自分の分以上を求めても、直ぐにメッキが剥げて、馬鹿にされる・・・・
それなら、分相応で、今の下手は分で馬鹿にされている方が、気が楽・・・・
特に趣味の世界、見栄を張っても、生活が楽になる等々無い・・・・何が理に適う、物理的、得が有るなら、見栄を張る理由も有ると思うが、趣味の世界では、その様な部分を求める自体、不思議だし、其れになれば、商売・プロという世界になる・・・・
各自の生活・環境も違う、この千差万別の人が、同じ、RCドリフトを楽しむ・・・・色んな個性が有っても良いと考えるし、多種な走り方が有っても良いと考える・・・・
これが、一般の時のコースになる・・・これを前提に考えれば、自由に常時コントロールに長ける車が必要に成る、事故を避ける為には大事になる・・・・
今年も、一般大衆車・・・・庶民カーをイメージして続けたいと考えている・・・・色んな個性に対して、優しい配慮が出来る車・・・・・その為には、何回も書いているが、シャーシから、危険な棘を無くす、これが大事に成る・・・・
おとなしい車に成る、この車を操作側が、どうコントロールするかが、その人の腕になる・・・・
羊の車を、狼の様に走らせる、これも操作技量に成る・・・・・
逆に狼の車を、羊の様に走らせる、これも操作技量に成る・・・・・・
この技量の向上心が、RCの楽しみだと私は考えている・・・・
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