今回は、相互扶助・・・意味はお互いで助け合う・支え合うと言う意味である。
日本国の年金・健康保険・・・等々も、この考えが基本に有る。
又、日本国のその物の、基本に、相互扶助が有るから、生活保護等の保護政策出来ると言う事にも成る。
何度も書くが・・・共存・共栄にも繋がる・・又、昔から日本人の心の底辺に有る「おたがいさま」と言う、精神と言うより、価値観が、之を可能にして来たとも言ってよい・・・・
しかし、損得勘定・勝ち負け論・・・・個人主義台頭に従い、この様な部分でも得する・損すると言う、思いまで最近では出て来ている。
本来、己の分で、出来る範囲、人様のお手伝いができる・・・この事を誉と捉えていた国民が、最近では損という捉え方に向かっている。
私は、何度も書く様に三流で劣っていると思っているが、己の分んで、手伝う事が出来る部分は、出来るだけ協力をしたいと思っているし、振舞っている。
勿論、力が無いので、微々たる協力に成ると思うが、それが、結果的に小さな相互扶助に繋がっていると思っている・・
無理し、汗を流せば、当然、誉まで感じさせてくれる・・・感謝の念が己に出て来る・・・
しかし、先に書いた様に、損得勘定等で、判断する人が増えている・・・・要は、人々の教育が問題と言う事に成る。
扶助して頂ける・・・之は当然・普通と思うなら、扶助してもらっても感謝等の思いは無いし、逆に、少ない、モット補助をくれと成ると思う。
その扶助を与えている側が存在する事に成るし・・・・その人達はどう思うかにも成る。
現代の家族でも言える事に成る。扶助をして貰っている側が、当然・モットと己の欲を要求し続ける・・・それが出来ないと扶助を与えている側を攻める方向に成っている。
多々の扶助を頂き、一人前に成ったら・・・その恩に答えない、理由は当然と思っているので、恩を感じていない・・・・
家庭での教育が、結果的に社会の動向に成る。
簡単に、書けば、扶助を貰っている側が当然、モットと思っているなら・・・バランスを保つために、当然、扶助を与える側は、与える事が当然・モットしてやらねばと言う価値観に成らなければ、バランスが保てず・・・損得勘定でお互いが損していると言う、思いだけ・又は感覚だけに成り・・・相互扶助の必要性も感じない方向に向かう事に成る。
最終的に、国に全てをさせる方向に成るが・・・国とは、国民が居て、形成されているので、同じ事・・国に責任が行くと言う事は、国民が背負う事に成る。
相互扶助の価値観が薄れれば、当然、結婚も家庭も持たない方向に向かう・・・
要は、一生・一人で生きる方向に成る。
しかし、「ピンピン・コロリ」と死ぬ事が出来るか????
確り後始末をして、火葬場に己で伺い、棺桶に己で入って、黙って死ねと確信が無ければ、結果的に人様に迷惑を多々与える事に成る。
死ねば、結果的に周りに迷惑を与える・・・己の最後は死と自覚しているなら、生きている間に、他人様に扶助しなければ、プラス・マイナス・・・0には成らない・・・
人は、扶助を与えられる時と・・・逆に扶助を頂く時と有る。
特に、意識が無い、意識が薄くても生きる可能性も有る。
要は、扶助を与えられる時期に、行わなければ、何時するのかと成る????
この時に、損得勘定に支配され、己だけと言う、方向に向えば・・・・扶助を必要とする人は、どうなるか????・・・・存在自体が迷惑・・居ない方が良い・・最終的には抹殺した方が、国の為・・等々に向かう可能性が有る・・・
又、怖いのは、人の本心を感じ取ると、この方向の価値観を持っている人が増え続けている事に、私は危惧している。
己は????大丈夫・絶対に人様の迷惑に成らないと思っている人にこの傾向性が強く有る様に、私は感じる。
どんな人でも、最後は死ぬ・・・人様に迷惑をかけない死に方も、確り、意識ていると思うが・・・その様な人に「生老病死」の話をすると、聞きたく無い・・縁起でも無いと、拒絶される人が、何故か多い・・・
要は、己は絶対に、生物としての一生に成らないと思い込んで居られる。
要は、この様な人は、己は人間を脱した神だと思っているように感じる。
私は、怖い事だと思う。狂気としか思えない・・・・