2025年2月14日金曜日

集団・組織の本質

 先のブログで企業の目的は営利と書いた・・・綺麗事は言っているが,資本主義の世界、儲けるから,所得が増える・・・・当然,トップクラスのリーダーの所得が幾らかで、本質が見えてくる。底に集まる人も同じ方向性を持った価値観に成る。弁護士にも悪徳/正義と有るように,法・ルールの捉え方で,色々に成る。

宗教界も同じ、人々が何を求めているかで変ってくる。仏教の哲理・原則は,宇宙のリズムに従い、争っても意味が無い,受入れる度量を持てと言う教え、その為に色々考えられる生きて居れば当然に起きるだ有ろうと思われる事に備えろと言うこと,一神教の教えは,色んな負や損と思う事が有るが争うて勝つためという考え、自然も宇宙さえも己の思うようにしたい。支配者、読者医者の立場が幸福だと思っている。

しかし、仏教も、哲理を言っていても人は感化しない,意味が解らないと成る。求めているもの,目的は負や損の解消の為、土着信仰の延長線上に成る。生きる中で一番の苦に感じる部分が四苦の「生老病死」これが解決できると仏教を行う,本末転倒で有る。「生老病死」は必然と説いているのが仏法に成る。避ける手も逃げる方法も無い・・・・後は捉え方の問題で,不幸と捉えるのか,幸福と捉えるのかで変る。当然,生身の人間には難しいと言うより理解できない。仏教も生き残るためには糧も居る当然檀家が必用に成る。人々が欲しがっているものを見せ期待を持たせる方向に成るし,其れが長けている寺院が大勢を奮う事に成る。

要は,民衆・民が何を欲しているか????に成る。この求めに応えるのもリーダー・主の責務と成るが,求めているものが本当に幸せに成るのか????その部分を教わらずに大人・社会人に成っている。要は幼子・餓鬼のレベルで,人より大きく喚き泣くことが者を頼り多く貰える,鳥のひなと同じ・・・ヒナの状態で野に放たれる・・・此が現実に成った為、ルール・システムをヒナでも生きれるように,言い換えれば餓鬼レベルでも生きれる方向に進んでいるが,お金本位主義・資本主義の世界、弱肉強食という部分を無くす事が出来ない、畜生・修羅道にも如何してでも入る事に成るが,基本が餓鬼、何の為か当然俺自身・以外はVS 幼い頃からの学びでこの本質・出発点が変る,最低でも人道というレベルに到達させる。

入院していると,ぎりぎりの精神状態の人が多い,その為に本質の癖・命が出る、助けて,痛いよー、等々の藻掻く環境の中で過すと,色々な勉強に成る。人は意識が無くても深いと感じると取ろうとする。

育てるとは命の研鑽作業と思ってる。真綿で磨きは出来ない,石の様に固いならそれ以上に硬度が有る者で磨くことに成る。当然,命が痛む,此を成長と取らず,ハラスメントと取れば・・誰も,この分野に脚を踏み込むことは無くなっていく、理想論的な宗教界も同じ、益々人間の為・未来の為と、厳しいこと,耳障りの悪い事を言う事自体がタブーに向ってる。今後は己自身で,貪欲に学び知識を吸収して,其れを現実に使って己の智慧にかえていく、此が,人・天道の上の声聞・縁覚と成っていく。人の本質六道輪廻を越える事に成る。後は全てを擲って人の為・世の為と命を使い切れたら菩薩と思う。身を捨てているから守護されていると感じ出す。一神教も含め,,一般人に解るように,天界・天道が幸せのポイントにしている。しかし、個々で違うし,この幸せ感が持続するのか???其れが無い。一瞬の快楽の為に多くの人を泣かせる等が当然の様に起こり出す。自由勝手な民が多い社会のガバナンス厳しい方向に成るし,当然ルールを違反する人も増えるので,罰則も厳しくなっていく

私は,己を鬼畜、畜生・餓鬼レベルの価値観で学んでいるし教えられた。勝つ事が幸せと・・・・仏法には願った事は叶うと有る。鬼畜の命のまま勝ち続けたとしても鬼畜、来世も鬼畜の境涯で生まれるという事に・・・・生きて居る間に研鑽して磨き続けて,ダゴ石がどう変化するかが生きる醍醐味だと思って居る。

立場・組織で目的が変わる

 私は、成り上がりたいとは思わなかったし、その理由は、父の商売も最悪・・・金儲けが劣っていたと言う事に成る。何の為に儲けたいと思うのか????私は生きる為の稼ぎ、糧は要ると思うが、我欲が強いと、儲けたい、当然、その為にと成る学びは徹底する。この様にして世間で言われる、一流・有鬚と言う立場を手に入れて、儲けられ続け大富豪に何人成れるのか????殆どが成れない、要は負け組と言う事だし、この価値観なら不幸と言う事に成る。何故、お金を儲ける事が幸福なのか????私は、解らなく、20代前に成った。高校卒業後、跡取り息子として親の仕事のお手伝い、給与は無い・・・条件は大学・他県に就職しなく、手伝うなら車を買い与えると言う条件に成る。人が羨む車を手に入れても、面白みも無いし感動も一瞬、お互いの我欲の結果が悪かったと言う事に成る。お互いが儲かる、利が有ると思った結果、多くの負を背負う事に成る。物で攣る・利で攣る行為が結果的に不幸を創って行くと悟った。

この経験が有ったので、父の倒産の責務も私に有ると思うし、手綱ける為にムチも使うが飴も使う、このムチと飴が我家は唯物的事で行っていたと言う事、諭す・学ばせる事を行ったのと、唯心部分の価値観が乏しかったという事になる。これは父が商売を行っていたので、商売の世界、儲ける事、営利を得る事を求める集団と言う事、この世界で生きれば、同業他社に対してどう勝るか???これを各企業が争い勝つ事が、幸せと言えワわんばかりに突き進む・・・目に見える部分の見栄の張り合いに見えていた。喜んでいるのは、金を貸し付ける金融機関・機械・器具メーカー・工場が必要なので、建設・不動産・・・・その分を大きく超えた処に親会社のメーカーは仕事を出す。この様な姿勢を見せ続ける事が努力と見なされ、付き合って貰えるが、この姿勢を見せる事が出来なければ仕事が他に流れる。以前も書いているが、商売を拡大する事は容易い、維持は難しい、衰退に成れば苦痛と成るし、堪え切れず、途中で逃げる人も出て来る。lこの様な思いを若い時に得られたので、この後は見掛けは分以下でも十分、「ボロは着てても心の錦」と考え生きてきた。

誰しも解っていると思うのが企業の目的は、綺麗事を色々並べても本質は営利団体。この利の大きい会社が良い会社と人が雇用されたいと集まる。しかし、何処で利を得ているのか、社員からの搾取もある。それが幸せと教育され、価値観として植え付けられている。

各々、幸せは何か???と真剣に考えて欲しい、今の私は買い物をするにも、成分表や一円でも安いものを選ぼうとする作業を楽しいとも売っている。何も考えず一気の纏め買い昔は好んでしていたが、幸せと思う良い、後始末が大変と成っていた。

家庭で、子育て、何を目標に育てるか???企業戦士なのか・質素でも慎ましく家庭を持ち、人様に尽くせる人に育てるか。社会・国は基本、戦士を求めている。現代だから企業戦士を求めている。この様な時代だから親の躾が大事に成る。