私は、成り上がりたいとは思わなかったし、その理由は、父の商売も最悪・・・金儲けが劣っていたと言う事に成る。何の為に儲けたいと思うのか????私は生きる為の稼ぎ、糧は要ると思うが、我欲が強いと、儲けたい、当然、その為にと成る学びは徹底する。この様にして世間で言われる、一流・有鬚と言う立場を手に入れて、儲けられ続け大富豪に何人成れるのか????殆どが成れない、要は負け組と言う事だし、この価値観なら不幸と言う事に成る。何故、お金を儲ける事が幸福なのか????私は、解らなく、20代前に成った。高校卒業後、跡取り息子として親の仕事のお手伝い、給与は無い・・・条件は大学・他県に就職しなく、手伝うなら車を買い与えると言う条件に成る。人が羨む車を手に入れても、面白みも無いし感動も一瞬、お互いの我欲の結果が悪かったと言う事に成る。お互いが儲かる、利が有ると思った結果、多くの負を背負う事に成る。物で攣る・利で攣る行為が結果的に不幸を創って行くと悟った。
この経験が有ったので、父の倒産の責務も私に有ると思うし、手綱ける為にムチも使うが飴も使う、このムチと飴が我家は唯物的事で行っていたと言う事、諭す・学ばせる事を行ったのと、唯心部分の価値観が乏しかったという事になる。これは父が商売を行っていたので、商売の世界、儲ける事、営利を得る事を求める集団と言う事、この世界で生きれば、同業他社に対してどう勝るか???これを各企業が争い勝つ事が、幸せと言えワわんばかりに突き進む・・・目に見える部分の見栄の張り合いに見えていた。喜んでいるのは、金を貸し付ける金融機関・機械・器具メーカー・工場が必要なので、建設・不動産・・・・その分を大きく超えた処に親会社のメーカーは仕事を出す。この様な姿勢を見せ続ける事が努力と見なされ、付き合って貰えるが、この姿勢を見せる事が出来なければ仕事が他に流れる。以前も書いているが、商売を拡大する事は容易い、維持は難しい、衰退に成れば苦痛と成るし、堪え切れず、途中で逃げる人も出て来る。lこの様な思いを若い時に得られたので、この後は見掛けは分以下でも十分、「ボロは着てても心の錦」と考え生きてきた。
誰しも解っていると思うのが企業の目的は、綺麗事を色々並べても本質は営利団体。この利の大きい会社が良い会社と人が雇用されたいと集まる。しかし、何処で利を得ているのか、社員からの搾取もある。それが幸せと教育され、価値観として植え付けられている。
各々、幸せは何か???と真剣に考えて欲しい、今の私は買い物をするにも、成分表や一円でも安いものを選ぼうとする作業を楽しいとも売っている。何も考えず一気の纏め買い昔は好んでしていたが、幸せと思う良い、後始末が大変と成っていた。
家庭で、子育て、何を目標に育てるか???企業戦士なのか・質素でも慎ましく家庭を持ち、人様に尽くせる人に育てるか。社会・国は基本、戦士を求めている。現代だから企業戦士を求めている。この様な時代だから親の躾が大事に成る。
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