今日は仕事がバタバタ・・・・忙しい・・・
昼からは、補習授業から帰って来た、五男を伴い・・・・八女に向った。
二軒ほどの、修理依頼を済ませて・・・帰りに、地元で有名なローストチキンを購入・・・
その際、五男が、母親からメールが・・・・三男の嫁と連絡が取れない・・・破水しているなら大変だから、確認にアパートまで走れと言う指示らしい・・・
嫁は、職場から・・若嫁と連絡を取って、取らない・・・大変だと成っている。
私は昼食も取らずに、動き回っているが・・・私の心配等・絶対にしない・・・具合が悪いと言っても、気のせいだと言う・・・熱が有るからと言っても知恵熱が出た、良かったね~~~と成る。
気を使って頂ける立場は、羨ましいと思う瞬間も多々ある。
大丈夫・・等々の声を掛けて頂けるだけで幸せと私は思っているが・・・絶対に耳にする事が無い言葉に成る。
帰りに、三男のアパートに・・・・無事居てくれた・・・感謝に成る。
居なければ、当然、産婦人科へ行けと成る。之が解っているので、居てくれただけで私は感謝と成る。
私は、嫁と違い、若嫁が心配・・嫁は孫が無事生まれて来る事を心配している。
同じ、心配だが少し違う・・・・私は、親バカと思うが、八女で購入したローストチキンを、若嫁に、制を付けろと渡してしまった。
この様な振舞いを嫁がバカ・バカと言う・・・しかし、昼食と思って買った物、私が食べるか食べないかの問題・・・要は私が問題を感じなければ良いと思うが・・・嫁の判断が優先され、私は叱られる立場に成る。
心配される立場・・・羨ましいとも思うが・・・逆に言えば、全てに対して信用されていないと言う事にも成る。
私の場合、絶対に居るものと成っている。当然、人間、病もするし死ぬ・・・しかし、それも認めて貰っていない・・・・絶対と言う、信用を得ているとも言える。
しかし、当事者は良い感じがしない・・・私も心配されたいし、優しい言葉も掛けて欲しい・・・しかし、永遠に無理な気がする。
これも、捉え方、頼りないから心配されていると言う事も有る。
揺らがない絶対と言う部分を感じられると・・・心配もされない・・・
要は、神と同じと言う事・・・神様の心配をする人等、殆ど居ない・・・神も仏も同じだと言う価値観なら・・・仏を心配する人も居ない。
要は、鳥の巣に居る、ヒナの状態・・・親鳥が近くに来ると・・・大きくアピールを始めだす。
何を????己が欲しているものをねだっている事に成る。之を対外的に表現するか、又は心の中で思っているか・・・違いは大きく有る様だが、基本は同じと言う事にも成る。
要は、神や仏を信じるなら、神や仏は、何を求めているのか???・・この捉え方が私は大事だと考えている。
仮に、一神教の世界なら・・・他人を救えと神が言っているなら、当然、それに従うのが、神を信じていると言う人の振舞いと言う事にも成る。
人間の基礎の部分に成る。捉え方、感じ方で大きく方向性が変わる部分に成る。
その為に大事な部分だが・・・この部分を教える人が殆ど居ない。
他人の為と考えて、行う振舞い・・・当然、各自で違う筈・・・手を貸すか・背を貸すか・足蹴にするか・等々、その人の為と言う振舞いも色々ある。
振舞いだけを見て、その人の心の思いは????・・・解らないから、対話が必要と成る。
昔から、一家に一台と周りから言われていた私・・・打ち出の小槌とも言われた居た。
その為に、叩かれる分と言う事・・・勿論、小さな小さな、小槌に成る。分以上の事は、出来ないが・・・之が私の使命と考えている。
各々、分も違い・・頭の良さ等も違う・・・その為に、使命も色々ある。
生きるなら、小さなことかも知れないが、使命の為と思った方が、楽だと私は考えている。
最後に優しい・愛を感じれる振舞いをされる事が、幸せでは無いと言う事にも成る。