2021年11月6日土曜日

光が・・・・・・

リハビリと仕事を終えて、帰って来た。

リン(犬)が泣いているので・・・食事の準備と外に出てみると・・・・ウッドデッキの下が光っている。?????薄暗いがLEDの灯かりの様だ・・・・

暗くなっていたので気付く事が出来たが・・・・覗いてみたら、懐中電灯だった。

嫁が、昨晩、リンがウッドデッキの中で、絡まって出られなく成っていたが・・・・それの対処の為に懐中電灯を使って、その後、忘れ去っていたと思う。

彼女らしい・・・我が子も忘れるタイプ・・・・


しかし、約、一日、点灯した状態が続けていたと言う事・・・・凄い持ちだと思った。若し、点灯していなかったら、私も気付かない・・・・

之も、リンが泣いたからに成るし・・・懐中電灯のバッテリーの持ちに感謝に成る。

私は、何時も恵まれていると思うのが、この様な事が多々起きる・・・私の肩のリハビリも、本来なら、ダンプに踏まれて死んでいた筈・・・それが、生きている、勿論、生きているから痛みを感じられる・・・・・全て感謝だと思う。 

最後の戦い・・・・

私は敵・味方と言う発想が嫌いだ・・・・見方を求めると言う事は、敵が居ると言う事にも成る。

しかし、敵と言えるものが居る・・・私の場合、内面に居る・・・・

自己保身と言う命と我欲と言う煩悩に成る。

当然、戦うことに成る・・・・しかし、三流で力が無い、劣っている人間、考えなかった事、思わなかった事にした方が、楽だし・・・・と成る。

私は、分を超えると思えるものを背負っている。そのものを死守する思いが、結果的に勇気を頂いていることに成る。

若い時から、悩み続けた、何の為に生きる・・・最終的に何の為に死ねるか???

色々、模索も本も読んだが・・・・私の場合は、思想・哲学等々で無く、現実に守るべき人を背負う事の方が、生きると言う意味に成った。

凡人として、家族と言う集団を持ち、その責任と義務を身で果たす。之が生きる事だと私は考えている。

要は、バカなので、己で経験しないと解らないと言う事にも成る。

結果、三流で劣っているが・・・この立場でも、何かが出来ると探す事に成る。

人を導く様な力は無い・・・要は、背負っている人の為に、ケツ拭きをする事が私だと考えている。

親バカと言われても、今日は、息子達にも電話・・・心配している四男、福岡の西区が現場と、電話口で言っていた・・・今は昼食で、ジョイフルに居るとの事・・・

親として一安心した。


昨晩、四男が、「親父が言っていたことが、少しは解るようになって来た」と言っていた。俺は若いし、体も頑丈・・・この時だから、人の三倍・四倍は働くと言っていた・・・彼も言葉では理解できない、私の子だから仕方が無いと思う。しかし、現実に今は三人を背負った・・・潰れそうだと思うが、それ以上に頑張らなければと言う思いが出て来る。感謝に成る。

土日も働き、それでも支えきれないなら、寝る間も削ると言っている。

私も、父の倒産後・・多くの物を背負った・・・現実に押しつぶされそうだった・・当然、逃げた方が楽な事は解っているが・・・力が無い為に、逃げる事も出来なかった。

振るえる足で前に進むしかなかった。

この経験を私は感謝している。多くの事を学べたからに成る。その後も色々な私には試練に成る事が続くが・・・耐える事が出来た。

先人が言っている。又、母が言った「若い時は、苦労は買ってでもせよ」お金を出して買いたいと思うほどの価値が有ると言う事、何に????・・・苦労に成る。

子供達には、各々、戦う場が有る。逃げずに戦え・・・何の為に戦うか、死守する人を守る為・・・と・・・言い続けている。

それが、出来なければ、生きている意味は無い・・・死ねと簡単に私は言っている。

現代は、幸せな環境が有り、苦労と言う苦労をしなくても生きれる・・・しかし、苦労が無くなった訳でない・・・厳然と苦労する部分が、幸せな分、存在している。

担ぎ手として、生きるしか、三流の生きる道はない・・・・



 

皆・・・頑張っている。

 各自、息子達も彼らの分で頑張っている。

世間で言われる普通と言う事は出来ないかもしれないが・・・彼らも彼らの分で背一杯頑張っていると私は思う・・・・

勿論、私も、色んな部位が機能不全に向うが、騙し騙し・・己の体にムチ打ち、頑張りたいと息子らの姿を見ると、尻を叩かれる。

しかし、ツイツイ無理して、又、障害が有る右肩を壊した様だ・・・・手がしびれて・・物を持ち難い・・・・修理人として右手がこの様に成ると・・・・怖いと言う思いが出て来る。

世間は、歳等関係ないと言う・・・勿論、私も若い体が欲しいし・・良いと思うが・・・現実は????・・・衰えているし、それを世間が認めない方向に向かっている。

何度も書くが、人が機械・物と言う捉え方をされている時代に成った。

機械なら、不調を来せば、修理する・・・勿論、出荷当時の能力に戻す為になる。之が満たされないなら、廃棄される運命と言うのが、機械に成る。

私は人として生きたいと考えている。機械としては当然、生きれないし、その自信が無いし、不可能だと人間だから思っている。

人は、人の数、個性が有るし、特徴が有ると私は考えているし、規格品で無いと考えている。しかし、世間は、普通と言う標準・規格で縛っている様に私は感じる。

何度も書くが、私は三流・劣っている・異端児・変り者と自称するのも、世間が言う普通と言う規格には当ては成らないからに成る。

何故、この様に感じるのか・・世間の対応が普通で無いと言う事は上に書いている状態として見るからに成る。

しかし、普通の対義語は、特別と成っている。耳障りが良い単語、特別・・・普通以上のレベル・力が有ると言う場合、特別と私の場合、感じるが・・・普通以下は、先に書いている私の立場と、感じてしまう。

しかし、確りと己は劣っていると認識し、自覚すると・・・・俺は俺と成るし、他と違う之を普通と思う様に成っている。


之を世間が認めるか認めないか????・・・・当然、認めないから、世間が言う、規格・基準の普通が、まかり通っている事にも成る。


このブログを見ている、人の中で、何人の人が、世間が言う普通に入っているのか????

己は、世間が言う、普通と違うと感じるなら、何故、世間の普通を演じているか???

疎外されない為なら、世間には差別が有ると言う事にも成る。

人は、普通で無いと言う考え方が有る、全て特別の人と言う事・・・・

民衆主義なら、特別な人の集合剛体と私は思うが・・・・規格化され標準化された人達で構成された、集団は、共産主義の様に私は感じてしまう。

以前も書いているが、普通で縛る・・・この流れが怖い・・理由は権力者、搾取する立場と奴隷、搾取される側の二極化に向かうと感じるからに成る。

この様な独裁者的、権力者は、特別・特殊な人間を嫌う・・・・

嫌うから、囲い込もうとする・・・・敵にするより、己の器の中に飼っていた方が良いと言う考えに成る。

今、私は風貌・雰囲気も、劣っている、能力が無いと見られたいと考えている。

人は姿を見て、判断している部分が多い、男だから、体格が良いから等々で、勝手に持てる力も有ると思っている。しかし、私は肩に障害が有る・・しかし、その期待に対して応えようとすると、当然、肩を壊すことに成る。

その時の相手の言葉が、知らなかったと成る。その為に、私は肩に障害が有ると言う姿を見せなければ、世間は対処できないと言うなら・・・・目印に成る物を身に付ける必要性も感じている。