2019年3月3日日曜日

趣味の方も少し

趣味・・・今の私の趣味はRCドリフトに成る・・・・

ドリフト・・・この考えも色々有る・・・・

今の私は、ドリフトを感じる操作を楽しんでいる。

コースでは、周りの人からは????と思われていると思うが、車はグリップ走行に近い走行を行っているが、操作側は確りとドリフトを感じ楽しんでいる。

RCドリフトの世界でも、加重移動やアクセルで曲げる等々、ステア操作に頼らない、舵角に頼らない走法を、強調されて言われている様に、私もグリップ走行に見えるが、舵角に頼らず、車を操作する。旋回させる之を心がけて、走っている・・・・結果、グリップ走行に見えても、操作側は確り、リアが出ているドリフトを感じながら走っている事に成る。

勿論、簡単なら、直ぐに私も飽きる・・・・・RCドリフターが言われている当然誰しも出来る事が、私の場合、出来ないので・・・・先ずは、グリップ走行で、先に書いた、加重移動等の部分を練習しているし・・・練習でも確りと、ドリフトを操作する側は感じる事が出来ている。

又、その為に、今走らせている、テック・コンバは、ドリフト教習車と私は勝手に言っている。

先に書いた、加重移動や舵角に頼らない、アクセル操作でコントロールが出来る人なら、誰しも走らせる事が出来る車と言う事に成る。

しかし、不思議な事に・・・・この部分の思いは昔からあった・・・・しかし、今の私の感覚で昔の動画を見ると、舵角に頼り過ぎた、RCドリフターが言われている、加重移動等もフロントを引っ掛ける・・アクセル操作でのと言う部分が大きく少ない事が解り、恥ずかしいと成る。

舵角の動きが早過ぎるし、大き過ぎる・・・この動きを見て、当然、下手と成る。

もう少し、フロントの使い方、加重を載せれば、小さな舵角でも動く筈等々・・・色んな部分が見え出す。

結局は、実車等でのリアが出ている感覚・・・当然、ドライバーとしてに成るが・・・それをRCの操作で感じれるか????この部分が私は大事だと考えている。

ケツの穴で感じる、ムズムズ感・・・之が私は好きである。

今日は、3年前と思うが、正月に撮った、動画を掲載します。

二駆・・・ジャイロ無し・・・最大舵角は、実車のFT86の1/10最小旋回半径に合わせている。

ステアのパタパタ感が、強い事が解ると思うし、舵角表現が大袈裟と言う事は、減速側の操作・特にパワー系の操作が駄目と言う事だし、減速に対して当然、フロントにブレーキが無い事は解っているので、リアの9動輪側で最大限の減速の力を出せる操作が出来ていないと言う事に成る。

本客・客・・・・・下働き・・・

叔父の法事に伺って来た。

無事、終了・・・・母が心配していた、妹(叔母)の今後の展望も良い方向の様に感じる・・・

今月半ば、今の家を解体・・・その後、新しい家が建つ・・・・事に成ったとの事・・・

従兄弟の、次男が頑張った・・・・長男は、今まで問題が有ったが、叔父の思いが強く、手を付ける事が出来なかったが、他の従兄弟等の、努力で、別にアパートを借り、生活する方向に成ったらしい・・・・

今は、従兄弟の二男が、この一家の主体者と成って、頑張っている・・・・法事が終わり、色々話した・・・・しかし、私は古いタイプなので、基本 家長は長男・・・勿論、主体者は二男だが・・・この名代としての立場も辛いし、面倒と思うが、頑張って貰いたいと願っている。

この様な、価値観、考え方が有るのも、私達年代が、最終かもしれない・・・・

法事が終わり、お客が帰り出す。

今回は、家で行われていたので、当然、後、片付けが有る。

私達、夫婦は、母の名代として来ている・・・・しかし、甥の立場も有る。

本客でも有り・・・・下働きでも有る。

勿論、叔父の家には、孫達が居るし、それも結婚をして、いい年齢で有る。・・・・主体者の従兄弟は、離婚して、妻が居ない・・・・

この家に、女は???・・・・当然、叔母一人に成る。

之が、解って居れば、この孫達、何を考えているのかと・・・・私の嫁は成ったらしい・・・勿論、叔母に話したとの事だが・・・・・現代の人は之が普通と言われたらしい・・・

それを私に、嫁が言ううので・・・・だから、子供達の嫁に、期待をすれば、結局は裏切られるので、今の現実を良く知る事だと話した。

結局、嫁は、叔母の手伝いで・・・最後まで残って、この時間に成ってしまった。

叔父・伯母の送迎は・・・・従兄弟の三男が行ってくれた。

本来、20代・30代、者がするのが本来だし、この行動で、親族等の、家等々も覚える事が出来る。

しかし、終わったと、さっさと帰る・・・之が現代の風潮の様だ・・・

事柄に対して、客の立場でしか、物事を考えられない、人が増えている様だ・・・

事柄が有ると言う事は、その運営等々が有ると言う事、其れを誰がする等々、イメージ出来るし・・・人手がたっているか????等々も解る筈。

之が親族だと私は考えている。

之も解らなければ、他人となんら変わらない・・・唯、血縁が有ると言う部分だけに成る。
こう成ると、何で~~~面倒、何が、血縁が~~~と成って行く・・・

之が、親族や一族の崩壊に繋がる。

色々、学べるチャンスを、自ら放棄している事に成る。

名前消しの為の参加・・・なら、学ぶ点は無いし、之が無ければ、参加する意味まで無くなって行く・・・

解体前の、片付けに、伺う事にも成った・・・・之も、法事が終わった、後の色々な話で、この方向に成った。

この様な事を、逝った母は、褒めるか????・・・・叱るか????・・・・先に逝っている人に対しての、恩返しにも繋がると考えている。



法事・・・・

今日は、叔父の一周忌の法事が有る。

母の妹の夫に成るが・・・・・床屋さんで私も長年、お世話に成っていた。

私の上、三人の息子達もお世話に成った、叔父に成る。

闘病も長く・・・現代は、長く入院できないので、何度も、見舞いに行った記憶が有る。

人が老いる・・・この部分を教えた貰う事に成る。

人の一生を学ぶ・・・・私は大事だと考えている。

学べば、何が大事か等も解って行く・・・

叔父には、未婚の姉が居られたが、叔父が逝った、半年後に亡くなられた・・・・勿論、私の従兄・・叔父の子供達が、お世話、後始末等々・・・・・全てを行っている。

男兄弟、三人でに成る・・・・彼達も、50代前後の歳に成っているが・・・頑張っていると思う・・・

責任と義務・・・・当然、残っている者が背負う事に成る。

この部分を、分担する人が居ない・・・・之ほど、心配な事は無い・・・・

居なければ、結局は他人様に、この部分を背負わせる事に成る。之を、得と考えるか、損と考えるかも、考え方に成る。

又、親族でも、知らない・よく知っているでも感覚が変わる。
責任や義務の負担が変わると言う事で無い・・・之を背負う側の、気持ちが変わると言う事に成る。

何度も書いているが、人は、感情の動物と私は考えているからに成る。

しかし、最近は、この部分もクールで、冷静な人が多い様に見えるので、感情等は出ないと思うが、現実は???クールを装って居るだけで、その理由は、負からの逃げが目的かもしれない。

品が有る人、柄が有る人とも何度が書いたが・・・・何か咄嗟の時、直ぐに駆けつけて来る人は何故か、柄の有る人の方が多い感じがする。

一通り、段取りが澄んでから、品の有る人の登場と成る。

その後は、何時もの様に、段取りに対しての、指摘を始める。

勿論、後を受け持つ側は、平等意識が大事な為に、どの様な人にも・・・同じ、振舞いが大事に成る。

私の場合、母の実の兄弟は健在である。四人の兄弟が残っている・・・

母の父、私からだと、祖父は・・・サラリーマンで五人の子供を育てられている。

特に、戦後の大変な時期に成る・・・・今からだと想像も出来ない厳しい時代に成る。

先人の、凄さに対して、私は・・・・と何時も反省している。

法事は、又、色々学べる場に成る・・・特に、人としての部分を・・・・私の場合、之が大事だと考えている。