今日は、叔父の一周忌の法事が有る。
母の妹の夫に成るが・・・・・床屋さんで私も長年、お世話に成っていた。
私の上、三人の息子達もお世話に成った、叔父に成る。
闘病も長く・・・現代は、長く入院できないので、何度も、見舞いに行った記憶が有る。
人が老いる・・・この部分を教えた貰う事に成る。
人の一生を学ぶ・・・・私は大事だと考えている。
学べば、何が大事か等も解って行く・・・
叔父には、未婚の姉が居られたが、叔父が逝った、半年後に亡くなられた・・・・勿論、私の従兄・・叔父の子供達が、お世話、後始末等々・・・・・全てを行っている。
男兄弟、三人でに成る・・・・彼達も、50代前後の歳に成っているが・・・頑張っていると思う・・・
責任と義務・・・・当然、残っている者が背負う事に成る。
この部分を、分担する人が居ない・・・・之ほど、心配な事は無い・・・・
居なければ、結局は他人様に、この部分を背負わせる事に成る。之を、得と考えるか、損と考えるかも、考え方に成る。
又、親族でも、知らない・よく知っているでも感覚が変わる。
責任や義務の負担が変わると言う事で無い・・・之を背負う側の、気持ちが変わると言う事に成る。
何度も書いているが、人は、感情の動物と私は考えているからに成る。
しかし、最近は、この部分もクールで、冷静な人が多い様に見えるので、感情等は出ないと思うが、現実は???クールを装って居るだけで、その理由は、負からの逃げが目的かもしれない。
品が有る人、柄が有る人とも何度が書いたが・・・・何か咄嗟の時、直ぐに駆けつけて来る人は何故か、柄の有る人の方が多い感じがする。
一通り、段取りが澄んでから、品の有る人の登場と成る。
その後は、何時もの様に、段取りに対しての、指摘を始める。
勿論、後を受け持つ側は、平等意識が大事な為に、どの様な人にも・・・同じ、振舞いが大事に成る。
私の場合、母の実の兄弟は健在である。四人の兄弟が残っている・・・
母の父、私からだと、祖父は・・・サラリーマンで五人の子供を育てられている。
特に、戦後の大変な時期に成る・・・・今からだと想像も出来ない厳しい時代に成る。
先人の、凄さに対して、私は・・・・と何時も反省している。
法事は、又、色々学べる場に成る・・・特に、人としての部分を・・・・私の場合、之が大事だと考えている。
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