2025年7月30日水曜日

私にできる事・・・・・

 何が出来るのか????これを何時も考えている。この様な体に成っても人様が喜ぶことが出来ると思うっているし、喜んで頂く事が私には幸せに感じるし、この世に生きていると言う実感を得る事が出来る。今回の村祭りに私自身も協力できないで悔んでいる。人が喜ぶ顔を見たい、その為に私は生きていると思うし、それが生きる意味だと人間だからだと思う。昔、分を超え、子育てと家の借金返済のために、必死に働いていた時、夜遅く疲れ果てて家に帰ると、妻も子供達もすやすや寝ていた。その寝顔が私には、頑張れなければ、この状態を続けたいと言う思いが強く沸いていた。結果、子供が目を覚ましている時間は私は居ない・・・・寝ている間に仕事に行き、練っている時間に帰ってくる。子供からおじさんと言われていた時代に成る。私は何度も守ると書いている。守る事で裕福にする事でない・・・・絶対に守り切る・・・・・要はその人から好かれたり、尊敬されたりとは思って居ない、如何しても現代の価値観の場合、全てが上下感で上が下を庇うと言う感覚、その為に、上のレベルで求める下の思いも変わってくる。要は、人は相手の懐事情を知っていると言う事だし、この部分を見せて己の立場を創っている人も当然いる。要は過大評価のカタログで人を集めていると言う事、そのカタログに有る力が本当なら、これ位の手助けは出来ると思うが、現実には手助けもそのレベルの事もしない、結果、失望しか与えない。私は、力も能力もない、この状態なので、期待も受けないし、何方かと言えば除外・要らない存在、数に入っていない人間だから、己の思う方向に己の言動が使われる。感謝だと思うし、現に昨日、デイケアーの職員の人から、子供達が喜んでいると言う事で、スマホで撮影した写真を見せてもらった。カブトムシが好きな息子さんと言う事、私は、カブトムシとクワガタをペーパークラフトで作っていたが。それを気にして何度も見て有り・・尋ねると子供さんのカブトムシへの情熱を聞かせていただき、援助しないで持ち帰ってくださいと伝え、渡していた物が、子供達に頭の上に載ってはしゃいでいる写真、私は嬉しいし、感謝に成るし、当然、若い時に、色々な事を経験させてくれた社会にも感謝している。生きると言う事は、最後の死に向かっての、有る気に成る。成長家・発展期はそれ行けドンドンでも良いが、人は、劣り、老い、病に成る事は、当然に起きる、これを有ると言う前提で、どう生きるのか???それが問われる時が、若い時だと言う事に成る。私は、多くの諸先輩、お年寄りからの助言を確り人選しないとと思って居た。理由は、生きた経験値の高い人たちの助言・・・私も同じ世に生きているなら、それを信じて、遂行する事が結果として己を守ってくれたと今なら言える。しかし、少子化の流れには、五人の子を育てっても足らない・・・結婚相手の家は少子化、親守・家守・墓守も結婚相手の家の部分が発生している。長男はそれが納得できないと、今は、ストを起こして、私の家で寝泊まりしている。幸のお母さんと義理の弟が毎日来ているとの事、お母さんも癌の闘病の為に無る目に頼りたい気持ちも解るが、之も己が優秀な方だと思って居られるし、普通に生きて来たと思って居られる、之で病、癌・・・当然、長女が看てくれると思って居られる。不思議だ私は、大病で何度も危篤になった。今も少し、キツイものを言うと、息子達から死ねが良かったと言う。これを私はニコニコ聴いている。本当の他人に死ねとは言えないと思う、縁の深さから言える言葉、この言葉だけで事を考えれば、耳に聞こえが良い言葉しか認めない人達を輩出し続けるし。結果、誘導や先導に陥りやすい人たちを輩出する事になる。その方向に向かって、結果、急に病なった。どう対応する。この事もよく考えて居ない人が多いのが現在、天国のような世である。そかし、天国も見せ掛けであるし、その見せ掛けを大きくしていくことなど簡単、それより、どんな階級の人も幸福感を感じれる価値観を得たいと私は願っている。