2017年1月6日金曜日

本年初期の体重測定・・・

本年初期の、テック・コンバ、ケツカキの体重を確認・・・

1175gと表記している・・・

軽量化方向のケツカキの経験も私の場合無い・・・・

2駆では、シャーシだけだが800gを割る経験は有るが・・・・ケツカキでの経験は、無い為に、新たな経験を、今は積み重ねている・・・・

よく、RCドリフトカーの世界では重い方が早いと言われる・・・・この法則から行けば、遅くなる方向のセットに成る・・・

現実は、一緒に走っている人が良く解ると思うが・・・・私は早く走るこの方向の興味は無い、その為に、ライン取りも、最大距離を走る走法になる・・・・

又、樹脂系タイヤの問題・・・・摩擦熱でタイヤの表面温度が上がると、食いが強くなる・・・この変化も極力避けるために・・・無駄な回転はプロポで抑えている・・・・

RC的、特徴を極力無くす方向にしている・・・・

その為か、タイヤも殆ど減る事もないし・・・・お財布に優しいし・・・・元々が、塩ビ管で作っている為に、一台分100円以下と言う部分も魅力に感じている・・・・


この部分の考えも、何を基準い考えているかで変わる部分に成る・・・・私は財布に優しい、之を優先している・・・・次には、出来るだけ遅く走れる、真っ直ぐの食いが弱く、直ぐに横に出るタイヤが好みである・・・・この趣向に合うタイヤが、塩ビ管・水道管になった・・・・

昔、下手な分際は、スピード等々言う前に、腕を磨けと言われた事が有る・・・・・その言葉を、今でも心に刻んで、頑張っている・・・・其れを表す物が、タイヤだと私は考えている・・・

この言葉の意味を、自分なりに考えた、結果は、事故を回避できないスピードは無意味だと私は答えを出した・・・・分相応のスピードが有る事になる・・・・

遅いから追突された、之は、追突した方が基本悪い・・・・遅い車と解っていて、突っ込んでくる・・之が許される世界なら、どんな手段を使っても早い車に憧れる・・・・又、遅い車等がコースでは走れない方向に成るし、この状況に成れば、どんどんスピードが増す、スピード競争に向かって行く・・・

之が常態化すれば、前走は、後ろなど気にしないで、最速ラインを脇も明けず、早く走ろうとする流れに成る・・・・前が全速で逃げるなら、結果、追いかけっこの始まりに成る・・・

このスピード競争の意識が、ライン取りの好みも支配しだす・・・・

絡みを楽しむから、スピードの速さ競争で、速い之が良いと言う、ドリフトを中心に考えない方向性まで出て来る・・・

RCだから、所詮オモチャ・・・この考えも有るし・・・・何を目的にしているかで、考え方も変わって来る・・・・

不思議な世界である、リアが出易い方向、何故かRCドリフターは興味を持たない・・・真っ直ぐにスピードが速い、この方向には興味を何故か持つ・・・・

以前も書いているが、ドラックレースのジャンルで無い、ドリフトの世界で、何故、リアの牽引力のUP方向に興味を持つのかが不思議・・・・

結局、答えにはスピードを求める之が有るためだと私は考えている・・・・

この部分を昔の凄腕の人達の多くが、ドリフトはスピード競争でないと、私は耳にタコが出来るくらい耳にしている・・・・・

勿論、昔と今は違うという考えも有るが・・・・この言葉を私は大事に考えている・・・・

色んな人と縁して、色々な事を学んだ、之が私の財産と思っている・・・その人達の思いが宿題になっている・・・・・下手で無知で異端な私でも、この部分が有る・・・・

勿論、宿題の数は、分相応で少ないと思うが・・・・しかし、その宿題が私には難攻不落で難しい・・・・・しかし、宿題の提出の、義務が私には有る・・・この部分が縁してくれた人達への恩のお返しだと考えている・・・・

勿論、狭い地域での環境しか知らないが・・・広い世界は、確り、耳に入るトラクション等々を意識した回転等々が当然となっていると、言葉を信じている・・・・

マダマダ、私は、回転に無駄が多い、この部分は、トラクションの確保等々から程遠い・・・鍛錬が必要に成る・・・・情報が無い私は、言葉を信じるしか進む事が出来ない・・・・

昨年一年間での、車の変化・・・・

昨年一年間・・・・コースで走っている車の変化・・・・

端的に書けば、転がり感の変化の違いが一番大きく見える・・・・・

最近は、私の周りに居る、車、殆ど2駆だが・・・・・手で車を押すと、可也の距離、転がって行く車が増えた・・・・

以前は、特にPタイル上等では、サイドブレーキを全開に引いている様に、リアタイヤが転がらなく、引きずられて、前進する様な動きをしていた・・・・・

勿論、ケツカキの四駆も同じ方向の車が増えている・・・

この、基本部分の変化が、カーペットからPタイルへと車を走らせた場合に、挙動の変化が最小限に抑えられる・・・・

結局、アクセル操作というものは、トルクの制御を行っている、このトルクをどう表現できるかが、アクセル操作の意味に成る・・・・アクセルを入れる、之が有れば、アクセルを抜くこの操作も自ずとしている・・・抜く側でも止まる方向のトルクを表現している事に成る・・・

このトルク表現が上手に出来ないパワー元なら、操作が変な癖を作る事になる・・・

例として、凍結路面で・・・・発進も2速が良いと言われる・・・・・この事は、減速も2速以上のギアでのエンジンブレーキが良いと言う事に繋がる・・・・

仮に、1速の無理して、発進・・・・しかし、何処かでアクセルを抜く、勿論、クラッチを切る方法も有るが、クラッチを繋いだ状態で、アクセルを抜けば、止まり側のトルクで、今度は駆動輪が滑り出す・・・・

このイメージに成る・・・・・・RCドリフトの場合、パワー元が凄いパワーが有る・・・その為に、無駄に回そうと考えれば、際限なく回す事が可能になる・・・・・回せば回転下がりの、時間も延ばす事が可能になる・・・・・私は、アクセルを抜けないから、無駄だと解っていても、無意識に回していると考えている・・・・

何故、無駄か・・・・タイヤの高回転で回る事が、トラクションの確保に繋がらないから・・・しかし、無駄に回す、事で、今度はアクセルを引く側・抜く側での、トラクションの確保には繋がるし、多く回る回転からの下がる方向でのトラクションの確保、一気・一瞬に、バネで弾かれた様な加速をする・・・

トラクションの確保の考え方が、アクセルを入れる方向か、抜く方向かで、操作も違ってくる・・・・
この部分は、好みの世界だと私は考えている・・・

しかし、転がる方向の車に成れば、無駄に回す事が必要では無くなる・・・・この事は、アクセルを入れる側でのトラクションの確保も出来る状態に成っている・・・・

このトラクションを自由にコントロールできる状態に成れば、色んな変化にも対応できる方向に成る・・・・

しかい、以前も書いているが、ケツカキ草々の時と同じで・・・ぶん回す走法が先ずは進みだす、その後、転がる操作に変わっていく・・・・この時期が、又ケツカキの時には、色々な事が有った・・・

この再燃を恐れて、2駆の危険性を書いていたが、同じ事が2駆でも起き出して来ていると、私は危惧している・・・・

一旦、引き操作を身に癖として、着けてしまうと、押し操作が出来なくなる・・・・・不思議に、押し操作をしている人は、引き操作には苦労しない・・・・

この部分が、有る為に、基本を大事と書き続けてきているが・・・・

しかし、伺っているコースは、初心者や、経験年数の短い人が多い為に、対応力が凄い・・・・

車を走らせる・・・・・この事で、大事な部分がハーフと言う部分・・・・この状態で車が確り、安定して走っているか・・・・しかし、人の操作、ハーフと言っても、確り固定しる事が、出来ない・・・少しの上下動でも、安定しているかになる・・・・

仮に、実車でも走っている時は、ハーフスロットルと言う部分を使っている、この状態で、寸分も狂わなく、固定しているかと言えば、言えない・・・・少しの上下動も許容する幅が有る・・・・
RCの場合、少し上の1mm深く、入れれば、一気にホイルスピーンが起きる・・・この様な実車は無い・・・・実車で1mm深く踏んだら、RCの様に、激しいホイルスピーンをすると成れば、思い切ったアクセル操作等出来なくなる・・・・・実車でガンガン・アクセルが踏める、之にも意味が有ることになる・・・・

その為に、私は、駆動トルクを気にしている・・・・このトルクが大きい為に、色んな操作の意外感が出ていると・・・・・

前も書いたが、回転は十分有れば、それでよいと考えている・・・プロポで抑える事が出来る・・・しかし、トルクに関しては、抑える事が出来ても、大きい変化が出来ないし・・・
特に、アクセルを緩める方向に対しては、対処法が限られてくる・・・・

昨年末・・・・トラクションの塊の2駆と、評したMシャーシが有るが・・・・・ミニッツのブラシレスモーターを使用している・・・・・他と同じタイヤの銘柄を使っても、スピード域が全然違う・・・・

勿論、手で車を押した時の、転がり感も凄い・・・・・

この手で押した転がり感・・・・之を求めるために、数年前は、リアの面圧のUP、重量増を行っていたと私は考えている・・・・しかし、この牽引力UP方法は、路面とタイヤの関係性に敏感に反応しすぎる・・・・

又、昨年は、ローターの改造まで、行った、本来は禁断の果実と封印していた事だが・・・・この転がりを求める人が増えた為、解禁した・・・・・・

このモーター本体の転がり感、之も昨年は、気にする人が増えた感じでも有る・・・・この部分に長けるモーターを自然に選んでいる人が多い、昔からキーエンスのモーターは高いが良かった部分・・・・Tチャンが好んで使っていた・・・このメーカーのモーターが、昔は音がしない等々で、RCドリフトの世界では受け入れていなかったが・・・増えている気がする・・・・

本年は・・・・この駆動系の転がりを、どう増すか・・・・この部分も、そろそろモーター自体の改造が必要な状態に成ってきた気もする・・・

モーターが、現実に、私の好みのトルク感や転がり感が、現状のモーターでは無い・・・・

ドリフトの走行スピードは、私が経験している事が、基本とは思わないが、30km/h強のスピードで走る等々、見た事もない・・・・

この事は、30km/h位の回転の演出が出来れば、事足りると言う事になる・・・後はトルク感と転がり感になる・・・・

勿論、トラクションを意識したアクセル操作になるが・・・之を無視すれば、回れば回るほど、ジャイロ効果で安定している感じを得る事が出来る・・・しかし、安定感は、今度は重さに繋がって、躍動感を得り難くなる・・・

昔から書いているが、この感覚で作っているモーターが、現状では無い・・・元のパワーがドリフトの世界には有っていない・・・・トラクションと口で表現して、トラクションの確保と程遠いモーターを選んでいるのが現実・・・・

昔、トラクションを言っていた人に、トラクションの発揮なら、グリップ走行が一番、検証としては良いと言った事が有るが、絶対にグリップ走行をされなかった・・・・グリップ走行を意識して操作しても出来ないパワーが有る、これを証明している事になる・・・

何故か、この部分が、RCドリフトの世界ではタブー視されている・・・・・・

確りグリップ走行の出来る、トルク特性と転がり特性を得る事が出来れば、後はステア操作を意識すれば、簡単にグリップ走行が出来る筈・・・・

この時の、挙動を、好みにしていけば、ダンパー等の硬さも自ずと決まりだす・・・路面を確り掴んでいれば、ロールをさせたくなくても、ロールを起こす・・・

この後が、ドリフトの方向性に成る・・・

このグリップ状態を無視して、RCパワーを基本に、シャーシを作れば、重戦車方向に成るのは、必然に成る・・・・

この部分が、RCドリフトの初期の時の方向性で最終的に、方向性が大きく変わって来る・・・

実車の挙動の延長線上を望んでいるか・・・又は、RC特性の延長線上を望んでいるかの違いにも綱る・・・・


最近、モーターパワーが最低でどれほど必要かの検証を続けている、電費でこの部分を考えている・・・・

13.5Tでも、フルに使い切る走りをすれば、バッテリー容量が4000で15分もキツイ場合が有る・・・・勿論、ツーリングの世界で・・・・

バッテリーの持ち方で、どの程度のパワーが必要かも自ずと解る事になる・・・

RCドリフトの世界、全開等々表現が多いので、8.5Tでブースと等を使っていれば、本来なら5分程で、電圧が下がって走れなくなる筈・・・・・


しかし、この電費も最近、伺っているコースでは・・・伸びている人が多い事にも驚いている・・・

バッテリーの容量も関係するが、簡単に一時間以上の走行を続けられている・・・

この様な変化が続いている・・・・・之が意味している事を、考える事になる・・・

又、以前、スピードが遅いと、直ぐにタイヤを変える人が多かったが、最近は、基本のジャム・ポリカの状態で対応されているし・・・不思議によそから来られる人が、スピード域の早いタイヤの変更が増えだしている・・・・

淡々に周回を続けているが、何故か、ラップタイムが上がっている・・・・この事は、横へのドリフト中の速度の乗りが出来ている事になる・・・・ストレートの真っ直ぐは遅くても、ドリフト中が早い車に成っている・・・
ドリフトコースの特性上、ドリフトをしている時間が長い・・・之がラップタイムに大きく関係する・・・

凄い変化だと私は思っている・・・・・

真っ直ぐの蹴り出しより、横への蹴り出しに意識が変わりだしている・・・

後は、其れが楽な、モーターを探す事だが、無ければ、作る方向に成る・・・・・

色んな、経験が有るので、今年はこの部分も少しは研究したい・・・

伺っているコースが、色んな個性が居る、之が魅力だと私は考えている、その為に、色んな思いで作った車が有る、其れを試乗する事で、何かを得る事が出来る・・・感謝に繋がる・・・

何事も経験値を増す・・・之が大事・・・・・・・・増す為には、色んな個性の車を操作してみる事・・・之が金欠の私には良い経験になる・・・

最後に、一番の変化は、感覚の世界かも知れないが、ヨーが見える2駆が増えた事、この部分があれば、横に入れるスペースを作っている事になる・・・絡みを求めている走りにも繋がる・・・

結果、2駆とケツカキの違いが、解り難い状態に成って来た・・・・

お互いが、違いを認め合い、その中で、合わせる努力をしている事の証明だと私は考えています。







葬儀終了・・・

地域のお仕事が終了・・・・

喪主の公民館長、今後が心配・・・・

三人の子供育てられているが・・・・・全てが外に居る・・・

勿論、家庭も構えている為に、直ぐに対処は出来ないと思う・・・

他の隣組から、お前の所の隣組は、関係が薄いと指摘され続けているが・・・・
我が地域の、半分は、新興住宅街を抱えている・・・・その為に、無関心・関係ないという振舞いが得だという、流れが自然に身についている隣組になる・・・

考え様では、田舎でも都会的、考えに成る・・・

昔の、田舎の様に、痒いところも、手が行き届く、この様な状況では無いし、百勝だけで生活を立てていた、他の隣組とは少し、環境が違う・・・

今後、この様に独居老人に成られる人が増える・・・特に問題が男・・・・身の回りも私も含めて、全て嫁に頼っている・・・・飯も炊けない男は多々居る・・・・

遠くの親族より、近くの人・・・この部分が大事成ってきているが・・・現実の環境は、人との繋がりがドンドン薄くなって来ている・・・・・・

昔は、指揮を取る、地域で商売してあった、商売人が居たが・・・・最近は、小さな部落で商売が成り立たない、環境も有り・・・・殆どが、外で働いている、現役に成る・・・

結果、日頃の地域には、老人しか居ない、この様な環境に成ってしまった・・・・

外で働く人には、地域等が見えないのも当然・・・・地元であっても他所の話のようになる・・・

この基本スタンスの違いが、結果的に足元の環境を崩壊方向に向けている・・・・

勿論、生活の為には、お金も必要、そのお金を得るためには、外の世界に行くしかない、現状も有る・・・行くだけなら未だ良い、最終的に生活の場所さへ、外へと成っていく・・・・

資本主義の考えでは、この方向に進む事が、当然に成る・・・・・・・・・・・・・

結局、人も、物と同じ基準に成っていく・・・今現状の能力で価値が決まる・・・高齢者になれば、この価値が無い方向に成る・・・・この価値が有る人には人が寄って行く・・・・価値の無い人からは、人が去っていく・・・・・

悲しい時代だと思うが、之を人は選んでいる・・・・

結局、強い方向へと得が流入する流れに成る・・・

結局、資本主義だから、人の力が今後、必要に成ると私は考えている・・・

その様な、人を後継に作っているかが、今後の課題になっている・・・

今年は四年サイクルの年になる・・・・

今年は、我が隣組が・・・・地域の祭り事を全て仕切る、担当の年になる・・・

年度代わりの四月で、その責任者が、隣組の公民館担当者がする事になっている・・・

前回は、私がこの責任者となり・・・・かなり、苦労した・・・・色んな意見に対しての処理等々は、私が頑張れば済む事だが・・・・問題は、行う人の不足・・・

特に若い人等、全く協力されない・・・・結果、高齢の人の協力になるが、危険を伴う作業も有る為に、この運営側の、人材不足・・・・之が、最大の問題だった・・・

この様な状況の為に・・・・色んな意見も、結局は、したくない・・・・しない方向への意見になる・・・例としては怪我をしたら誰が責任を取るのか等々・・・・

その様な意見に、区長や公民館長に、地域保険等々の利用を進めたが、他の隣組からは無く、我が隣組だけのためと、却下・・・

この流れが過去から続いている為に、結果として、各隣組も、消化型で事を進めている・・・成っているので成っていると、理由に成らない理由で事を進めている為に、若者がドンドン遠ざかっていると私は考えている・・・

祭り一つを取っても、その意義や目的も解らないし、知ろうともしない・・・・成っているので従う、之では、他に興味が有る人達には何のアピールにもならない・・・・・結果、解る人と言っても、慣例に従うと言う、人達だけで事を進める・・・・この方向なら、先は無いと私は考えていた・・

今年、この責任者が、我が隣組では、振興住宅にお住まいの、人になるし、その人は今まで、何事も参加されていない・・・・・・・之も、順送りの為に、解る部分・・・

前回の責任者に成った、私の責任は、四年間の間の、私の振舞い方だと決めていた・・・・地域事に対して、興味を持ってもらう、若者を増やす・・・・

先ずは、参加、少しでも協力をしてもらえる、環境を作る・・・・その為には、愚直に、振舞う之が大事だと考えていた・・・

昨晩の、通夜の受付に5人以上の若者が付いてくれた・・・・之が変化になる・・・・

この様な、新しい人達の思いも、聴く耳も必要に成る・・・・・・過去から成っているから、成っているで、話が付く、人達では無い・・・・我が地域も移転され住まれている人も増えている、この慣例に従え、之では、事は進まない・・・・

この流れが、何故出来るか、簡単な理屈になる、上にいる立場が楽になる為・・・・上に立つ事が楽や良い事と、勝手に思い込んでいる・・・又、其れを目的と思い、上に向かう人までが居る・・・・
この流れが、常態化すれば・・・・・何の変化も無いし、逆に下に居る人は不満が増える・・・

その不満を、口で言う人は、今の時代、馬鹿を見る為に、誰も居ない・・・・結局、行動で表す方向に成る・・・・その行動が、協力しないに成る・・・・

結局は、振舞いを見せる・・・馬車馬の様に、働いて・・・・其れを馬鹿だと言う人が多い、しかし、見ている人は見ている・・・・この人の心に訴える、行動が出来るかになる・・・

私の村内でも、変わり者の馬鹿が私・・・・・人からは損すると思われているし、現実に損得勘定なら、損の方が多い・・・・・・

私は不思議な性格といわれるが・・・・この世でどの位、今の価値観なら損したかが、徳と考えている・・・・

結局、生きると言う事は、私以外に、どれ位、得を与えたかに成る・・・・得を与える事は、私に取っては損に繋がる・・・・

勿論、其れが出来る、時と、出来なくなる時とが有る・・・・出来る時は得を与え、出来なくなれば、若しかすると、得を頂く立場に成る可能性も有る・・・・これが人だと私は考えている・・・・

子育て、親の守・・・・等々に繋がる価値観だと私は考えている・・・

今は、まだハナタレ小僧の分際・・・・一所懸命に尽くす時期だと考えている・・・・・

尽くせば、矛盾・問題も見え出す・・之の経験が人の器を大きくしていくと考えている。

三流市民レベルの私が、この考え・・・・それ以上のレベルの人が多い国が日本国、本来なら、生き易い、環境が出来ている筈だが、現実は、逆に向かっている・・・

結局は、心の方向性、無限に向けて広げられるか、逆に、個・小に向けて縮めて行く、生き方かで、人のオーラが変わると私は考えている・・・・

昔の歌に有るが、「ボロは着てても、心の錦」この部分も少しは大事だと考えている・・・

結局、見せる事になるが、何を見せるか・・・先の歌詞の内容では、外見より、中身と言う意味になる・・・・又、この生き方が、昔の歌詞では、男の生き様と成っている・・・

私は、男と思っている・・・それなら、地域で男を見せる・・・・楽かキツイか???、勿論、キツイ・・・・格好良いか、悪いか??? 勿論、馬鹿にされる格好悪さと思う・・・・・
しかし、之が男の生き方という事だと私は、勝手に考えている・・・・

自己保身に、邁進する生き方は、本来、男の生き方だとは考えていない・・・・

その為に、周りは敵だらけという言葉も存在する・・・・・

裸で生れ・・・・・死ぬ時には、唯物的物は、何も持って行けない、裸で死ぬ事に繋がる・・・その間が、生きると言う事になる・・・何を残し、見に付けるかが問題に成る・・・・

若し、他の生物・・・蟻の生き方だ、一所懸命に一匹で、物に執着して、物を沢山、集めて、最後に死んで行く姿を見て、どう思うかになる・・・・勿論、蟻同士では・・・あの蟻は、一杯の物を持って羨ましいと思われていても、結局、次元が高い立場の人の目からだとどう見えるかに成る・・・

結局、次元や価値観が変われば、見え方も変わって来る・・・・この見える部分を一極で考える、之が問題を複雑にするし、逆に盲目にしていく・・・・・

見えない部分を見せる努力・・・・・之が振舞いになる・・・・この振舞い方で人が変化しだす・・・・

少しは、本年の、祭り事の、行事の設営も、若い世代の協力が得られる、兆しが見え出した・・・
過去からの、歴史、之を変える事は出来ない、しかし、今後に繋げて行く、流れで、又歴史を作っていけばよい事になる・・・・・
その作る、歴史が、出来れば良い方向が、望みである、之も私の欲になるが・・・・

この流れを、我が隣組から我が行政区全体に広げる・・・之も今後の課題・・・・
色んな問題が、鬱積している・・・之に手を付けようとする人が居ない・・・区長も公民館長も結局は名誉職で、何の変革も求めておられない・・・・

村の重鎮に受けが良い、人が選べられる・・・・上げ膳据え膳を受ける立場が望む人・・・・この流れを変える、可也難しいが、面白いと私は考えている・・・

その為には、何も無い、私が一番、良い立場・・・・失う物が無い、之が一番の力に繋がる・・・・

日頃が叩かれ、ホコリは出ているし、其れを誰しも知っている・・・・この部分が強みに成る・・・・

結局は、昔の考えになるが、「お天道様が確り見ているし、判断している」・・・隠す事が出来ないという開き直りの生き方になる・・・・

毎日、心が日本晴れ・・・この生き方を模索し続けている・・・・・中々、出来ないか、出来る可能性が有ると信じて生きる事になる・・・・