今年は、我が隣組が・・・・地域の祭り事を全て仕切る、担当の年になる・・・
年度代わりの四月で、その責任者が、隣組の公民館担当者がする事になっている・・・
前回は、私がこの責任者となり・・・・かなり、苦労した・・・・色んな意見に対しての処理等々は、私が頑張れば済む事だが・・・・問題は、行う人の不足・・・
特に若い人等、全く協力されない・・・・結果、高齢の人の協力になるが、危険を伴う作業も有る為に、この運営側の、人材不足・・・・之が、最大の問題だった・・・
この様な状況の為に・・・・色んな意見も、結局は、したくない・・・・しない方向への意見になる・・・例としては怪我をしたら誰が責任を取るのか等々・・・・
その様な意見に、区長や公民館長に、地域保険等々の利用を進めたが、他の隣組からは無く、我が隣組だけのためと、却下・・・
この流れが過去から続いている為に、結果として、各隣組も、消化型で事を進めている・・・成っているので成っていると、理由に成らない理由で事を進めている為に、若者がドンドン遠ざかっていると私は考えている・・・
祭り一つを取っても、その意義や目的も解らないし、知ろうともしない・・・・成っているので従う、之では、他に興味が有る人達には何のアピールにもならない・・・・・結果、解る人と言っても、慣例に従うと言う、人達だけで事を進める・・・・この方向なら、先は無いと私は考えていた・・
今年、この責任者が、我が隣組では、振興住宅にお住まいの、人になるし、その人は今まで、何事も参加されていない・・・・・・・之も、順送りの為に、解る部分・・・
前回の責任者に成った、私の責任は、四年間の間の、私の振舞い方だと決めていた・・・・地域事に対して、興味を持ってもらう、若者を増やす・・・・
先ずは、参加、少しでも協力をしてもらえる、環境を作る・・・・その為には、愚直に、振舞う之が大事だと考えていた・・・
昨晩の、通夜の受付に5人以上の若者が付いてくれた・・・・之が変化になる・・・・
この様な、新しい人達の思いも、聴く耳も必要に成る・・・・・・過去から成っているから、成っているで、話が付く、人達では無い・・・・我が地域も移転され住まれている人も増えている、この慣例に従え、之では、事は進まない・・・・
この流れが、何故出来るか、簡単な理屈になる、上にいる立場が楽になる為・・・・上に立つ事が楽や良い事と、勝手に思い込んでいる・・・又、其れを目的と思い、上に向かう人までが居る・・・・
この流れが、常態化すれば・・・・・何の変化も無いし、逆に下に居る人は不満が増える・・・
その不満を、口で言う人は、今の時代、馬鹿を見る為に、誰も居ない・・・・結局、行動で表す方向に成る・・・・その行動が、協力しないに成る・・・・
結局は、振舞いを見せる・・・馬車馬の様に、働いて・・・・其れを馬鹿だと言う人が多い、しかし、見ている人は見ている・・・・この人の心に訴える、行動が出来るかになる・・・
私の村内でも、変わり者の馬鹿が私・・・・・人からは損すると思われているし、現実に損得勘定なら、損の方が多い・・・・・・
私は不思議な性格といわれるが・・・・この世でどの位、今の価値観なら損したかが、徳と考えている・・・・
結局、生きると言う事は、私以外に、どれ位、得を与えたかに成る・・・・得を与える事は、私に取っては損に繋がる・・・・
勿論、其れが出来る、時と、出来なくなる時とが有る・・・・出来る時は得を与え、出来なくなれば、若しかすると、得を頂く立場に成る可能性も有る・・・・これが人だと私は考えている・・・・
子育て、親の守・・・・等々に繋がる価値観だと私は考えている・・・
今は、まだハナタレ小僧の分際・・・・一所懸命に尽くす時期だと考えている・・・・・
尽くせば、矛盾・問題も見え出す・・之の経験が人の器を大きくしていくと考えている。
三流市民レベルの私が、この考え・・・・それ以上のレベルの人が多い国が日本国、本来なら、生き易い、環境が出来ている筈だが、現実は、逆に向かっている・・・
結局は、心の方向性、無限に向けて広げられるか、逆に、個・小に向けて縮めて行く、生き方かで、人のオーラが変わると私は考えている・・・・
昔の歌に有るが、「ボロは着てても、心の錦」この部分も少しは大事だと考えている・・・
結局、見せる事になるが、何を見せるか・・・先の歌詞の内容では、外見より、中身と言う意味になる・・・・又、この生き方が、昔の歌詞では、男の生き様と成っている・・・
私は、男と思っている・・・それなら、地域で男を見せる・・・・楽かキツイか???、勿論、キツイ・・・・格好良いか、悪いか??? 勿論、馬鹿にされる格好悪さと思う・・・・・
しかし、之が男の生き方という事だと私は、勝手に考えている・・・・
自己保身に、邁進する生き方は、本来、男の生き方だとは考えていない・・・・
その為に、周りは敵だらけという言葉も存在する・・・・・
裸で生れ・・・・・死ぬ時には、唯物的物は、何も持って行けない、裸で死ぬ事に繋がる・・・その間が、生きると言う事になる・・・何を残し、見に付けるかが問題に成る・・・・
若し、他の生物・・・蟻の生き方だ、一所懸命に一匹で、物に執着して、物を沢山、集めて、最後に死んで行く姿を見て、どう思うかになる・・・・勿論、蟻同士では・・・あの蟻は、一杯の物を持って羨ましいと思われていても、結局、次元が高い立場の人の目からだとどう見えるかに成る・・・
結局、次元や価値観が変われば、見え方も変わって来る・・・・この見える部分を一極で考える、之が問題を複雑にするし、逆に盲目にしていく・・・・・
見えない部分を見せる努力・・・・・之が振舞いになる・・・・この振舞い方で人が変化しだす・・・・
少しは、本年の、祭り事の、行事の設営も、若い世代の協力が得られる、兆しが見え出した・・・
過去からの、歴史、之を変える事は出来ない、しかし、今後に繋げて行く、流れで、又歴史を作っていけばよい事になる・・・・・
その作る、歴史が、出来れば良い方向が、望みである、之も私の欲になるが・・・・
この流れを、我が隣組から我が行政区全体に広げる・・・之も今後の課題・・・・
色んな問題が、鬱積している・・・之に手を付けようとする人が居ない・・・区長も公民館長も結局は名誉職で、何の変革も求めておられない・・・・
村の重鎮に受けが良い、人が選べられる・・・・上げ膳据え膳を受ける立場が望む人・・・・この流れを変える、可也難しいが、面白いと私は考えている・・・
その為には、何も無い、私が一番、良い立場・・・・失う物が無い、之が一番の力に繋がる・・・・
日頃が叩かれ、ホコリは出ているし、其れを誰しも知っている・・・・この部分が強みに成る・・・・
結局は、昔の考えになるが、「お天道様が確り見ているし、判断している」・・・隠す事が出来ないという開き直りの生き方になる・・・・
毎日、心が日本晴れ・・・この生き方を模索し続けている・・・・・中々、出来ないか、出来る可能性が有ると信じて生きる事になる・・・・
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