2018年4月10日火曜日

オッチャン・・・父ちゃん・・・

オッチャンと電話が有る・・・

近所の女の子・・・・ラックを買ったので、組立てて・・・・

嫌といっても、無理やり持ってくる子・・・

組立て作業を行った。

自動車も親の車を乗り回している。
その為に、母親が足が無いと、嘆いているが・・・子供には関係ないと言う雰囲気・・・

親に作ってもらえと言っても、色々言い出すので・・・最近は、余り言わなく私もなった・・・

この作業が終わったら・・・・今度は父ちゃんと・・・四男が・・・・

会社に提出する書類で、地図等々が書けないと・・・私に依頼・・・

色々する事に成る・・・

之も親の勤めんのか????・・・・解らない・・・

技術が無い

操作技術・・・勿論、RCドリフトカーに成るが・・・中々、思う様にならない・・・右腕の怪我も少しは影響していると思うが・・・・怪我より大きい要因は、RCカー独特の操作の癖が抜け無いのが一番の原因だと考えている。

最近、色んな車を試乗もしたし、して来たが・・・・自分の車より、非常に操作が楽に感じる、私の独特のRCカーの操作で走る、車と言う事にもなる。

勿論、このレベルでは、素人レベルと言う事になる・・・基準をRCドリフターが言われている表現等にしてしまうと素人と成る。

私の操作技術では限界点に近い、車が、今の私のテック・コンバ、ケツカキになる。

昔から、徐々に難しい方向にはして来たが・・・・今回の車は、難攻不落、過ぎる・・・・

狭い範囲だが、色んな人に試乗してもらうが、殆どの人が悶絶される・・・・勿論、その様な人の車を試乗すれば、私の技量でも走れる。

私が考えている、実車ポサ・リアル感を感じる為に、進めてきた事だが・・・・外部操作と言う、宿命の克復は、私のレベルだと、到達不可能の世界かもしれない・・・


しかし、簡単に走る車なら、当然、コースに伺う意味が無い・・・又、コソレン場とうで自主練もしないと思う・・・

走る楽しさとは????・・・・之も色んな考え方が有ると思うが・・・何なのかも未だに摑んでいない感じがする。


元々が、RCはRC的考えで、RCドリフトも取り組んでいたが・・・RCドリフターの思いや情熱に、私も感化されて、この様に成った。

実車さを求めれば、当然、実車の考え方、セット方向に向う・・・・・しかし、外部操作の場合、難しくなることも、解っていて、何故か続けている。


有る友が言っていたが・・・・私は本来、RCドリフトを見切って、飽きている・・・と・・・言われた事が有る・・・・しかし、今まで言われてきた事を宿題と捕らえて、答えを出す、義務が有ると感じてしているとも言われた。

若しかすると、義務を使命と感じているのかも知れない・・・・

下手の立場だから、色々出来る・・・コースで失敗しても恥じる思いも無い・・・・自分に取って、難しい方向性が、RCドリフターが言われている事だと信じている。

理由は、RC独特の走らせ方等々言われた時代がある。勿論、何が悪い、RCはRCと反論していたが・・・・・結局は、多数派の言葉に感化された事に成る。

色々試せる場が、有るだけ幸せと、感じているが・・・・体力の限界、五感の衰え等々が、今のネックに成っている。

この部分も、整える、当然、日頃の生活で変えて行くしかない部分に成るが、節制を頑張りたい・・・


文化・歴史・・・

よく・・・耳にする事で、目立つ、出世する等々は、何故か、次男等々の長兄では無い立場が多いとの事・・・・
自分だけを考えて、自分の能力を信じて、攻撃方向に邁進できる・・・・・

価値観と思うが・・・・長兄の立場と言うものは、色んなものを不思議に背中に背負って居ると言う事に成る。

その中には歴史も有る・・・・

日本国を考えた場合・・・長い歴史を継承し続けてきている・・・・世界的に見ても不思議と思われるほど、長い年月を続けてきた歴史に成る。

その中で、文化が育ち、習慣等々も出来上がってきている。

国も歴史が有り、背負って、次に繋ぐ、この様な国も有るし、出来たばかりで歴史も無く、文化等々も創り上げていく国も有る。

人の世界でも有る様に、国も同じ様な部分が有ると私は考えている。

しかし、日本国民が、何を模範にしたか????・・・・・終戦後は、歴史の浅い、文化も浅い、アメリカと言う国に憧れて、その文化を吸収しようと頑張った時代が続いた。

結果・・・今の世の中に成っている。


今では古風と言われる考え方も、現存と有るし・・・アメリカ的考えの人達も増えている。

情報機関である。マスコミ等々も何を模範としたか、当然アメリカに成る。

結局は、目から耳から入る、情報は・・・殆どがアメリカ的、価値観を得ている事に成る。


不意に思った事が・・・・大阪に居る、困ったチャンの弟は、大牟田の施設に居る・・私より2歳ほど歳が多い・・・・彼が亡くなった時は連絡をして貰うように、頼んでいるが・・・之も定かでは無い・・・
先に逝っている、老婆の子供・・・一緒の墓に入れてくれと言うのが、老婆の口癖だった。

勿論、私が先に逝く可能性も有るし、其れまでには年月も経ち、職員も変り・・・青年後見人も変ると思うが・・・この老婆の思いに答えてあげる事が出来るかも、考えれば不安が過ぎる。

勿論、現代の価値観なら、関係ないで、考えもしないことだと思うが・・・・何か責任を私は感じている。

又、この施設には・・・・地域の先輩の姉も入所している。
先輩は不幸に、商売を失敗されて、この地域から去られた・・先輩の子供と、私の長男が同級生に成る。

老婆が健在の頃は、一緒に施設に面会等々も行っていた、その際、先輩の姉さんを見る事が一つの安心だった。
しかし、先輩が亡くなったと、風の噂で耳にした・・・・施設に居る姉さんは・・・と頭を過ぎった・・・・

今では、老婆も亡くなって居るので施設の面会が、親族で無いと出来ないので、長く行っていない・・・

心配だけしても意味が無いと、忘れる方向性もある・・・・しかし、忘れる事が、日本人として正しいのかとも考えている。

私は、三流市民と思っている、力が無いから、縁した人達を大事にしたいと考えている、一人では弱いと昔から言われている、弱い立場なら大勢の人と縁した方が良いし・・・

どの様な人かは、当然、この様な私でも必要と思っている人とに成る。







リハビリ・・・

今日は、嫁の公休日・・・私は、リハビリ、嫁は休み中に済ませる事で、午前中は終わった・・・

昨晩は、四男と少し対話・・・・色々、不満が有る様だし、有る事は当然と思う・・・

現代の環境や社会で学ぶ事は、昔なら夢話の世界・・・之が、現実に成りつつあるのも解る・・・

昔、アメリカのホームドラマが、日本でも放映されていた・・・夢の様な世界・・又生活習慣等々も、羨ましいし・・・・家電品等々の充実ぶりに、夢を感じていた。

笑われるかも知れないが、私達の年代の子供時代には、テレビが無い家も有った・・・家に風呂が無い、当り前で、協同風呂と言う施設が有った・・・・勿論、洗濯機も無い・・・洗濯も堀でしている・・・
冷蔵庫、氷当を求める為にはお店に行く・・・之が普通だった・・・

雪が降れば、家の中に舞い込む・・・・家の外と中との気温差等、無い時代・・・・換気が良いので、結露も無い・・・窓の内側に霜が付くこの事はお金持ちに家と言う事になる。

又、子供達は基本、外で遊ぶ・・・お腹が減れば、基本、家に帰る・・・若し、外で遊んでいる時に回りに食べ物が有れば、物色して食べる。

食事といっても、白ご飯を食べられれば、上等・・・・おかずは、家の回りに生えている植物、その当時は野菜といっていたが、現代の目で見れば、植物程度に見える。

住まいは、当然、大家族に成るし、現代よく耳に入る自閉症で閉じ篭る・・・この篭る場所も無い・・・

この様な時代なので、学校に行ける、これも、一家の代表として、恥をかかない様にという部分を小学校の頃から・・・命に刻まれていた・・・その為に、緊張する余り、行進等では、手と足が同時に出る子が沢山居た・・・

服装も、当て布をした物、最後の最後まで使う・・・・靴下も同じ・・・殆どがお下がりのお古・・・

こんな環境の時代に、何を欲しがったか???・・・・私は小刀だった・・・先輩達が竹で色んな物を作って、遊びに使っていた・・・其れを作る為には、小刀が要る・・・・勿論手にしたが、何度も怪我をした。

水泳も、堀で習ったと言うより、端から先輩に落とされた・・・・必死に掘り岸にたどり着いたら、何故か自信が出て、泳げるようになった。

現代なら虐待や虐めになる・・・・

お腹が寝れば、回りにあるものを物色して食べる・・・現代なら窃盗に成る。

田舎の我が地域も、小学校高学年位から、一気に世の中が変わりだした・・・・新鮮な物が有る時代・・・お店にカビが生えたパン等が当然として売っていた時と大きく変わる。

買う為には、商品を吟味する目が要った時代・・・又、食材を口に含み、大丈夫か当等の判断が必要だった時代・・・・

笑われるかも知れないが・・・・田畑を走り回って遊んでいると、ダラガメに落ちて、臭い・臭いと笑われ時代・・・・人の排泄物を溜めていたカメの事・・・

四男は時代が違うと言うが・・・・大事なことは、この様な時代が不幸だったかと言えば、私は不幸だとは感じていなかったし・・・今、考えても一番、生きている実感が有ったし、毎日が変化に冨、楽しかったという思いでしかない・・・・之を解って欲しい・・・

恵まれている環境に、居る事が幸せとは限らない・・・人との関わりで、どう感じていたが、大事・・・・・

不幸で、虐待が当然・・・小さな子供にまで、責任を負わせ・・この様に感じるのも、今を基準にしているために成る。

その基準をどうするか・・・之が価値観にも繋がる・・・・・社会人と成ったなら、背負うこの部分を考えるべきと私は話したが、四男には損、キツイ・馬鹿がすること位の認識しかない様だ・・・

我が子だけと思うが・・・嫁が、子供に甘過ぎる・・・結果、基準のレベルが非常に高過ぎる・・・

私はよく分と書くが・・・分には勿論、自分の分も有るが・・・自分と言う部分も色々有る、一家も含みでの自分なのか???・・・・親族も含みで自分なのか???・・・・先祖も含みで自分なのか???・・・

この自分の、範囲が、我が子の場合、非常に狭い・・・・

之を器が狭い、男気が無いと私は四男に教えたが、理解出来ないで居る。

最低でも、上に書いた、範囲の器が、男には必要に成ると私は考えている。

勿論、それに、社会人としての、会社が入り、又仲間が居れば、その仲間も含みでと成る、分が必要に成る時が来る。

之が解らなければ、一生、孤独な生き方に成ると・・・・・