普通の肺炎・・・・年間、10万人ほどが、亡くなっていると言われる、勿論、日本国に成る。
普通の対応をしているので、問題視もされていないと思う。
10万人の死亡者を出す、肺炎・・・しかし、この数で、医療崩壊する等々の話も聞いた事が無い。
昨年、普通の肺炎・新型コロナによる肺炎・・・の合計の死亡者の数は・・・当然、医療他いする等々の大騒ぎになっていたので・・・・二倍以上、騒動の状態を観ると、10倍ほどの死亡者が出ていても、不思議でないと私は考えている。
若し、昨年、肺炎等による、死亡者の数が、逆に減っていたと成れば、何故、医療崩壊にと成ったのか?????・・・・特別な事を医療機関に求めたためともいえるし、それを求めたのは?????基本は庶民の思いに成るし、その思いは恐怖が強かったためと思う。
何故、恐怖を抱いたのか?????当然、扇動や誘導が有ったからあと言う事に成る。
私は理工系の人間である。その為に、10の仕事をする為に、10必要だったと言う事を普通と考える。
20の仕事をする為には、当然、20が必要となる。
論理的に又は客観的に考えれば、物事とは、本来、この様な事だと私は考えている。
しかし、特別と言う単語が付いた時から、話が変わり出す。
普通の事を、普通に淡々に進めればよい事だが・・・・そこに、特別という、思いが良い結果を生む場合も有るが、逆の方向に成る事の方が多い感じがする。
しかし、治療の方向に、特別等々有るのか??????・・・・風邪の症状なら、風邪の対応の処置しか出来ない・・・しかし、特別だと言う思いが有ると、患者側がそれ以上を求めるし、医療側も当然、特別とは????と言う、思いも出て来る。
新たな治療方法が、見つかるまでは、既存の対処方法に成るのは仕方がない。
しかし、患者側は、簡単にその様に思えないと言う事に成る。
昔から、大局観に立てと言われている。
視野を広げてみると言う事・・・・
若し、私が、人を治す、修理人、医者と成って居たら・・・・既存の治療法を試すと思うし、トライ&エラーを試す可能性もある。
既存の風邪の対処に成るし、既存の肺炎の対処に成ると思う。それ以外の対処方法を知らないからに成るし、私は機械の修理人なので、トライ&エラーも有る程度、許されるが・・・人の命に関わる事なので、最後の手段と、最後まで使わない可能性もある。
要は、既存、普通の治療しか出来ないと言う事に対して、特別を求められたら、対象方法が無くなると言う事に成る。
本来は、受け入れない、要は自宅療養等々の部分が、変わって、医療機関がひっ迫する方向が、特別と言う事に向かっていると言う事。
国として、行政として、特別だから、特別な対応を取れと、又、庶民が言い出す。結果、民意で動くしかないので、国として、行政として、出来る、特別な対応をすることに成るし、それ以外は出来ないと言う事にもなる。
周りの人に、今回の感染症の事を聞くと、怖いと言われる。何故と問うと、死ぬ可能性が高い病だと言われる。
私は、普通の風邪と言われる病でも、最悪、死ぬ、同じで無いかと再度、問うと・・・全然違う、死亡率が違うと言われる・・・・その為、当然、知って居られると思える、死亡率の違い、どの程度違うかを尋ねると、ここから、返答が変な風に成る。
要は、思い込まれている・・・信じてられる、狂信者の様な、返答に成って行く・・・・
最後に言われるは、人の命程、大事なものは無いと言われるが、先に書いている、平年、肺炎で、10万人の人が亡くなっている・・・命を無くしていると言う事、当然、何か対応を考えて居られると思うから、尋ねると・・・・顔色が一気に変わり、先に書いた、狂信者の支離滅裂な返答に成って行く。
命が大事なら、当然、毎年亡くなっている、肺炎の夜、10万人の死亡者を減らす、策位は、考えて居られると思うが・・・・様は、情報で得ていないので、知らないと言うのが本音と言う事・・・・・・
人が亡くなると言う事は、必然と私は考えているが、その様な人は、駄目な事だと言われる。
駄目なら、当然、平年、肺炎等で亡くなる人も、駄目だし、その駄目を解決するための、知恵を持っておられると思うが・・・無い、・・・
私は、特別と言う事は、無いと思う・・・病に対しての取り組み方は、全て同じだと考えている。治す為と言う思いが有るか???と思う。
簡単に書けば、今まで風邪に成った事は、有るが、大事にならす済んだと言う事は、感謝に値する事と言う事に成る。
私は、地球上に起きている事は、普通の事だと考えている。
しかし、何が負に成る影響が有ると、特別な事が起きたと思っているに過ぎない・・・・
何度も書くが、生きていれば、病にも成る・長生きできれば、当然、老いる・・・最後は死と言う、この普通の事を、特別、有ってはならない事と思っていること自体が、不必然と私は考えている。
捉え方だと思う。生きているだけで幸せ、感謝と思えるか????無いか利に成り楽を感じないと、幸せと感じなく、当然、感謝等の思いにも成らないと言う価値観を刷り込まれたかに成る。
人は、欲が深い・・・孫が生まれた時にそれを感じる。
母子共に無事を祈り、生まれたら、手足の数を数えている・・・要は、様相を気にしていると言う事に成る。
私は、三流なので、この傾向が強い・・・・一流や優秀な人は、表面的、様相で右往左往しない人と私は思っている。
それに近付きたいと、頑張るしかないと考えている。