2022年2月18日金曜日

9時・・・そろそろ終わるか????

 夕方から、噂・情報を得て・・弔問客が続いている。

自宅の場合、その都度に対応し、色々な話になるので・・・・時間が掛かるし、新は弔問客が来てから、前の人が帰られると言う流れに成っている。

感謝である、高齢で、周りに迷惑を掛け続けていた父・・・・喧嘩時機が強く・・・トラブルメーカーとも言えるが・・・間違っている事を言っている訳では無い・・・余りにも真っ直ぐすぎる、原理主義過ぎるから・・・行動が激しくなる。

この様な人でも、弔問客が居る・・・有難いし、感謝と成る。

若し、明日の会を、しなかったら・・・之が数日続くと思うと・・・受け入れ側も大変と成る。

勿論、高齢で、この地域から10年ほど、居なかった人・・・・・その分、弔問客も少ないと予想して・・・葬儀屋さんには依頼している。

又、この様な時・・・情報の伝達、噂の広がりも遅いと思う。

情報が無く、知らなければ、人は動かない・・・・しかし、知った時には・・・当然、何故と言う疑問を投げかけられる。

今、隣組から、欠席すると・・連絡が有った・・・仕方が無いし、時期も時機・・・しかし、受け入れ態勢を整える事は必要だと思う。

行きたくても、行ける場所が無ければ、動けない・・・・現状がこの状態だと思う。

これを打破する為には、非常識・バカと言われると思うが・・・受け入れると言う態度を示す必要が有ると私は考えている。

時勢に流される・・・之は簡単だし、一般には普通の行動と言われる・・・流されて良い結果が出る保証が有るなら、それも認めるが・・・私は、良い結果は出ないと思っている。

それなら、この流れに逆らう必要も出て来る。弔問したいと思うか、思わないかは、各自の勝手・・・・だから、受け入れ側は扉を閉める・・・之では変化は無いし、改変も起きない。受け入れ側が確り準備して、待つ・・・後は、各自の判断だと私は考えている。

変わり者の異端児だから、出来る事だとも思っている。

今の常識、普通が正しいかは別問題に成る。正しいなら少なくとも良い方向に全てが向かい筈である。しかし、悪い方向にしか向かっている様に感じない・・・

今は、何度も書くがフルイに掛けられている状態・・・生き残る人も居る。死ぬ人も居る。

そのフルイに乗るか、乗らないかで悩んでいる。しかし、進む道はフルイの向こうにある。

父は、院内感染でのコロナ死亡者に成る・・・要は、フルイに残らず、落ちてしまったと言う事・・・・仕方が無いと思うし、寿命だと私は考えている。

生れる人が居るなら、当然、死ぬ人も居る。これが現実である。

死ぬ事は、非現実でない・・・誰しも経験する現実である。

現実から逃げると言う事は、死からの逃避も有ると言う事・・・受け入れた上で、どう生きるかが生きると言う事だと私は考えている。

責任と義務

 私の息子達は、無知だし、経験不足・・・・三流の親の子らしいと言えばその通りに成る。

責任や義務と私が使い分ける事に対して・・・同じと思っている。

以前書いているが、妻と嫁との違い・・・之と同じ様な事に成る。

責任と言うと、基本、負う・取ると言う、言葉が続く・・・要は、しなければ成らない事をしたくもないが、するという意味の方向に成る。

義務とは、将来に向かって、挑戦すると言う意味が有る。

今は出来ないが、将来 必ず行って見せると言う思いが有る・・末広がり的、使い方を私はしている。

妹の行動は、責任を取っていると言う方向だし、その為に責任は負いたくないと言う考えも出て来る。

義務とは、厳然と有るが、無視する事も可能だし、それに対して、周りは色々言わない。

結果、心の動き・・義務を果たしたいと言う、誓いと・挑戦だと私は考えている。

今の俺は出来ないが、絶対に今後、成し遂げると言う思い、誓いだと私は考えている。

同じ様な意味に捉えているが・・違う言葉が多々ある。

微妙な違いだが、大きく違う部分が有る。

背負う責任が有る。背負えなくても今直ぐ背負う必要性が出て来る。当然、逃げたいし、避けたいと成る。

義務とは、時間軸に余裕が有ると私は考えている。

今直ぐ義務を取れという言葉は余り、耳にしない・・・義務に対して挑戦を続けていれば、自ずと力が付いてくる。結果、義務を果たせる。

力が付く実感が出てくれば、義務は己を成長させる事だと思うが・・責任は何故か心が重くなる方向に成る。




前準備終了・・・・

 今、思い出せるだけの前準備が終了した。

○○家の家長代理から、家長と私が成る。家長として、先代の家長を送り出す、儀式・葬儀をする、義務を強く感じた。

今回は、全て、私が支えることに成る。

前回の母の葬儀も同じだったが・・・母は己の葬儀代と貯めていた為に、私は助かったが・・・

今回は、妹が全てを管理している。管理している側が、私、知らない・興味が無いと言われると・・・・何も出来なく成るが・・・今度は立場と言う、私の場合、家長と言う・・責任が一気に高まることに成る。

要は、○○の社長の立場、先代の社長が亡くなり、知らない、何もしないとは言えない・・・勿論、その人が何も残さず、逆に負を残して居ても、周りは認めてくれない・・・之が現実だし、社会と言う世間に成る。

叔父達と話・・・叔父達の思いも大事だし、特に、叔父達の子供にも見せる責任が、私には歳が多いから有る。

この様な儀式は、年々、簡素化する流れに成っている。しかし、大事な事を伝える場でも有ると私は考えている。

今、長男が帰った、私の行動等を、確り見ていてくれた。之も教育だと私は考えている。

後片付けが必要な様に、前準備と言う部分も大事だし、それを学ぶ場も必要だと考えている。

又、私の次の年齢の従弟から、俺達は、何時に来ればと言う電話。前準備等の下働きを行うと言う覚悟の上の電話で有る。

私は、この様な部分に大きく助けられてきた。私一人では無理と成っても、手助けして来る人が居れば、可能に成る事も有る。

葬儀屋さんも、現代は~~~と言われた・・・主催者側の名前を書いた、お礼文に・・・妹の名前を入れてくれと頼んだからに成る。

要は、何もしないと言う立場も、立場的には、父の長女・・・会社で言えば、専務と言う形に成る。名簿を出すのに、何もしないからと、専務の欄を消す訳にはいかないのが、現実

色んな、価値観が有る。その場だけ、将来を見据えた・・・又は、もっと遠い未来まで見据えた・・・・

今回も、お金は掴みだしになる・・・貧乏人で金欠だが、するべき事はしなければと思っているし・・・父に対してお礼の意味も含んで切る。

父が居たから、私が居る・・・私が居るから、息子達が居る・・・孫達が居る。

未来に向かい、人の数だけは末広がりに向かっていると私は信じている。

これも、父が居たからに成る・・・・要は、過去より、今、今より未来・・・この捉え方と思う。生きるなら、未来に向かいたいし、未来はよく有って貰いたい思いたい。

これが、夢だし、希望と成る。

利己主義は、夢や希望を食い尽くす価値観だと私は思っている。

生きているなら、夢や希望を生み出し続ける・・・この生き方が私は好みである。

後は、三男を待つだけ・・・父の遺骨に会っていない・・・確りと、感謝の思いを父に伝えさせたいと私は思っている。

何時ものパターンに成るが・・三男は気掛かりである。

バカの様に、両てんびんに掛け・・・己の価値観で重いと思う方を優先している。

人の価値観を介入させない・・・

三男は、今日中に遺骨の前に座らせたいと私は考えている。

強制と言われても、大事な事は大事だと、示す必要が有るし、私の思いも知ってもらいたい。



父に感謝・・・

 6時・・・福岡市葬祭場 刻の森に着いた。

国道385号も、規制が解除され・・無事に行く事が出来た。

驚いた・・・凄い大きさの火葬場に・・・・・時間外の為に、施設はフル稼働していない・・・結果、入り口が解らない・・・それ程の広さと言う事にも成る。

田舎者の私達・・・初めての場所・・・受付を探し・・・待機所を教えて頂いたし、広いので案内人が先導してくれた。

入ると、妹・・・甥が居た・・・甥とは15年以上、合っていない・・・妹は家族の事を全く話さないし、父もそれを心配して、面会に来る時の妹の言動で・・予想・想像したことを私達に電話で話していた・・・この程度の情報で、結婚したのか、子が居るのか???等々が解らなかったが・・・血の繋がりは怖い・・・次男と甥とが、久しぶり、お互い歳取ったな~~~と話が盛り上がっていた。結果、甥の今の状況を、知る事が出来たし、メール等のアドレスの交換も出来ている様だ・・・

妹以上に、心配していた甥の情報を得る事が出来た・・・父に感謝に成る。

妹は、母が死ねば、母の親族との縁も切れると思っている。この様な価値観の人も最近は増えている様だ・・・要は、仲介役と言う立場が居なく成れば、その先との縁は無いと言う考えの様だ。

これも、色んな事柄に対して、面倒や損しかないと言う捉え方をしている様だ・・・・・この考えが、一般化しているなら、心配もしない・・・以前も書いているが、我子も結婚し、他人様の子と共に生きることに成る。若し、妹からは古いと言われるが私の様な考え方の、親御さんが居られたら・・・問題も出て来ると私は考えているし、頭を下げる立場の親族も最終的には必要だと私は考えている。

要は、色んな、価値観に太陽する為には、己だけでは無理だと言う事・・・その為に、親族と言う色んな価値観に対応できる、人達が居た方が、結果として、己を守ることに成ると考えている。

仲持・すり合わせをする立場・・・之も必要に成る・・若し、この部分が無ければ、価値観の違いを埋める事が出来ず・・喧嘩・破綻に向かうのは必然と私は考えている。

家族・親族が居ると言う事は、己に取っては、得と取るのか???損と取るのかの違いに成る。

以前も書いているが、この様な事を、柵「しがらみ」とも言う。この言葉を聞いて、良いイメージか、悪いイメージかも各自で違う・・・又、時と場合で違う筈である。

水の流れに柵を立てると言う事に成る。若し、柵が無ければ、水の流れと共に流れ去る。

柵が有るから、留まる事も出来る。人は、水の流れに逆らい、遡上を試みる時が有る。

その時に、柵は邪魔だと思うが・・・水に流されている時は、柵が命綱に成る時も有る。

永遠に、人は遡上が出来るとは、私は思わない・・・体調が悪い、弱る時も有る。

この様な部分も人としては、大事な部分で有る。