夕方から、噂・情報を得て・・弔問客が続いている。
自宅の場合、その都度に対応し、色々な話になるので・・・・時間が掛かるし、新は弔問客が来てから、前の人が帰られると言う流れに成っている。
感謝である、高齢で、周りに迷惑を掛け続けていた父・・・・喧嘩時機が強く・・・トラブルメーカーとも言えるが・・・間違っている事を言っている訳では無い・・・余りにも真っ直ぐすぎる、原理主義過ぎるから・・・行動が激しくなる。
この様な人でも、弔問客が居る・・・有難いし、感謝と成る。
若し、明日の会を、しなかったら・・・之が数日続くと思うと・・・受け入れ側も大変と成る。
勿論、高齢で、この地域から10年ほど、居なかった人・・・・・その分、弔問客も少ないと予想して・・・葬儀屋さんには依頼している。
又、この様な時・・・情報の伝達、噂の広がりも遅いと思う。
情報が無く、知らなければ、人は動かない・・・・しかし、知った時には・・・当然、何故と言う疑問を投げかけられる。
今、隣組から、欠席すると・・連絡が有った・・・仕方が無いし、時期も時機・・・しかし、受け入れ態勢を整える事は必要だと思う。
行きたくても、行ける場所が無ければ、動けない・・・・現状がこの状態だと思う。
これを打破する為には、非常識・バカと言われると思うが・・・受け入れると言う態度を示す必要が有ると私は考えている。
時勢に流される・・・之は簡単だし、一般には普通の行動と言われる・・・流されて良い結果が出る保証が有るなら、それも認めるが・・・私は、良い結果は出ないと思っている。
それなら、この流れに逆らう必要も出て来る。弔問したいと思うか、思わないかは、各自の勝手・・・・だから、受け入れ側は扉を閉める・・・之では変化は無いし、改変も起きない。受け入れ側が確り準備して、待つ・・・後は、各自の判断だと私は考えている。
変わり者の異端児だから、出来る事だとも思っている。
今の常識、普通が正しいかは別問題に成る。正しいなら少なくとも良い方向に全てが向かい筈である。しかし、悪い方向にしか向かっている様に感じない・・・
今は、何度も書くがフルイに掛けられている状態・・・生き残る人も居る。死ぬ人も居る。
そのフルイに乗るか、乗らないかで悩んでいる。しかし、進む道はフルイの向こうにある。
父は、院内感染でのコロナ死亡者に成る・・・要は、フルイに残らず、落ちてしまったと言う事・・・・仕方が無いと思うし、寿命だと私は考えている。
生れる人が居るなら、当然、死ぬ人も居る。これが現実である。
死ぬ事は、非現実でない・・・誰しも経験する現実である。
現実から逃げると言う事は、死からの逃避も有ると言う事・・・受け入れた上で、どう生きるかが生きると言う事だと私は考えている。
0 件のコメント:
コメントを投稿