2022年11月22日火曜日

不平等な世界に向かっている。

 昔は、バランスを取る、立場が色んな処に有ったし、要はその人の感覚次第でバランスを取っていた。個人的主観になるで・・基本、己の分の範囲内で調整していた。

当然、個々の人の判断材料で、バランスが変わる、可哀想と思える人も、人で変わるという事・・・此を差別と言う論法で全ての人を同じ扱いという流れになる。

何が言いたいかは、地域のお店でも昔は、売る相手で対応が変わってた。貧乏な家庭の子で、頑張っていると思える子には、お店の人が影で色々与えていた。

又、企業等も、職員のバックボーン・背負っているもので、対価等を変えていた。

此も以前書いているが、男は家庭を持ち、守らなければ一人前と見て貰えなかった。と・・・言う事は、同じ仕事をしている様だが、既婚者と未婚者では大きく対価が違っていた。

要は、力ある側が、己の分の範囲内で、出来る配慮は行っていたと言う事・・・しかし、この様な配慮が差別と捉えられるようになる。

要は、既婚者と未婚者と差を無くす、当然、権力側は、此を認めるという事は、己に分が良い方向に成る。結果、既婚者が未婚者の対価に合わせられて平等と言うことになる。

当然、家庭を守れる糧が稼げないとなる。誰が働くか、他の家族、当然、妻となる。この流れで、誰しも解るように、男女均等雇用制度等が出来て平等という理屈、私は、此こそ屁理屈だと考えている。

昔は、一家の稼ぎは、亭主の仕事・・・此で賄えていた。

しかし、生活が出来ない、結果、一家から二人目の糧の稼ぎ手が必要になる。当初は母親が働く等々、働き手が一家で二人、お金が余ると思われていたし、当然、お金に不自由しない生活が行われていた。要は、夫の稼ぎで一家は養えていた為、妻の働きの対価は、それ以上の余暇等に使えるお金と言うことにも成る。

しかし、これが当たり前になると、一家で、夫と妻は働く、糧を稼ぐためとなっていく・・・余暇等の楽しむお金という部分が薄れだす。すると、先に書いた、妻の仕事は家庭への対価のお手伝いだったが・・・必需になっていく、この流れで男女均等雇用制度等の流れになる。

平等に近づいているが、結果、夫も妻も働くが、一家の糧には足らない、この状態で、子を育て、誰が看るのか????・・・又、自分たちの父母の介護・面倒は誰が看るのか????・・・この流れになっていく・・・

結果、子育ても出来ない・・状態、当然、老いた父母の面倒も無理、この部分を国が背負っていくことになる。

勿論、その為には、国民から、税金等の回収が増えると言うことになる。

結果、夫婦で限界状態の、家庭が、又、崩壊方向に向かうことになる。

昔の人は、基本をよく理解されていた。人は死ぬ・生物は最終的に死ぬ・・・此を前提に事を考えていたし、何故、子孫が大事かも、この部分を理解しているなら当たり前という感じで解っておられた。

しかし、何度も書くが「初老病死」を意識しない・考えない・世界に今の社会は成っている。

誰しにも問いたい・・・五体不満足・大病を患ったら、誰が介護してくれるのか???当然、死の間際は動けなくなる可能性が高い・・・遠くからでも心配し、直接手を下すことが出来なくても、看てくれる人が居るのか????

居なければ、誰が看てくれるのか????・・・国・行政・公的機関と思っている人は、誰よりも多くの税金を納めていた方が良いと私は考えている。

ブログ当初書いているが、勝つ事が本当に良いのか????平等が本当に良いのか????・・・優秀・一流が本当に良いのか???

要は、価値観・捉え方になる。

人を誘導・先導・最終的に洗脳する、手段として正義・等々の、人が否定しにくい単語を頭に付けて、話を進める。

高齢者を騙す、営業商法・・・・昔は「ハイ・ハイ・学校」と言っていたが、ノーという言葉を吐かせない論法で高額な物を買わせる商法が有った。この仕事をしている人が、高額な商品を幾つ、馬鹿な高齢者に売りつけた、これが武勇伝だった。

しかし、買った、高齢者に聞くと、これで実子がどう思うか、要は実子との縁が薄くなっている腹癒せに、あえて騙されているという高齢者も多かった。しかし、実子から指摘されると、本心は言わず、哀れな騙された高齢者を演じられるので、私は人とは???何時も思っていた。

結果、クーリングオフの制度が作られることになる。

子供でも無いので、買うと言う意味が、色々あるのが、大人世界である。カタログスペック等でない、意味で物を購入する人が居る。

仮に、新車価格が当時200万った・・・現代の価値にすれば1800万程度・・・その車、当然、新車で無くレストアはされているが商品としての価値は、劣るはず。しかし、欲しいと言う人が居るために、オークションで数億円という車も有る。

もし、数年後売った場合、査定額が50万のために、騙されたと訴える事が出来るか???

同じ事で、物を買うという意味にも成る。

要は、人で価値が違う、その為に、色んな価格が有ってもお互いが納得しているなら、商談は成立している。

子供のレベルの消費者なら、基準が必要だと思うが・・・大人のレベルの消費者なら、商品スペック以外の、スペックを各自が判断していると思う。

要は、民衆を愚民化する流れが、今は有るという事・・・

この橋渡れるか???当然、渡人が判断することになるし、そのレベルが無ければ、渡らないか・・・信頼・信用して渡ることになる。

結果、橋が落ちた、信用しているなら、自業自得となるし、渡らなかったら良かったと成る。

要は、医者との関係と同じ、医者は病を治すのが仕事、しかし、治せない場合が有る。希なのか???・・・私は常時だと考えている。

要は当たり前のことだが、有っては成らない事に成る・・・遺族側は医師が失敗した等々と責めるのが現代、当然、医師になるという人は減るし、問題が有る場合は家族に同意書等への氏名・捺印を求める。

本来は縁、仕方が無い、自業自得と私は考えている。

勿論、世界一名医と言われる人と縁したいが、その人でも治せない事がある。それを全て医師の失敗と押しつける、これが平等な世界なのか???

私は不思議と考えている。要は、平等と言いながら、医師のレベルを吟味している。それで一番を引いたも治らなかったら、医師免許の在り方、レベル等々の責任を、監督官庁に文句を言い出す。

要は、民衆側が不平等を勝手に求めているし・・そのスケールで上位に己が居る、これが自慢となっている。要は、此こそ差別主義者と私は考えている。

注意が必要と何度も書いている、耳障りが良い言葉が氾濫し続けている。又、それを求める己が居る。

当然、それを利用し、利を貪ろうとする人も多く出てくると言うことになる。又、武勇伝の楽し、儲けたという事は、恥の上塗りとしらず、大きく言う・・・又、それに憧れる人が出てくる。結果、多くの損した人を創り出している。

7人の話を聞き分ける・・・

 偉人・超人とも言える、昔1万円札に肖像が使われていた。聖徳太子・・・7人の話を聞き分ける事が出来たと言われる。又は10人等々有るようだが・・・・要は、多々の人々、価値観等の違いを理解し、聞く能力かが高かったと言うことになる。

特に、周りから偉人と思われ、立場が高い人という場合、人はどうしても、忖度等を無意識にしてしまい。正確で正直な事は言わない・・・聞く側に耳障りの良いと思われる事を中心に話し出す傾向が有る。

その為に、立場が高い・権威が有る、等々のレベルの人は、人の本質・本音を見抜ける能力が必要だし、これが無ければ、嘘が耳に入っていることになるし、この嘘で事を起こしてしまえば、大変な事に成り・・・立場が立場なら、暴君となる。

要は、誰の言葉を耳に入れるか????当然、耳障りの良いことを言う人は、嘘になるので、耳障りの悪い人の話を耳に入れられる環境を創ることが、立場が高ければ必要になる。

要は、真実・現実を知るためには、立場が高ければ、簡単で無いと言うことにも成る。

逆に、私の様に三流で・顎であしらわれる立場は、聞きたくも無い、現実が何時も耳に入る。常時、逃げたいと無意識に思うが、ダメダメと人間として等々・・・逃げる足にブレーキを掛けることになる。

止まった瞬間、背に背負いたくも無いのに、勝手に乗ってくる、この様な人は多い・・・乗りかかった船と言う思いで、事を進めることになる。

三流で・馬鹿と言われる立場は、社会の真実を知りたくも無いが、勝手に知ってしまう。

私が出来ますか~~~と、尋ねると、殆どが出来ません・・後始末、お願いしますという流れになる。

しかし、立場が高く、権威が有るというポジションの人が、出来ますか~~と尋ねれば、殆どの人が出来ますと口から出てしまう。

高い立場の人は、出来るはずと思い込むが、現実は出来ない、出来ないから嘘つきな人と判断し出す。要は、忖度して出来ると言った、配慮・真心とは捉えきれない・・・結果、この様な人は要らない・排除という形に向かう。

少しでも立場が高い、私は還暦を超えた、年齢的にも上と思う人が居たら、当然、忖度をされていると思う。

だから、耳障りの良い部分は、耳にフィルターを掛ける。耳障りの悪い言葉に対して、何故と疑問を持ち、知りたいと情熱を傾けることになる。

勿論、三流なので、直ぐに答えは出ない。情熱で調べ・学ばなくても解らないという事・・・



改善・改革は痛みを感じる。

 今朝・・・嫁里の義母の依頼のお茶の購入のために八女のお客さんのお茶屋へ・・・・私の地域では、お茶は苦い・茶色というイメージだった・・・しかし、八女という地域でお茶を飲むと、緑色・・・・

又、お客さんのお茶屋さんで飲んだお茶は、少量だが喉の渇きが一気に引くし、私が思っていたお茶と大きく違ったし、初めて美味しいとお茶を思ったことにも成る。

このお茶を、色んな人に勧めた・・・その中の一人が、嫁里の義母・・・親族に配ったりしていたので、結果的に、このお茶を好まれる人が増え、大量に配達する、これが私の勤めになっている。

喜んで頂けるなら、少々の痛み等々、気にしない・・・これが我家のモットーに成っている。

良い方向に向ける、当然、喜んで貰いたいと言う思いが有るからに成る。

しかし、現状を変える事で、嫌われる立場に成る可能性も有る。

当然、権力側は今が良い環境と進めた結果・・・今以上に権力側が良くなる方向なら、好まれるが、誰を喜ばせたいかで、変わる部分に成る。

権力側は少数だと私は考えている。この逆の立場が大多数と考えている。大多数に喜んで貰いたいという思いで、言動を起こせば、当然、権力側、現状維持側からは、嫌われる。

嫌う相手が力が有れば、当然、私は痛みを感じることに成る。

何時も思うのだが、現状を変えると思えば、その変化量に応じた痛みを受けることに成る。当然、変革を試みている本人に対してに成る。

痛み、私は、痛みを出来るだけ、軽症にしたいと思うから、一つの集団・組織・グループに属しない・・・仕事も、広い地域で限定しないで、色んなお客との関係性にしている。

理由は、この様な部分を、使って、痛みを感じさせる方法を権力側は使うからに成る。

簡単に書けば、俺が島・テリトリー内では仕事をさせない等々に成る。生活が有り、家族を守る立場だと、かなり、キツイ・痛みを感じる。

私は、不特定多数という付き合い方をする。結果、限定しにくいと言うことに成る。

此も、父が行っていた商売から、身に付いた部分、父は、下請け工場・・・結果、親会社の奴隷のような立場に成っていた。

断れば、当然、仕事が無くなる。その仕事で100%の稼ぎが有れば、断れない・・・弱い立場に成るし、言葉に対して反論できない・・・

私は、買う側・売る側、同じ立場だと考えている。その為には、依存率を減らす必要性が有る。

依存しすぎると、結果的に、その奴隷化に成る。

私は、お金の奴隷と言ったりする理由も、お金に依存しすぎる、お金絶対主義者は、捉え方次第だと、お金の奴隷と言うことにも成る。

何故か、打たれる事が普通と私は考えている。三流だから仕方が無いという意味にも成る。

この価値観は、鬼畜の命が有る、私だから感じていると思う。

打たれたくなければ・・・一流に成らなければならないとなる。

要は、一流・優秀な人を、利口な人と感じる、命に成る。

本来、一流や湯集な人は、馬鹿に見える人になる。菩薩・仏の命が強いから、損を厭わず、己の身を焼いても人の為に生きる人になる。

現代の人は、利口な人を目指している。要は、利口な方向に、一流や優秀という意味になっている。