昔は、バランスを取る、立場が色んな処に有ったし、要はその人の感覚次第でバランスを取っていた。個人的主観になるで・・基本、己の分の範囲内で調整していた。
当然、個々の人の判断材料で、バランスが変わる、可哀想と思える人も、人で変わるという事・・・此を差別と言う論法で全ての人を同じ扱いという流れになる。
何が言いたいかは、地域のお店でも昔は、売る相手で対応が変わってた。貧乏な家庭の子で、頑張っていると思える子には、お店の人が影で色々与えていた。
又、企業等も、職員のバックボーン・背負っているもので、対価等を変えていた。
此も以前書いているが、男は家庭を持ち、守らなければ一人前と見て貰えなかった。と・・・言う事は、同じ仕事をしている様だが、既婚者と未婚者では大きく対価が違っていた。
要は、力ある側が、己の分の範囲内で、出来る配慮は行っていたと言う事・・・しかし、この様な配慮が差別と捉えられるようになる。
要は、既婚者と未婚者と差を無くす、当然、権力側は、此を認めるという事は、己に分が良い方向に成る。結果、既婚者が未婚者の対価に合わせられて平等と言うことになる。
当然、家庭を守れる糧が稼げないとなる。誰が働くか、他の家族、当然、妻となる。この流れで、誰しも解るように、男女均等雇用制度等が出来て平等という理屈、私は、此こそ屁理屈だと考えている。
昔は、一家の稼ぎは、亭主の仕事・・・此で賄えていた。
しかし、生活が出来ない、結果、一家から二人目の糧の稼ぎ手が必要になる。当初は母親が働く等々、働き手が一家で二人、お金が余ると思われていたし、当然、お金に不自由しない生活が行われていた。要は、夫の稼ぎで一家は養えていた為、妻の働きの対価は、それ以上の余暇等に使えるお金と言うことにも成る。
しかし、これが当たり前になると、一家で、夫と妻は働く、糧を稼ぐためとなっていく・・・余暇等の楽しむお金という部分が薄れだす。すると、先に書いた、妻の仕事は家庭への対価のお手伝いだったが・・・必需になっていく、この流れで男女均等雇用制度等の流れになる。
平等に近づいているが、結果、夫も妻も働くが、一家の糧には足らない、この状態で、子を育て、誰が看るのか????・・・又、自分たちの父母の介護・面倒は誰が看るのか????・・・この流れになっていく・・・
結果、子育ても出来ない・・状態、当然、老いた父母の面倒も無理、この部分を国が背負っていくことになる。
勿論、その為には、国民から、税金等の回収が増えると言うことになる。
結果、夫婦で限界状態の、家庭が、又、崩壊方向に向かうことになる。
昔の人は、基本をよく理解されていた。人は死ぬ・生物は最終的に死ぬ・・・此を前提に事を考えていたし、何故、子孫が大事かも、この部分を理解しているなら当たり前という感じで解っておられた。
しかし、何度も書くが「初老病死」を意識しない・考えない・世界に今の社会は成っている。
誰しにも問いたい・・・五体不満足・大病を患ったら、誰が介護してくれるのか???当然、死の間際は動けなくなる可能性が高い・・・遠くからでも心配し、直接手を下すことが出来なくても、看てくれる人が居るのか????
居なければ、誰が看てくれるのか????・・・国・行政・公的機関と思っている人は、誰よりも多くの税金を納めていた方が良いと私は考えている。
ブログ当初書いているが、勝つ事が本当に良いのか????平等が本当に良いのか????・・・優秀・一流が本当に良いのか???
要は、価値観・捉え方になる。
人を誘導・先導・最終的に洗脳する、手段として正義・等々の、人が否定しにくい単語を頭に付けて、話を進める。
高齢者を騙す、営業商法・・・・昔は「ハイ・ハイ・学校」と言っていたが、ノーという言葉を吐かせない論法で高額な物を買わせる商法が有った。この仕事をしている人が、高額な商品を幾つ、馬鹿な高齢者に売りつけた、これが武勇伝だった。
しかし、買った、高齢者に聞くと、これで実子がどう思うか、要は実子との縁が薄くなっている腹癒せに、あえて騙されているという高齢者も多かった。しかし、実子から指摘されると、本心は言わず、哀れな騙された高齢者を演じられるので、私は人とは???何時も思っていた。
結果、クーリングオフの制度が作られることになる。
子供でも無いので、買うと言う意味が、色々あるのが、大人世界である。カタログスペック等でない、意味で物を購入する人が居る。
仮に、新車価格が当時200万った・・・現代の価値にすれば1800万程度・・・その車、当然、新車で無くレストアはされているが商品としての価値は、劣るはず。しかし、欲しいと言う人が居るために、オークションで数億円という車も有る。
もし、数年後売った場合、査定額が50万のために、騙されたと訴える事が出来るか???
同じ事で、物を買うという意味にも成る。
要は、人で価値が違う、その為に、色んな価格が有ってもお互いが納得しているなら、商談は成立している。
子供のレベルの消費者なら、基準が必要だと思うが・・・大人のレベルの消費者なら、商品スペック以外の、スペックを各自が判断していると思う。
要は、民衆を愚民化する流れが、今は有るという事・・・
この橋渡れるか???当然、渡人が判断することになるし、そのレベルが無ければ、渡らないか・・・信頼・信用して渡ることになる。
結果、橋が落ちた、信用しているなら、自業自得となるし、渡らなかったら良かったと成る。
要は、医者との関係と同じ、医者は病を治すのが仕事、しかし、治せない場合が有る。希なのか???・・・私は常時だと考えている。
要は当たり前のことだが、有っては成らない事に成る・・・遺族側は医師が失敗した等々と責めるのが現代、当然、医師になるという人は減るし、問題が有る場合は家族に同意書等への氏名・捺印を求める。
本来は縁、仕方が無い、自業自得と私は考えている。
勿論、世界一名医と言われる人と縁したいが、その人でも治せない事がある。それを全て医師の失敗と押しつける、これが平等な世界なのか???
私は不思議と考えている。要は、平等と言いながら、医師のレベルを吟味している。それで一番を引いたも治らなかったら、医師免許の在り方、レベル等々の責任を、監督官庁に文句を言い出す。
要は、民衆側が不平等を勝手に求めているし・・そのスケールで上位に己が居る、これが自慢となっている。要は、此こそ差別主義者と私は考えている。
注意が必要と何度も書いている、耳障りが良い言葉が氾濫し続けている。又、それを求める己が居る。
当然、それを利用し、利を貪ろうとする人も多く出てくると言うことになる。又、武勇伝の楽し、儲けたという事は、恥の上塗りとしらず、大きく言う・・・又、それに憧れる人が出てくる。結果、多くの損した人を創り出している。