今朝・・・嫁里の義母の依頼のお茶の購入のために八女のお客さんのお茶屋へ・・・・私の地域では、お茶は苦い・茶色というイメージだった・・・しかし、八女という地域でお茶を飲むと、緑色・・・・
又、お客さんのお茶屋さんで飲んだお茶は、少量だが喉の渇きが一気に引くし、私が思っていたお茶と大きく違ったし、初めて美味しいとお茶を思ったことにも成る。
このお茶を、色んな人に勧めた・・・その中の一人が、嫁里の義母・・・親族に配ったりしていたので、結果的に、このお茶を好まれる人が増え、大量に配達する、これが私の勤めになっている。
喜んで頂けるなら、少々の痛み等々、気にしない・・・これが我家のモットーに成っている。
良い方向に向ける、当然、喜んで貰いたいと言う思いが有るからに成る。
しかし、現状を変える事で、嫌われる立場に成る可能性も有る。
当然、権力側は今が良い環境と進めた結果・・・今以上に権力側が良くなる方向なら、好まれるが、誰を喜ばせたいかで、変わる部分に成る。
権力側は少数だと私は考えている。この逆の立場が大多数と考えている。大多数に喜んで貰いたいという思いで、言動を起こせば、当然、権力側、現状維持側からは、嫌われる。
嫌う相手が力が有れば、当然、私は痛みを感じることに成る。
何時も思うのだが、現状を変えると思えば、その変化量に応じた痛みを受けることに成る。当然、変革を試みている本人に対してに成る。
痛み、私は、痛みを出来るだけ、軽症にしたいと思うから、一つの集団・組織・グループに属しない・・・仕事も、広い地域で限定しないで、色んなお客との関係性にしている。
理由は、この様な部分を、使って、痛みを感じさせる方法を権力側は使うからに成る。
簡単に書けば、俺が島・テリトリー内では仕事をさせない等々に成る。生活が有り、家族を守る立場だと、かなり、キツイ・痛みを感じる。
私は、不特定多数という付き合い方をする。結果、限定しにくいと言うことに成る。
此も、父が行っていた商売から、身に付いた部分、父は、下請け工場・・・結果、親会社の奴隷のような立場に成っていた。
断れば、当然、仕事が無くなる。その仕事で100%の稼ぎが有れば、断れない・・・弱い立場に成るし、言葉に対して反論できない・・・
私は、買う側・売る側、同じ立場だと考えている。その為には、依存率を減らす必要性が有る。
依存しすぎると、結果的に、その奴隷化に成る。
私は、お金の奴隷と言ったりする理由も、お金に依存しすぎる、お金絶対主義者は、捉え方次第だと、お金の奴隷と言うことにも成る。
何故か、打たれる事が普通と私は考えている。三流だから仕方が無いという意味にも成る。
この価値観は、鬼畜の命が有る、私だから感じていると思う。
打たれたくなければ・・・一流に成らなければならないとなる。
要は、一流・優秀な人を、利口な人と感じる、命に成る。
本来、一流や湯集な人は、馬鹿に見える人になる。菩薩・仏の命が強いから、損を厭わず、己の身を焼いても人の為に生きる人になる。
現代の人は、利口な人を目指している。要は、利口な方向に、一流や優秀という意味になっている。
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