世は、正月・三が日と成っているが、嫁は昨日の二日だけが休みで・・・今、出勤して行った。
その為に・・・二日と言う一日で、正月行事を全て済ませることに成る。
バタバタな昨日だった・・・・
正月をユックリ過ごす・・・私達の夫婦の場合、夢の様な話に成る。
昔は、母の指示で、馬車馬の様に、下働き、お節料理の準備等々・・・正月前から大変な日々を過ごして居た・・・しかし、家事の大事な部分は、父母が行うので・・・正月・三が日位は少しは楽に成っていたが・・・今は、その部分も我々が行う事に成る。
年越しと言う行事・・・それと一族・親族に取って、大事な先祖供養と言う、二つの行事が正月に成る。夏の盆・・・冬は正月・・・
正月にこの大事な事を、幼子にも教える為に、先祖供養をしたら、お年玉と言う、風習も残っている。
要は、一族の一員として、先祖を供養すると言う、事を教わる場でも有る。
しかし、現代は、それも薄れているし・・・知らない人も増えている。
勿論、我が息子達、孫達だけでもと私は思っているが・・・・現実には息子達も嫁を貰うし、その嫁がどの様に育てられ、学んでいるかは判らない・・当然、全く知らないなら、有りえない、何故と言う疑問が出るし・・・現代の価値観なら面倒な事と、思ってしまう可能性も高いので、対処する側、私に成るが、色々考え配慮する事に成るが・・・それでも配慮で無く、古い因習深い事柄を、しがらみ(柵)と捉え・・・・・嫌われる立場に成る可能性も高い・・・
私は、基本、嫌われ者でも良いと考えているので・・・それでも言い聞かせようとするが・・・之が問題に成る場合も有る。
要は、嫁は、「金の草鞋を履いてでも探せ」と昔から言われている。それ程、嫁探しは難しいことに成る。勿論、同じ様な立場に成るが・・・婿を探すと言う事は、昔なら嫁より難しかった。
我が子の将来を考え、どの様に育てるか????当然、目標が有ると思う。
私は人間として育てたい・・この部分を基本に考えている。
又、私の場合、子沢山・・・長男と、下の子では育て方が違う・・・差別と言われると思うが・・・将来の事を考えれば当然と考えている。
母が言っていたが・・・一人の子は跡取りして育て・・他の子は人様にくれて遣ると言う思いで、息子なら婿としての教えも大事に成って行く。
勿論、母は、他の家にくれると言う子も居るし、出来が良ければ、国・社会にくれる子も居ると言っていた。
要は、その子が、将来、何処で生きるのか????・・・その為に必要に成る部分は親として教えておく必要が有ると言う事に成る。
勿論、親が三流なら・・・子も基本は同じ・・・背伸びしてもこの程度と言う事は、親なら解ると考えているので・・・今は死語に成っているが、身分相応の育て方に成る。
仮に、犬と言う身分だが、人間として育てられたら・・・当然、将来、大きな問題が起きることに成る。
今もテレビ等で、優秀な消費者に向けてアプローチが行われている。しかし、よくよく考えれば・・その物を誰かが提供・作っていることに成るし、それを又、誰かが汗を流し運び続けていることに成る。消費者として少しでも安くという考えは正しいと成っている様だが・・・若し、その考えが正しいと言うなら、提供・作って・運んでいる人達は、微小な対価で、それを提供し続ける事を求められていることに成る。
この様な立場は、嫌だと思aっても、絶対に必要な人達と言う事にも成る。
若し、この立場を負け組と考える人が居たなら、傲慢な独裁者の命を植え付けられた可哀そうな人だと私は考えている。
息子達も、上の子は、徹すると言う意味を少しは判りだした様だ・・・何の為か、当然、守る為、誰をこの部分も、判りだしてきている。
昔、子ど建ての奮闘していた時に、青二才と言われていた。勿論、高齢な人達からに成る。
今、考えると、奮闘と言うより、普通と言う事だと私は考えている。勿論、己が大変だったからこの様に捉えていたと思うし、奮闘を良しとは考えていなかったと言う事・・・
要は、頭が強かったと言う事・・・徹して守る・・・無意識に出来る事が人、又、大人・親として当然と言う事にも成る。勿論、誰を????・・・己で無いと言う事に成る。
三流だから、どうしても、己と言う部分から脱する事が出来ない・・・
鬼畜に近いと言う事にも成る。
毎年の課題が、この部分、己の中に潜む、鬼畜の命・・・今は、共に生きる事を目指しているが・・・その為には、逆の振舞いを如何すれば出来るか???・・・之を考え続ける事に成る。
本来、鬼畜として生きた方が、幸せかもしれない・・・しかし、身は人として生まれてしまった。之が不幸なのか????幸福なのかは????私が死ぬ時に答えが出ると思う。
一杯の課題、宿題が有る・・・・正直・大変だし、逃げたいと思う・・・人の姿をした、鬼畜だから仕方が無い部分・・・