2023年2月13日月曜日

生きる事・・・・奇跡的な事だし、感謝に値する。

 生きる為・・・と・・・色々言われる、要は、大変だと耳に聞こえるような言葉に成る・・・

私は、生きる・・・命を得るだけで、奇跡だと考えている。

日本は古来から、あらゆるものに生命が宿る・・・命が有ると信じられていた。要は、全てのものには生命が有ると言う事・・・・

見えるもの全てに命が有り、その命の関わりで生かされている。

地球上を考えた場合、生物界の頂点に居る生物は????・・・人間と言われる・・・人間として命を得ること自体、奇跡の中の軌跡と思うし、幸せで度合いは、高レベルだと私は考える。

命として、何に宿るか????・・・虫が良いと言う人も居ると思うし、日本的、価値観だと、石に生まれた方が良かったと言う人も居る。

しかし、常に向上心、頂点を目指したがる人間なら、最初から人間に生まれると言う事は、理想だと思うし、人間社会でも頂点に君臨できる環境を享受できる社会ならなおさら、人間が多々生まれてくる世界と言う事に成る。

簡単な例でいえば、必ず宝くじで、三等以上の当たりを得る事が出来る立場・・・・恵まれているし、幸せで幸福だと私は思う。

私は、何度も書く様に、鬼畜の命を持っている、結果、人として生まれた事は、分を超えるし・・・人として生きて行くだけでも、七転八倒の生き方しかできない・・・・人の分が無いために成る。

本来、人としての分が有れば・・・・楽しく謳歌できる生き方が出来ると思うが・・・分が無いために、それ以下に成るが、現実には、虫以下あの生活なのか???・・・当然、それ以上の生活・環境を与えられている。

日本国に人として生まれた。凄い幸せな事だと思う。後は、己の分で生きて行けば良い、出来なければ、最低限の人権・衣食住は国が保証している。勿論、他人様のお世話に成ると言う事・・・・可能性が有るから、人様に貢献出来る時は行う事に成る。

現代の問題、課題は、全て、物事を難しく複雑にしている。特に、責任転換・・・方向にむっかう・・・生きられない、理由は、お金が等々、乞食みたいに媚びる命に成る。

要は、生きられないわけが無い・・・分に応じた生き方をすれば済む、人間らしい生活????・・・・どのレベルなのか???若し、レベル・基準を決めて言っている事なら、先ずそのレベルに己が成る事に成る。

成るまでは当然、分相応の生き方に成る。

若し、分相応の生活も出来ないなら、国が、生活保護と言う形で、生きる権利を保障してくれている。

生きること自体は難しくないと私は、考えている。当然、人間として日本国と言うう環境に生まれた奇跡が可能にしていると思う。

若し、難しく、きついなら・・理由が有る。分以上な事を行っているからに成る。

現代、これも感じない人が居る・・・・・負を創っていても、己が背負う事は無いと思っている人たちが居る・・・結果、負が世の中に増え蓄積されて行く・・・当然、誰が処理することに成る。

これを行わなければ、今の環境が崩壊する・破滅する事に成る。

要は、幸福に対して鈍感に成りすぎている。凄い刺激的、幸福感を求め過ぎている。

何気ない事、単純に、今朝目覚めた・・・これだけで感謝と思える価値観が大事だと私は考えている。

要は、生きていること自体が感謝・・・感謝が有るから、恩を感じ、返そうと、報恩と成る・・・これが本来の人間の姿だと私は考えている。

その為には、何事にも感謝できる、価値観、これが無ければ、恩も感じないし、報恩も起きない・・・・

親が人間であったので、人間の子として生まれる事が出来た。若し、親が虫なら、当然、虫に成る。

生まれた環境は、先進国と言われる、日本国・・・これを幸福と言わず何と言うのか????・・・私は解らない・・・

この立場を、過去の先人たちが与えてくれた、その歴史・文化・価値観も継承し続ける事が大事と思うが・・・今は過去・古い・等々で簡単に否定される。この否定する歴史もたかが100年ほど・・・その前の年・歴史の方が長いが・・・それを馬鹿にし過ぎている。

先人が馬鹿なら、それから生まれた我々は馬鹿と言う事に成る。

過去が有るから、今が有る。過去は変更できない、その為に、今を変えて、良いと思えたら、過去のお陰、有難うとなうr。

要は、過去を否定する人は、今の現実に負け・不満が有るからに成る。

感謝できる価値観、過去も含め、その恩に答え、報恩を返す事が出来る生きたが、人して生きる意味だと私は思っている。





必要なお金・・・・分配

 嫁の送迎を終わらせ・・・雨天の為、コインランドリーに洗濯物の乾燥に持って行き・・・

今、一息ついている。

現代、必要なお金を最初に計算している。必要なお金が無ければ、行動しないと言う流れ・・・・間違ってはいないが、正しいとも思えない・・・

仮に集まった、お金を分配する・・当然、多く頂きたいと言う思いが出ると思う。しかし、100円を100人に分配と成れば、基本1円の配布に成る。

しかし、1円ではどうにもならないと、騒ぐ人も当然出て来る。

お金の分配が、色々あるし、難しい、その為に、不満も不平も出て来るし、最悪、差別や人権無視とうとう言われる。

結果、小さな集団が、最初に個人主義に走りだす。昔は、家のお金、一家のお金と言う認識だった。そのお金を、家の大蔵大臣に、我家は母親だったが、管理、分配していた。当然、稼ぎは家に上納する・・・これが基本だった・・すると、損得勘定等の価値観、勝ち負け論的価値観が蔓延すると、何故、沢山の糧を与えたのに、見返りが・・・・少ないのか~~~と不満や不平が出て来る。当然、全て個に向かう流れに成る。

要は、大家族制度から、各家族制度に向かう、結果、衣食住も一世帯と二世帯では、人の数が同じでも、出ていくお金が増える事に成る。

何度も言うが、優秀な消費者として社会に排出されている事に成る。

この流れが、最終的に、国・世界と広がる・・・

要は、個々の、必要なお金を足した、合計を国がどう面倒見るかと言う論争に成る。

この価値観が普通と成れば、庶民も、生きる為に、人は必要だし、家族も欲しい、しかし、人が増えると言う事は、必要な経費・お金が要る、それを出せる力が有ればと思うが、無いなら、諦める事に成る。

利口な振る舞いと成る。

しかし、昔は、分配するものが無くても、人が増えていた。

唄の詩に、母が夜なべして手袋編んでくれた・・・等々の、詩が沢山ある。苦労・愛情・等々の意味合いが有るが・・・現代なら買えば済む事、買うお金が無いのに、子を儲けるからと言う理屈が通る世界に成っている。

それなら、お金が有るなら、少子化が解消するのか???・・・凄いおお金持ちと言われる子供たちの数は・・・・中東なら一夫多妻制で50人の子が居ると言う父親も居るが・・・日本国で、大金を稼げる男の、子の数は、片手で済む、人数だと思うし、中には、独身を謳歌している人も多いと思う。

貧乏人の環境で育ったので、周りで言われる言葉を総合すると、貧乏な方が幸せと思える。

今は、金で有る程度の物や肩書・権力も手に入る。

その為に、我が息子を医者にする事も、お金さえあれば簡単と言う事・・・しかし、人間の為に、思うようにいかないのが面白い・・・

簡単に良い肩書・ポジションを手に入れられる立場なのに、甘えなのか放棄してしまう。結果、社会の底辺に向かいだすと、親が造った環境等を罵り、責任転換しだす。

私は、貧乏で貧窮な環境だったので、今が有るし、それを与えた親たちに感謝している。多々の負債を残し倒産・・誰が背負うのか???等々、考えずに、己だと直ぐ成るし、返さなければと言う使命感も出る。今までの己では無理なので、己の成長を目指す事に成る。

私は、何度も書く様に、勇気を出して挑戦する、この気持ちが幸福の道だと思っている。出来る事に対して挑戦とは言わない・・・出来ない、今の現実の判断なら間違ってるかもしれないが、挑戦してみて・・・結果は、当然、悪くはしたくないので必死に頑張る事に成る。この必死や我武者羅な振舞を馬鹿・アホ・と罵られても、しかたが無いし、己の力がそれ程度と言う事にもなる。

褒められる必要も無い、驚かせる位の、思いで行った方が面白いし、醍醐味を感じる事が出来ると思う。

仮に、少子化について、子育て一人、成人するまでに2000万必よゆだったら、1億の資産を持っていると言う人なら、5人は簡単に育てられると言う事に成る。しかし、現実は、しないと思う。

何故なら、貧乏人の子沢山が昔から言われている事実に成る。

要は、少し余裕が有るから、貧窮な方向にしたくない・・・この気持ちが強い、元々が貧窮なら、怖くは無い・・・

以前書いているが、私は、低空飛行しか出来ない力量、その為に、危ないと思ったら、足が地面に着く・・・下層の濁った世界に居るが、低過ぎて足元が見え難い中でも見えている。

若し、高度飛行を求めて、上層の澄んだ処を飛んでいたら・・・下層の世界が遠く下に見えるし、当然、濁っているので、その下は見えない・・・この高度を何か問題が発生すれば落ちる・・見えている部分だけでも怖いし、見えない部分は何が有る解らないので、不安が大きくなる。

当然、無傷とは成らない事に成るので、少しの危険性も排除する方向に成る。

私は、自己保身も、己のレベルで変わると考えている。己は優秀で一流と思っているなら、弾除けに他人を多々使っても、何も思わないと思う。

私は、身を守る素手を己では持たない、結果、人に頼る事に成る。当然、お金で操る事も出来ない・・真心の有る、人を育てるしか、方法が無いと言う事に成る。

よく、人任せの人生はダメだと言われるが、私は、堂々と人様が居るから生きられると思っているし、認めている・・・結果、人様に恩を感じるから感謝に成るし、この思いを返さなければと、無理することも有るが、貢献と言う形で返している。

私は、綱渡り的、人生が面白いと考えているし、当然、何時も危険を感じているので、生き残れたことに、感謝している。

平場を作って、安心して歩ける世界、私は楽だが、面白いとは思わないし、当然、生き残れることに対して、当然と思っているし、感謝等の思いは出ないと考えている。

だから、波乱万丈の方向に己を向ける事も面白い生き方だと私は考えています。