2018年12月8日土曜日

個人主義の台頭が標準化

個人主義が利己主義を正当化し・・・・・この価値観で標準化が加速している。

何故、基準を求めるのか・・・一言で言えば、善悪の基準を創れば・・・判断が楽と言う事だし、利己に対しての責任の回避の為に成る。

利己主義と言う事は、利は得たいが負は得たくない・・・この負の部分も各自の価値観等々で変わる。

納骨堂の世話役をしていたので、仮に墓の守・・昔は当然だし、普通と言う考え、しかし、最近ではこの部分も負に成って来ている。

利己主義の欲を阻害する・・・この部分を悪と標準化すれば・・・之も当然と成るし、何も悪い事をしていないと成って行く・・・

この様な為の、基準が標準化している、流れなら・・・・何を意味するのか・・・負が有る之自体で、普通でない、標準で無い、だから、社会から除外される流れにも成って行く・・・

以前も書いているが、人間は間違いも起こすし心配もする・・・この人として当然の部分まで、認めない世界に向かえば・・・・神に近付くと言っても神も間違いを起こす、結果、機械に向かうのか・・・何を目指しているのかが私は解らない。

仮に負からの逃避の為の、基準化・標準化なら・・・・之を求めている人は、絶対に失敗もしない、間違いも起こさない、この部分が起点に有っての発想だと思う・・・この部分が無ければ、先に書いた人は間違いも失敗も起こす、之が解っているなら、当然、周りから除外される立場に成る可能性が大いにある。方向性を支持している事に成る。

人の「生老病死」さえ無視した発想だし・・・力が無い三流の私の場合、怖いと考えている。

昨日は落ち込んだ・・・・結果、二人の友が駆けつけてっくれた・・・又、今日は、私が尊敬する先輩が来訪すると連絡が有った。

人は、一人では生きられない・・・之が有るから、集団化しているし、家族と言う集団が有る・・・

しかし、この部分まで、先に書いた個人主義・利己主義から来る、標準化・基準を創り、其れに準じなければ、除外と言う方向に成る。

この価値観で行けば、私の家庭等々、何十年前に崩壊している。

本来、人は、背負う責任が有ると私は考えている。この部分を無くす、基準や標準なら、当然、一人・孤独この方向に成るし、之が個人主義・利己主義の蔓延を助長していると考えている。

結局は孤独、これを忘れる為に、集団化、一瞬の快楽等々で、その場を凌ぐ、烏合の衆かの集団が普通に成る。

結果、集団は悪だ・・・益々、孤独化が進む。

私は縁する人に、耳の痛い話しかしない・・・・何故か、人が大事だから、又一人では生きていないと言う部分が強く有るからに成る。

当然、家族にはこの方向性が強く成るが・・・之が結果的に、役に立っているとは思えない・・・

嫌われるだけで・・・住む世界が違うと、ここ数年思う様に成っている。

力が無い、三流の私が、幾ら叫んでいても、意味が無いと言う事にも成る。
それだけ、利己主義の蔓延の標準化が進んでいる事に成る。

文明とは何か????・・・・私は先人の知恵の蓄積と考えている。

物質的、裕福が文明だとは考えていない。

しかし、個人主義や利己主義の台頭が、結果的に、何を創っているか???文明を創っているとは思わない・・・
逆に文明の破壊・・之に向かっている感じさえする。

この部分が無ければ、利己主義で、仮に1000億のお金が有っても、明日死ねば、このお金が争いを生む可能性も含んでいるし、若し争いに成れば、その人の知恵が、結果的に善か悪か???と成る。

お金とは、物の価値になる。当然、沢山の食べ物を持っていても腐る・・・腐るなら周りに奉仕するこの感覚も直ぐに出る。しかし、余ったものがお金に成る・・・この様なお金の価値観に今は成っている。
全体に腐らない保存食と言っても良い・・・この絶対と言う部分が、お金本位主義を生んでいる。

しかし、最近は、このお金、保存食の種類の違いで・・・価値が上下している。

お金も全体で無いと言う方向性を示しているが・・・それでも、腐って処理費用が膨大にかかる事は少ない。

この絶対と言う、部分を求めて、不確実な物や行動を繰り返しているのが、昨今の人間である。

この不確実性が少ない、方向性の行動をしている人を優秀と言っているし、不確実率が高い人を馬鹿だと言っている。

しかし、世の中は人集合体である。この不果実性が高い人の居るし、その事は、誰かが手を差し伸べる必要性が有る。
馬鹿と片付ける事は簡単だが・・・この様な人が、基準化・標準化のUPで増え続けている。
この部分を如何するか???之が、有史以来続いている、人の宿題に成っている。

道徳や宗教と言う部分が、埋め合わせをしていたが、昨今は、お金教が成果に蔓延しているので、益々、難しい時代に向かっている。

人の心、命に、お金教が有り、その後に各宗教感が有ると言う順序に成っている。

有る人が言っていたが、哲学無き人生ほど、虚しい生き方は無い・・・

三流で、力無い私・・・・・何が出来るか???何時も問いかけている、当然、それと同等の力で、避けたい、逃げたいと言う私の自己保身の命が足を引っ張り続けている。
心の中で、毎日が争いである。

この様な、思いを、人に話す事も出来ないと言うより、その様な人が余りにも少な過ぎる。
又、勇気を持って話しても、当然、耳を塞がれる。

その都度、人は、何の為に生きているのか???との疑問も湧く・・・

結局は、私はこの世界に住む人間でないのかも???之が、若い時からの私の、思いに対する答えの模索だったが・・・しかし、出来るだけ正直に、堂々と之を基本に生きて来た。還暦マジカまで生きてこられた。
感謝に成る。