私は民度、国民性で、リーダーも決ると思って居る。要は、リーダーの言動は、国民の集大成と思利っている。国民も右・左・・・白・黒、等の二極論に注視し、加速、原理主義に向って逝く・・・・・・此も民意・民度、国民の価値観、レベルで、この様になっていく、模し、民度が高く、慈悲を人様に与え続ける人々で構成された社会のガバナンス、統治も容易いし、その分、国民を守り、自由な振舞を容認する方向に成る。この流れが、良いと、長い歴史・経験から日本国は成っていったが、戦後の西欧的な価値観の流入で、俺俺という、自己中心主義を謳歌できるのが自由と思う人達が増え続けている。この様な人が増えれば、当然、状況下が悪くなると、直ぐに手の平返し、国さえ捨てる可能性が出てくる。昔から、隣の芝は良く見えるのが人間、この人間の特性を止めないとガバナンスが維持できないし、流出する人達を受入れる国も大変になる。結果、悪口を言われるのも良いと言う事も有る、私は、強面の雰囲気の人は、何故か慈悲深いし、恩義理を重んじている人が多い、取り付き難い風貌が、人の良さを気付かせずに人を遠ざけているのでバランスが取れていると思う。要は、民度でガバナンスも支配から、強制方向に向って行く・・・・最後は独裁となる、理由は、仮に神輿を担ぐ、民衆と、神輿の上に乗るリーダーの関係性・・・・・慈悲深い国民で形成されているなら、喜んで神輿を担ぐし、出来れば軽い方がよい程度・・・この逆の何事も己に利をと思う人は、担ぐことを損と思うので担がない、其れを担がせるためには、人参・褒美の期待を持たせることになる。要は、己は力が有り、いっぱい色々物を持っているという人に成る。当然、重量は重くなるし、重い分、貰える可能性が高いと勝って思い込む国民だったら、貰えたるのが当然・貰えなかったら不満となるし、その不満の矛先を変えるために共通の仮想敵を創ることに成るが、仮想と思わせると意味が無いので、其れが真実の敵という方向、当然、己は正義だから悪となる。此が戦争の引き金になる。
今話題になっている、イラク・大統領・首相等居る、民主主義で法治国家と自称しているが、現実には最高指導者と言う宗教界の人がトップに座っている。要は、神と同じという事、この神に縋り、頼めば、その施しを受ける事が出来ると言う、何度も書くが家畜的、迷える子羊と言われるように民衆は、このレベル、その為に、飴で動かすのか???鞭で動かすのか????当然、費用対効果が高い、鞭に向う・・・・理由は、民衆・国民が慈悲の価値観が無い・・・このレベルのリーダーは動物の調教師と同じ方法を取ることになる。
要は、人の尊厳を軽視していると言うこと・・・・