今世紀は、人間主義に向かわないと、目は目をの過去の価値観を引き摺り大変な時代に成ると当初のブログに書いているし、其れを危惧するから書き続けている。恨み・妬みの連鎖が始まれば、餓鬼道・畜生道の価値観で十分だし、力が有れば好き勝手が出来るし、その迷惑は当然弱い立場に成る。一神教の価値観でも一流や高収入の大富豪は恵まれない人に施しがステータスだし売名行為にも成っている。要は、己の格を上げるための手段という事・・恩を与えているだけで愛を与えているわけでない、その為に恩の倍返しも行わない、親子間と同じ、親は愛情と逝って恩を与え続ける。成長して一人前に成って、親が衰えだしたら。恩を感じず、逆に力の無さを恨む程度の価値観に成る。要はこの様な価値観が、問題を複雑にしている。要はくれるという思い命が無いと言う事・・・仏法には、奉仕・尽くす事が善業と説かれている。善の振舞、此だけで十d分だし、幸せ幸福と思える価値観が日本人も薄れてきている。今NHKのドラマで「アンパン」漫画の著作者のドラマのようだ・・・仏法の基本を漫画化して人を好くという意味を教えている。格好悪い死、強くは見えない、己の体、大事と思われる頭を与えて人を助ける。しかし純粋な彼に協力する仲間が多く集まってくる。けさしてバイキンマンをボコボコにはしない、退散させる程度・・・共に生きるという意味も有るし、色んな個性も寛容さで受入れるが、度が過ぎれば当然叱咤したりする。私が危惧していたのが、三悪道のレベルの人が、一番良いポジション争いそのポストに就けば、思い通りに世の中に成ると思い込んでいる。独裁者がリーダーという事に成る。見返りが無い施し出来るのか???菩薩道になる本当の意味「損して徳取れ」になる。WinWinの関係性が良いと言われるが、お互いの捉え方、価値観が違えば、損しているとお互いが思って居る。WinWinの関係性は無いと思って居る。どうせ、後ので揉めるなら、与え・くれた方よい・・・今後は、収入が激減する。lこの状態でも貢し続ける事が出来るのか、私の問われている。
拡げすぎた屏風は、些細な要因で倒れる、分相応に拡げる、大変に成ると言う前提も必用に成る。