2023年9月14日木曜日

リハビリ・・・・

 今日も整形外科医院でリハビリ・・・・体感の衰えと・・・筋力の衰え・・・それに加え、胸椎の12番目背骨の圧迫骨折・・

当たり前だが、その前に、指定難病が有るし、処方されている薬での副作用も多々有る事は判っているが、ツイツイ、健常だった頃の癖で体を動かし使ってしまう。結果、体を壊し・・・今の様な状態に成っている。

人は、変化する、この当然の事も理解していないという事、全てが優劣論や勝撒論の価値観で支配された、私の生き方の問題が、この様に劣り出す、先細りに成る、この方向への対応がまるで出来ていない、駄目な人間という事で有る。

己を機械か!!!!神だと勘違いしている事に成るし、こんな増上慢の考えになるのも、鬼畜の命が私に有るので、関係していると思う。

要は、己の命が命ずるまま命使えば、私は完全なる鬼に成ると言うこと・・・

勝つ事・優秀な事・・・此が生きる目的と思っていたし、此も鬼畜の囁きだったと、今は解る。

出来る事が良い事なのか????・・・良いと成れば、出来ない事は悪いと成る。

出来る事は必然・出来る人は出来る・・・単純に出来る人と言う括りになる、それが優秀、勝っていると言う捉え方が、この逆の出来ない人は、単純に出来ない人で有り・・・それが劣っている、負けていると言う捉え方が出てくる。

誰しも出来る事、出来ない事が有る。

仮に、死ぬ事を簡単にできる人は優秀なんか????・・・・・

私は、規格化された、産業の生産物でない・・・・生きた生物だし、人間・・・此が私の基本になる。

色んな処が、壊れているが、この壊れた状態が、今の私になる。過去の私とは違う・・・この違いが、先に書いている、勝る・優秀の方向に進むことしか、教わっていないし、見てきていなかった。

負ける事も有る。劣るときも出てくる・・・此が人間、生物になる。

今は、劣っている部位が有るので、リハビリにて、治療を受けている。その都度に、体の動かし方を教わっている。

弱った体でも上手に使えば、痛みを軽減し動ける。

健常な時と違うと言う事を、確り、体に頭に認識させることが今の私のリハビリになる。

壊れて、無くなった、機能等々を、カバー出来る、知恵を本来、若い時に多くの先輩や高齢者・身障者等を看て、体で覚えていなかった、逆に少し避けたい・逃げたいと言う、鬼畜の命が邪魔していたと思うが、私その立場に成った、今、無知・学んでいなかった事で、大きな悩み、問題に成っている。

色んな手続き等々も、経験していれば、ある程度解る、しかし、経験が無い・・・・回りに教えてくれる人も居ない・・・・専門家に依頼すれば、出来る事だが、当然、対価が必要に成るし、貧乏で稼ぎが無くなっていく状態の私には不可能な方法になる。

鬼畜の命の為に、当然、耳に痛いと思う話が、鬼畜レベルで有る。

鬼畜が好む、話しは????・・・当然、誰しも解ると思うが、金儲け・人を打つ任す・・・威張れる・・・・崇められる・・・この様な方向の話なら、耳が傾く・・・

しかし、その逆で、現実、必ず死が訪れる、等々の話は、耳が痛いし、聞きたくない話になる。この延長線上が、私が先に書いた、高齢者や障害者等の繋がりから逃げる、避ける、この流れが勝手に体に染みついている。

人では無い、鬼になる。

死ぬ前に鬼を卒業して、人として死に対し、少なくても人として生きたと言える時間を残したいと考えている。

人に勝つ事を、教わり・・・それを正しいと思っていた。

しかし、己自身が壊れ出す時は、その様な事など、一切意味を持たないし、逆に、俺は凄いからこうならなければ等々の思いが強くなるし、思っても現実にならなければ、当然、その様なシステムの社会を恨み出す事に成る。

単純に、人として生きれば十分だと、今は考えるようになった。

老いて病を患っている、普通の人間・・・・この普通が出来る事に感謝だと私は考える。




血痰・・・・

 何時もの目覚め・・・・重い・痛い体を無理に起す作業から始まる。

くそ~~~負けるものか!!・・・朝一の私の恒例の事に成る。本来なら、目責められて感謝と言うのが本来と思うが、私の場合、目覚めると、痛さ・辛さを一気に感じ出すので・・・起きる事が苦痛と思える、だから、結果として、くそ~~~~負けるものか!!!と成る。

今朝は身支度中に、肺の洗浄を前回済ませた後、痰が出やすくなった。肺の中のカビが取れたのか????・・・気道が開いたのか、痰が出やすくなった。

その為に、毎日、朝一に、痰を吐く、此が日課になっているが・・・・今日は、少し量が多い、何度も、痰を吐く行為を繰り返すことになった。

よくよく痰の見ると、赤い・・・・・血痰を出しているようだ。

来週には、久留米大学病院への通院日・・・・呼吸器科も受診に成っていると思うし、成っていなければ、確認して予約を入れて、看て貰おうと思っています。

この病に成ってから、徐々に体が壊れていく感じがする。

こんな事も出来るようになったと言う、年代は過ぎ、今は、こんな事も出来なくなったという、年代・時が私に来ているようだ・・・・

当然、起きることだし、当たり前の事だが、覚悟が私には無かったし、その為に備えも疎かだった様だ・・・・

若いときから、「生老病死」の問題を、意識し・生きてきたつもりだが・・・学びが足らなかったと言う事・・・・理由は、その様な人が側に居ない、又は、私自身が避けていて、見ない・知らない方向を求めていたためだと思う。

結局は、私の周りに居ない、当然、私に起きるわけがない・・・この考えで生きていて、当然、起きうる、老いる・病を患う・・・子の立場に成った瞬間に、俺だけ~~~と悲観的に考えるし、普通でないと焦ることになる・・・又、心も、当然、被害者意識が占領し出す。

起きうる事、誰しも成る事、此が被害なのか????・・・被害でない、当たり前の事に成る。この当たり前を、日頃から見て、学んでいれば慌てる事も要らない・・・・

誰しも、死へ向かって歩いている。この道理を変えることは出来ない、どんなに権力が有ろうとも、お金を多保っていようとも、どんな人間・生物にも平等に訪れる・・・当然の現象・・・

私は三流で、鬼畜の命が強い、結果、俺だけは~~~の思いが強い・・・

殆どに人間・特に日本人なら、一流で優秀な人が多いので、誰しも、確り見て、中には看続けて・・・看取る等々を、多く経験され、人の生き死を確り、命に刻んでいる人達だと、私は、思っているし、それが人の姿だと信じている。

まさか、私の様に、鬼畜の命が強く、争い・勝つ・此が生きる目的、此を続ける事が、理想だし、それが適うと信じているからと・・・しかし、厳然と死が待っている・・・寿命が有る・・・此を知ると、不死を手に入れたいと思う。完全に鬼と同じという事・・・

人の姿をしているが、鬼なのか????・・・俺は鬼、死なないと生きていて、本当に死なないのか????絶対に死ぬ・・・・

死を真剣に考えるから、生きる意味が出てくる。

今、私は、浅く考えていた部分が、深まっていることに感謝している。

生きる意味、生きた意味を、壊れた体に成って初めて、強く考えるようになった。感謝に成る。