今日は納骨堂の除草剤の散布を行うために八時前に納骨堂に、同級生の二人が準備のために来ていた。色々心配・迷惑を掛けたことを詫び・・・嫁が除草剤の散布のお手伝い・・・来月の第三日曜日には全員での清掃作業があるのでその前に除草剤で草の除去の計画になる。三十分ほどで終了、その後は私の隣組の担当で、八時よりお宮の清掃活動があるので、お宮に向うことに・・・・隣組の人にも挨拶が出来、気持ちが少し軽く成った。行動するこれが苦痛の時が有る。特に、世話をする作業等の場合、この様な体で参加しても邪魔になると身を引くこともある。しかし、甘えかも知れない・・・手伝うことは何か、色々有ると思う、己の身で出来る事を探して貰うのも共に生きる村の行き方だと思って居る。各々、個性や特徴が違う、全く同じという人は居ない、と言うことは、普通と言うレベルが無いと言う事・・・しかし、普通で無いから遠慮すると言う人も居る。この生き方だと、永遠に溶け込めない・・・・勇気を出して伺う・・・・オリンピックと同じ、参加することに意味が有る。
価値観が違うと衝突すると言われるが、私は価値観が違うのが人間と思う。各違う・・・本当に価値観が違いが衝突を生むなら・・・・お金本位主義の価値観の人同士なら衝突しないのか???現実は同じ価値観でさえ衝突を起している。俺さえ良ければと言う価値観なら、誰しも解ると思うが、同じ様な価値観同士なら揉めることは想像できる。私は、一人一人、価値観が違うと思うし、其れが個性だし、特性に繋がっている場合がある。全てを受け入れれる人間力の許容の大きさを求めている。この部分で怖いのが原理主義、此が正しい・優れているという一方的な方向に走り出すこと、この価値観から外れれば当然、人でない、人権も感じれないとなる。
色んなジャンル・趣味を行ってきたが、全てにこの方向性があるし、其れを上手に使えるものが、神輿の上に乗る担ぎ手は神輿を運ぶが、必然的に神輿に乗っている人は楽に運ばれることになる。