2018年1月12日金曜日

初走り如何するか???

今年になって、正月を七日以上過ぎても、RCを走らせていない・・・・

この様な年も珍しい・・・

下手な、私は操作技量の鍛錬という、大きな目標が有る。

昨年からの、課題の、車に乗っている加重を如何真直ぐ方向に向けるか・・・・之が出来ない為に、実車で言うタコ踊り方向に成る。

仮に右に乗っている加重を消す操作・・・・之を頭で考えても、難しい・・・勿論、無知な私の為に難しいと成っている。

ストレート進入時は、スピードも高く、右方向に加重が乗り続けているが、之を真直ぐに向ける為には?????

グリップ走行なら、スローイン・ファーストアウトと、成るが・・・ドリフトの見せ場と考え、ストレートに印入部分で、速度を増す、結果、ストレート入口、部分で、OUT側に車がスライドして向かっている・・・加重が右に乗っている感じに成るし、現実には、このOUT部分で、急激に減速方向の操作をしている。

結果、加重が右方向に乗り過ぎて、真直ぐにしたいと思った時には、一気に振り子の原理で、左の飛び出る感じの挙動を示す。


ライン取りを変えれば、有る程度、対処も出来るが・・・・面白みを私は感じないので、この進入方法での、操作を模索し続けている。

簡単に書けば、ストレート入口を全てOUTクリップで通過・・・結果、ストレート進入時は、OUTにリアを向けた、直線に対して直角に近い車の角度に成っている。

この部分の角度も浅くはしたくないと言う、拘りが私には有る。

一般には逃げるポイントで、相手に横腹を見せていたいと言う拘りに成る。

特に減速方向での、ギリギリの絡みは格好よいと私は考えている・・・

減速方向なので、車を縦に走らせたら激突する・・・・前走が深い角度を保ち減速していれば、それに最低でも合わせる事が必要に成る。

ドリフトアングルの微妙なコントロールの部分を見せるポイントとも考えている。

又、車の挙動を見せる場合、加減速ポイントが大事に成るし、その部分での加速度が大事に成る。

瞬発力の加速・減速が必要に成るという事に成る。

この部分が、ゴリゴリと感じるか、ツルリンと感じるかの違いになる。

しかし、下手の克復は難しい・・・・加重の乗り過ぎると思うから、軽量化や、重量物の低重心かをしているが、それでも、乗り過ぎる感覚が有る。

タイヤの食い過ぎている為か???・・現状、塩ビ管タイヤ・・・・・ダンパーが弱いのか???・・・・スタビが細いのか????等々、色々、考える部分は有るが・・・・

私の場合は、シャーシの問題より・・・操作の問題が原因だと思う・・・・

今後、一つのテストを考えている・・・・ケツカキの特徴を生かして、消したいと思った時に一気にフロントにトルクを伝え、又滑る程度に与え、その後FFの様にフロントに引かせて、シャーシを安定させて真直ぐに向ける方法・・・

操作としては、FFのタックインの操作に近いと思うが、之を真直ぐに利用する・・・タダ、問題が思う様にフロントの舵角をセンターに向ける事が出来るか???

今の私の車だと、この時点では、勝手にキャスター効果でカウンターが出ている常態・・・之を抉る様な操作で、ハンドルを真直ぐ向ける、事が出来る可能性が少ない・・・

セイバーが弱い為だが・・・・この部分も加味して、操作を如何するか、無知の為に試さないと解らない・・・・コースでの、教えてくれる人が居るなら良いが、その様な人を居ないので、自分の探す事に成る。

現実のこのポイントで、フロントの舵角の動きと車の姿勢を、トータルで見ると、バタバタしている感じがする。
勿論、大きな表現は出来ない為に、微細な動きだが、意外感が有る動きをしている、この部分に、確りした、解説が出切れば、対処方法も解るが・・・単純に意外感位の感覚の為に、解らない・・・・

詳しい人見れば、客観的に指摘できると思うし、其れがアドバイスに成るが・・・現状では之を求めることは出来ない。

操作が解らないから、バタバタした方向に成る・・・・この部分も基礎を知らないからと思うが、之も私の無知さが原因だと思う。

自分自身が、恥かしいと思えば、努力もしだす。私はその部分が多々有るので、飽きないと考えている。










基礎が有るから、特殊性が解る・・・

何の世界でも言えることだが・・・・・基礎が有るから・・・特殊性も解る・・・

しかし、特殊性が基礎になり、基準に成れば、其れが普通や当り前と成る・・・・

難しいのが、基礎を探す作業に成る・・・・

今は、結果、アフター部分が表に出過ぎている・・・・その為に、基礎が見え難い・・・・

昔は、基本や基礎部分に、注視し・・・地味だが一所懸命に努力する人も居たが・・・
現代は、結果主情主義で・・・・・この部分を無視する流れも、厳然と有る。

この基礎・深く言えば、本質は何か・・・・之を探求する、之も、求められる時代に成っている。

昨年の盆月に亡くなった、友が、言っていたらしいが・・・・・病院に行き、大変だと言う事で、大病院等に行く、勿論手遅れだったが・・・医師の対応が、要らない扱いを、受けたと本人が感じて、大きく憤慨していたとの事・・・・・

勿論、治らない、解った時点から、一ヶ月で亡くなっているので・・・手の施しようは無いと思うが、医師の本来の仕事は????・・・・・・・・病気を治す人ではないと私は考えている。
この考えで行けば・・・人がマシーン・機械化した方が、失敗も少なくなるし、誤診も無くなると、益々人が、事務的に成って行く・・・・

治せば良いと成れば・・・・治せない病気は誰が看るのか????・・・医師の基準を決めると、患者側にも基準を求めだすのは、当然と成る。

私の仕事は、修理に成る・・・・物の修理だが・・・ユーザーが喜び、信頼して頂く、之を目的に、修理をしている。修理が目的で無いと言う事になる。

対価も、喜んで、渡して頂く、感謝して渡して頂く、之が有るから、私も感謝の念が出るし、モット、技術を磨こうという思いも出て来る。

簡単に書けば、ユーザー側に助かった有難うと思って頂く・・・之が修理人の職人技に成る・・・・

間違った職人技は、過剰にし過ぎる・・良くし過ぎる・・それで、対価も高ければ、ユーザーは感謝するか???・・・・

ユーザーに合わせた・・・バランス感覚が必要に成るし、その為には鋭い洞察力も必要に成る。

要は、人間勉強が出来ているかに繋がる。

私が考える、高みを目指す・・・勿論、狭い方向に向うが・・その高みが無限にあるのが、本来で有る。

人の数だけ、高みが有る・・・・しかし、誰かが決めた基準を元に高みを作るから、競争が起きるし、挫折者を作り出す。勿論、其れが何かを得る事が出来れば良いが、大多数が敗者で、居なくなれば本末転倒の、高みの指示・命令になる。

現代人は?????と考えた場合・・・・人に対して、何を与えているか?????・・・・
逆に、自分に対しては何を求めているか?????

この整合性が、矛盾して破綻していると私は考えている。

人として何が出来るか????之を考えれば、力は無いが、少しでも人様に元気・勇気を与えられたらと考えるのが、普通だと私は考えている。

私は、格好よい事は出来ないし、又、お金も無いので、貧乏だが、悩み苦しみながら、不思議に楽しく過している。勿論、比べる基準を変えれば、恵まれた環境に居ると思う・・・

最近の風潮は、羨ましい、之を求める人が多い・・・この状態に成る事が幸せだと考えている事になる。
しかし、逆に、妬みを心を創っている事にも成る。この事は、不幸だと思わせる事にも繋がる。
勇気を殺ぐ、元気を殺ぐ、流れが有ると言うことになる。

しかし、現実は、逝った母が言っていた様に、見かけに成る。老婆が路上で汚い格好・服装で倒れていたら、誰が手を貸すか????・・・・キラキラしているダイヤの指輪を大きく見せびらかして倒れていれば、手貸す人も出て来ると言っていた。

しかし、最近は、その物だけを持ち去られると私は考えているが・・・

趣味の世界も同じで・・・・小汚い、古いシャーシ・・・誰も見向きもしない・・・・しかし、走る事は十分出来る・・・目的は走る事なら、十分と言う事になる。

面白い事に、昔、閲覧者の数の動きを考えて、新発売のシャーシを掲載すると一気に増える、又その走行動画等をUPすると凄い数に成る。

私の目的は、閲覧者の数の動向や趣向を、調べたくて行なった事だが・・・・人とは面白いし、方向性が同じ、個性の少ない人が多い事に、驚いたが答えに成る。

結局は、方向性が違うと感じた瞬間、拒絶が始まる・・・・・人の保身、この部分の強さに驚くし、其れだ自分が大事だという事に成る。

自分が大事なら、自分らしく生きて、個性を磨けば良いと思うが、其れが無い・・・・・結果、大勢の手駒に成って、雑巾として働いている事に気付かないが、気付いた時は、スッパリと消える事に成る。

要は、勘違い・・・・自分が思っている普通や当り前と言う部分が、若しかすると、特種かも知れ無いと言う事に気付かないで居る点・・・・

本来、人の数だけ、個性が有り、価値観が有る・・・之を前提で考えていれば、自分は特殊だと言う事は当然と成るが・・・・・

この部分が、自分は回りと一緒という安心感を求める為に・・・大きな間違いに気付かない場合も出て来る・・・・之が大きくなれば、先の大戦に繋がる流れと同じだと言う事に成る。

この時に逃げたくても逃げられない、がんじがらめの状況下に成ってしまっている。

協調性とは、染まるという意味でない・・・・違う価値観同士が、分かり合う努力をする事を言う・・・・

間違って、染まる事と思えば、違う価値観が悪い、其れを潰さないと駄目だと言う理屈まで出て来る。
潰した後、協調性が保たれたと成れば、意味が違う事に成る。

戦争も、理由は、協調性を保とうとした結果、私が正しい、相手が悪しと成るから、起きる・・・・

協調性とは、努力目的と言う事・・・終わりなき努力を続ける事が、協調性を保と言う事になる。

しかし、之も、基礎等々の部分が、無ければ・・・難しくなる・・・・

基礎が、整ってない人も居るし、国も有る・・特殊性が基礎と思っている場合も有る・・・

之を、解らせるには、可也の時間と、努力が必要に成るし、大事なのは、聞く耳を持っているか、この部分が大事に成る。

しかし、何故か特殊性を普通と思っている人は、聞く耳を塞ぐ人が多いのも現実には多い・・・

結果この様な人を増やさない為に、如何すれば良いかを、本来社会が考える事に成るが、権力者の立場だと都合が良いので、放置状態が現状の様だ・・・・









必要最小限の言葉・・・

病院へ・・・・レントゲンを撮り・・・診察・・・・何時もの流れ・・・

医師、お変わりは無いですね~~~・・・・痛みは如何ですか??・・・・何時もの言葉・・・

レントゲンを見ながら、変化は無いので、このまま、続けましょう・・・・・・

私は、無知なので、何を続けるのか???・・・・解らない・・・・治療を???・・・・何の処置もしてもらっていない・・・・温存療法・・・・

経過をみる・・・・悪く成っていないが、良くも成っていないと言うことらしい・・・・

医師を信頼し、無知な患者だから、色々教えを請いに行っている部分も有るが・・・・基本何も教えない事に成る。

今日、診断書のお願いをした・・・・前回は、外科の方から、打撲による、一週間の加療が必要と言う診断書を警察に題しているので・・・・・

現状での診断書を求めたが・・・・この部分で、初めて、医師が、一ヶ月の安静が必要と成るとの事・・・・もう一ヶ月以上経っているが・・・・安静をしないで良いのかと尋ねると・・・医師の見解が安静で、其れを越えたから、動き回って良いと言う意味でもないとの事・・・・馬鹿な私の頭では理解が難しい・・・・

再度、全治は何ヶ月ですかと尋ねると・・・・無言・・・・

意味が解らない・・・・・・

又、安静期間が過ぎたので・・・何か、治療方針で、リハビリ等々が有っても良いと思いますがと、尋ねると・・・・

リハビリは、出来ますが・・・この部分はリハビリ科の判断を仰いでからに成るらしい・・・又・・・リハビリの際、通院に、自分で運転して来る・・・この危険性が有るので・・・医師としては色々考えて、この言葉は控えていたとの事・・・・

結局は、訴訟や事故を、重んじる余りに、言葉を控えていたと言う事になる。

結論を言えば・・・・・田舎の為に、公共の移動手段が無い・・・・・結果、どうしても車を運転して来る・・・・・この際、事故を起したと成ると・・・・病院側や医師側にも責任が及ぶ危険性を危惧している事に成る。

患者に対しての配慮かも知れないが・・・・私の感覚だと、自己保身の考えが強い気がする。

結局は、医師に対して、要望を言える、知識が無ければ、先に進まないと言う事に成る。

私の様に、無知で馬鹿は・・・医師に対して、先生、治して下さい・・・この思いで伺っている・・・簡単に書けば、医師に全てを任せている。

しかし、医師は任せてもらっても困ると言う話に成る・・・・・

今回、リハビリを整形外科医にお願いしたが、賛成も無く、反対も無い・・・結論は、自己責任で行なって下さい・・・・

今回は、少し、変化が出来たのも・・・患者側の、私が、提案・質問したからに成る。
しなければ、今まで通りに・・・同じ事を続ける事になる。

患者側は、自分の生活・人生を病院側に任せた、感じて伺っている・・・・・しかし、受け入れ側は、役所的感覚で居る。

簡単に書けば、セフティーネットに引っ掛かれば、行政が動くが、それ以外は、放置・見て見ぬふりを続ける行政・・・・・・ある基準を加味すれば治療を行なうが、それ意外は、経過を看ると行って放置している医療界・・・・似ている部分が有る。

人は、生活と言う日々を戦っている・・・この戦いが出来難い、出来なく成ったから、頼って行っている・・・・しかし、基準に合致しなければ、何の処置もしてくれない・・・

人を、固定化した、点で判断している・・・・・動き続け流れ続けているのが人である。

私の病院嫌いも、この様な部分が有るからに成る・・・・

勿論、患者側、市民側にも問題が有ると思う・・・・その為に、自己保身に向う、特に上の立場なら尚更に成る・・・・・

前回も書いたが、何故病院に伺うと、不安が増えるのか????・・・・・・病院に行って、元気を貰ったり、勇気を貰ったりという部分が無い・・・・

心が暗くなる一方である。

昔は、病は気からと言われていた。・・・・・最近は、病うと気が滅入るし・・・其れを解消しようと病院に行くと、益々滅入ると言う部分も有る。

心療内科を受診した方が、私の場合良いかもしれない・・・・・

精神的にまいっているので・・・この部分は、怪我の治療等では直らないと言う事のようだ・・・


通院前・・・・

通院前の時間・・・・・

趣味のRCの事を考えている。

若くして、この趣味に入り・・・・・結果、今の歳まで続けているし・・・

他の趣味と違い・・・・大きな不を背負う事も無く・・・・楽しく続けている。

勿論、不の考えも・・・・各々の考えや経済力で変わる・・・

私みたいな三流で、貧乏人でも・・・それなりに楽しめる・・・・又・・・・年齢的な体力差、五体の差も、大きく現れないので・・・・・この歳に成っても続ける事が出来ていると思う・・・・

この部分は、RCの魅力だと、何度も書いているし・・・・若い時にこの世界を経験した事に今では感謝している。

現実に、子育ても終わり・・・人生も終盤に向う時・・・・空いた時間を如何、埋めるか???・・・歳も有る程度、高齢に成れば・・・新規の挑戦等、中々出来ない・・・

手っ取り早い、パチンコや・・その他の遊びを趣味にする方向に成る。


現代は、手っ取り早く、楽しめるものは多々有るが・・・結果、お金も必要に成る。自分の経済力とバランスしていれば良いが・・・・この部分が無ければ、結果的にモンモンとする、方向に成る。

私は、RCの趣味が有る為に・・・・・感謝している。

この世界・・・・機械的な部分が目立つが・・・現実には、地味な事の積み重ねが大事に成る。
目に付き難い部分を、詰めて行く・・・・

簡単に書けば、職人的、拘り、探究心が必要に成るし・・・・又、走らせるという、操作の技量のUP等々が有る。

古い人間なので、年期が必要だし・・・石の上い10年等々の、職人用語も、必要に成る。

現実に、10年は確り、基礎部分を磨く、之が無ければ、変な癖が付き、結果的に、この世界から去って行く事に成る。

RCの世界の奥の深さが、昔ながらの、職人芸と言う部分が、有るからに成る。

しかし、誰もが簡単に直ぐに走れる・・・之も無ければ、裾野は広がらない・・・此処の考えが、各製造メーカーの考え方になる。

素を販売するか・・・個性を販売するかの違いと成る。

有る老舗のメーカーは、一過性の方向に五年程前から、舵を切った・・・・

色んなジャンルが有る・・・之は実車の世界も同じ・・・・しかし、基礎の部分は???・・・殆ど一緒の為に・・・原点の基礎に戻る事が出来る。

之が、多様性を生むし・・・戻る場所が有るので・・・続ける事が出来る事になる。

実車で、よほどの事が無ければ、車の運転を飽きたと辞める事は無いと思う・・・・

しかし、ジャンル思考が強過ぎると、独特の世界に成って行く、簡単に書けば、基礎を無視した、発想までが出て来る。

この世界が常態化していれば・・・飽きた辞めた時は、全てのRCを辞める事を意味する事になる。

何故かは、意識の問題と私は、考えている・・・・単純に走る事が楽しければ、良いが・・・この部分を忘れ、人目や勝ちを意識する・・対、他人の事が気になり過ぎて・・・結果的に、走ると言う意味を忘れている事に成る。


何度が書いているが、色んな実車のジャンルが有るが・・・そのジャンルで楽しんでいても、現実の市販車の一般大衆車での帰路の道も、ドライブを楽しんだりしている筈である。