2017年8月1日火曜日

子供・・大変だ・・・

祭りの会計責任者が来訪・・・

私が立て替えていた、お金の清算に来られた・・・

私の五男の子供と同級生の父親になる・・・・

子供の話で、盛り上がった。

今回、一所懸命に売り子として、働いた娘さんを褒めた・・・現代子なら・・・同時進行で幾つもの事をこなす、之が出来ずにパニックに成り、殆どの子は放棄して、逃げる様な状況でも、愚直に続けられた姿に、感心したと、私の気持ちを伝えた。


最近の子供は、将来を考えると、本来は凄い大変な環境になる、その為に、同時進行で、こなす、この能力が必要に成る。

なぜから・・・・昔は子供が多く、一人の子供の受け持つ責任も少なかった・・・しかし、現代は少子化が進行中・・・・・・・

人の世の為に、親も居る・・・・祖父母も居る・・色んな環境が有るはず、この部分はその子が背負っている宿命の部分に成り、責任に成る・・・

勿論、一家に、沢山の子供、兄弟が居れば、分担もされるが、之が出来ない一人っ子の場合、親二人・祖父母二人・・・計4人の、介護面倒を見る、責任を背負っている事に成る・・・

生活を立てて、この責任も果たす・・・大変だと私は考えている。

仮に結婚する、その相手が、一人っ子だったら・・・計8人の面倒を看る責任が発生するし・・・当然、子供を儲ければ・・・子供の含みで・・9人の面倒を看る責任が出て来る・・

この数を、増やしたくなければ、一人っ子に子供もしてしまう。

若し婚期が、遅かったら・・・・親自身が、高齢になり、その面倒を看てもらう立場に成る可能性が有る・・・一人に、10人がのしかかる事に成る・・・・

最近は、高度医療の発達で、長生きが当然といわれている時代・・・

又、一軒の家に10人なら良いが・・・・・核家族の影響で、多々の家の管理もする、方向に成る可能性も出て来る。


兄弟が居ないと言う事は、全て担う、覚悟が必要に成るという事にも繋がる・・・遊ぶ暇が無い事にも成るし、介護・介護の一生に成る可能性も有る。

少子化の怖さが、この部分・・・・・宿命をどう考えるか・・・逃げれば済む、この方向になれば、この宿命を誰かに、担わせる事にも繋がる・・・


最近、老老介護が話題に成っている・・・・手を貸す、若者が居なければ、この形にも成る・・・

居ても、その様な教えをしていなければ、結果、子供を作っても同じ事になる。

高齢の親を、高齢な子供が介護・・・その部分に手を貸す人が居ない環境・・・・親が亡くなった後は、高齢の子供は誰が看るのか?????之も今後の課題になる。


子供は、国の宝だし、家の宝・・・・子供には、宝と言われる、義務が有ると言う事・・・・

宝と言われる分、行動が必要と言う事に成る・・・・優秀な子供なら、可能かもしれないが、私の子供の場合、無理、無理なら、頭数で、カバーする。この方向も有ると思う・・・

昔は、親の介護を、兄弟で、押し付け合う、余裕が有った・・・・今は、押し付ける兄弟も居ない・・・

益々、将来の予想もし易い環境に成っている。


昔のおば捨て山が現代の老人ホームにも成る・・・面会も誰も来ない、この状態で死を迎える人も居ると言われている・・・・勿論、ホームには入れる、金銭的余裕が有ればの話だが・・・

余裕が無ければ、結果的に、国の保護下で、人様の税金を使う事に成る・・・・
この部分を得と考えるか、恥と考えるかで、この部分も考えが変わる・・・・

自分だけ良ければ、この価値観なら、今の世の中、好き勝手に生きて、最後は国の保護下に入れば、済む事・・・・・之を得、損しない生き方と考えていれば、簡単に出来る。

しかし、恥と考えれば、出来ない・・・・

誰しも、将来の事は、解らない・・・・・しかし、現状の価値観や生き方を見ていれば、将来の予想も出来る。

5年後・・・10年後・・・15年後等々、およそのイメージが出来る筈・・・・

勿論、それまで、今の環境が有るという前提に成るが・・・

私は子供達に、恵まれている、五人の兄弟が居る事は、その分の責任が減る、その分、社会に奉仕が出来る筈と私は、言い続けている。

しかし、意味を理解している様では無いが・・・・

先人の面倒・介護に一生を費やす必要が無い、之が兄弟が多い事に成る・・・

若し、一人っ子だったら・・・その責任の重圧で、パニックに成り・・・考えない方向に、進む可能性も出て来る。


若し、女の立場で、又嫁の立場で、同時に、実の親と姑親の介護が発生した場合、どちらを優先するか・・・之が、現代の価値観で、答えが変わる部分に成る。

良い嫁と言われる人と良い妻と言われている人では、答えが違う場合が有る・・・

しかし、この様な究極の判断をしないで良い方法が、兄弟の多さに成る・・・

嫁に出た、娘が、実家の墓守をする、可能性も現代では有る・・・〇〇家の墓を××家が、守る・・・・

又は、去年、納骨堂の責任者をしていたら、叔父・叔母の遺骨の相談を、姪に当たる人から相談を受けた・・・叔父は、〇〇家・・・・しかし、自分の実の親の墓は、同じ〇〇家だが、一緒に入れる訳が出来ない・・・又、叔母は、××家に嫁って、苗字が変っている。その為に又一緒に入れる訳にもいかない・・・その様な幾つも遺骨を、△△家に嫁った、姪が悩んで、北九州から、来られた事が有った。

少子化の問題、離婚の問題が、この様な時に一気に表面化する。

一度家を出た人間は、昔の考えなら、墓くらいは購入している・・・この考えだったが、マサカ自分が死ぬとは考えていない、その為に、墓等々に意識が無い・・・・

自分の思うままに、生きて最後は死ぬ、死ねば、必ず、親族等を行政が探し出す・・・

縁が無い、親族の処理を行政が依頼した場合、知らないと言い張れるなら、良いが、若し、責任を感じたら、最後は遺骨をどうするかに成る。

現代は、終戦後の価値観の変化で・・・一気に変化している。戦後 子沢山で、兄弟が多々いた、その人達が自由、思うままの人生が大賀できると勘違いして、子供も作らず、離婚を繰り返す、この様な叔父・叔母を持っている人も、多く成っている。

この人達の処理は、結果、後世の親族の責任に成る・・・・後世の親族が少なければ、責任の大変さが、一人に向っている事に成る。

怖い部分がこの部分・・・・・親や祖父母、意外に叔父・叔母の、老後の介護まで、背中に乗る宿命を持って生まれた子供が、多いという事・・・兄弟や従兄弟等々が多ければ良いが、それが無ければ、一人で全てを背負う事に成る・・・・

この部分が、昔は結婚式で、親族の紹介等が有っていたが、責任を解らせる為の、一つの行事・・・・

結婚とはそれ程、覚悟が必要だし、責任を背負う、勇気が試されている事に成る。

この覚悟が有るから、離婚も少なかった・・・・覚悟無ければ、その場の感情の諍いで、簡単に離婚もする。

この様な部分も、三流以下の私だから、考えないと、解らない部分・・・・一流な人や優秀な人を、当然、当たり前と認識している部分と思うし、当然過ぎて、笑われる部分かも知れない・・・

この宿命の部分は各自違う・・・この部分を知っているから、人と付き合い、相手が解るという事に成る・・・・恥では無い部分、当然の部分に成る・・・・

人と付き合うと言う事は、覚悟が必要である。この覚悟も自分の力量でも変る・・・私は無いので、結果慎重に成る。

よく、全てを知ると言われるが、宿命部分も含めてに成る・・・・之を知る為に、無知な私は、努力が必要という事に成る。

先に書いている部分で、兄弟が多くても、従兄弟が多くても、簡単に放棄する・逃げる価値観が強い人ばかりなら、結果、誰が責任を負うか、自ずと解ると思う・・・

この部分が教育に成る・・・兄弟や従兄弟達が、どの様な価値観の教育を受けたかに成る・・・・放棄する又逃げる、兄弟や従兄弟を信用できるか????この部分まで成って行く・・・

私が何度も書く、家の崩壊、一族の崩壊方向に、今の教育・価値観が向っていると私は感じる。之は結果として、国の崩壊に向っている事にも成る。






午前中はバタバタ・・・

朝食も取れず・・・バタバタ・・・

又、雨漏りの件で、保険屋さんも来られ・・・・

色々、忙しかった・・・

午後からは、月末の伝表処理が待っている。

この様な、環境が続く事を願っている。

先週・・私の学友に電話したら・・・大病を患っていて・・・病名はガンらしい・・・よく解らないが、それが原因で、足がパンパンに腫れて・・・歩けないと、電話口で言っていた。

昨年も、学友を、亡くしている・・・・

色々、体が枯れて行く方向に、年代的に向っているとつくづく、感じる・・・・

この世に何を残せるか・・・又、継承させるべきものは何か・・・・この様な部分をソロソロ、吟味する、時に成って来ている。

勿論、三流でレベルは低いが、不の部分は残したくない・・・勿論、先人達が残している、不の部分も出来るだけ、解消して、後世には残したいと考えているが・・・思うように成らないのが、私の現状の力になる。

勿論、一流で優秀な人が多い、この日本国・・・・他人の不の部分も対処して頂く、可能性も有るが・・・劣っている、自分がは どれだけ、不を背負えるかが大事だし、この背負っている物を、継承する人も創っておく必要も当然出て来る事に成る。

この部分を、損と考える人は、背負う事を基本嫌がる・・・・この部分は誉と感じる人を、多く輩出する事が、私の年齢だと大事に成るように感じている。


勿論、優秀で一流の人は当然簡単に出来る部分と思う・・・・

しかし、優秀や一流・・・之は何を意味しているかも大事に成る。
他人から優れていると言われる・・・此処事は、何を意味しているかに成る。

人が食べる事が出来ない、高級料理を食べる・・・・高級車に乗れる・・・この様な部分は、他人から、羨望の目で見られる事は解るが、他人に対して優れていると言う事ではない・・・
悪く言えば、他人から、妬みを受ける立場と言う事に成る・・・

他人に対して、良い影響を与える人が、優秀な人だし、それを一流の人だと、私は考えている・・・

人から羨望の目や、嫉妬・妬み・最後は恨みまで持たれる立場が、一流とは思えない・・・・

優秀な人が、美味しいものを食べている・・・それを見て、お腹が一杯になったり、味が解ったり、他人は解らない・・・・逆に食べたいと言う、欲が出るし・・・もし、自分の分を知らないで、この行動に走れば、破綻に向けて走っている事に成るし、他人を破綻に向け扇動した、優秀な人は、それを、どう感じるか・・・・自業自得と片付ける、方向性の人の可能性が有る・・・

優秀や一流の人が、他人はどうなっても知らない、若い人の表現で言えば「死ねば~~~」的に、他人を考えている・・・又、他人を多く利用する、之が優秀な人間の特権と考えていれば・・・

一般に言われている、優秀や一流の単語の感じ方も変り出す。

勿論、私が書いたような人は、一流や優秀な人には居ないと、私は願望している。

この願望が有るから、三流以下でも努力すれば、不の清算に手を差し伸べる人も居ると思っている。之の夢が有るから、生きて行けるとも考えている。

私の様に、レベルが低いと、手を上げたら、掴んでくれる人が、優秀で一流と考えている・・・

逆に、手を上げたら、一瞬に消え去る・・・この様な人は唯の恩を知らない人と考えている。

有る人が、言っていたが、恩・義理を無視する人は、一流でも優秀でも無いと言っておられた・・・又別の人は、墓守を意識していない人は、人として信用できないとも言っていた。


結局、人は、寿命が有る・・・・死ねば全て無くなると言う考えも有るが・・・人の思いを継承する人が居続ければ・・・・無限に人の思いが繋がり、流れている事に成る。

先人の思いに答える・・・私は当然と考えているが、最近は之も無い・・・・・・・・

最近、この様な事に対して、面白いとも思えるように成って来た・・・・
結局、人は人が作っている・・・特に現代は自由が有る、各自の思いで、之が出来る・・・この総合力が、結果、今の若い人の価値観に成る・・・・

見栄や格好の為に、最終的に自分で自分の首を絞める、方向に成らない事を今は願っている。








崖淵人生・・楽しい・・・

私の人生・・・何故か崖淵を歩む・・・方向に成ってしまう・・・

こんな特徴なので・・・このポジションを楽しむと考える様に成った。

仮に、安全な平場を歩いていても、何故か不安が有るし、この場を維持したいと、無理をする。何故無理なのか、自分の分を超えている場所だからと思う・・・
不思議に、分を超える場所は、何故か不安が有るし、居心地がしっくり来ない・・分を超えているので、危険性もよく理解していない・・・結局は、分を超える、環境では、落ち着かないと言う事に成る。

想像の不安より・・・私の場合、現実に身に迫る不安が何時も有った方が、不安の度合いが違う・・・

分を超える、不安は、考えない努力になる・・・その為に、考えない為の努力が必要に成るし、その部分で、又、無駄な能力を使う、分を超えている環境で、無駄な能力を使えば、抱いている不安方向に進み易くなる。

しかし、身に迫る不安は、見えている為に、崖淵から、落ちない努力をするだけになる。この不安の方が、私の場合楽・・・不安と直接向き合う生き方に成る。

又、世の中の評価・・・・分が無いと評価されると、過小評価される・・・この事は、社会に対して、無駄な信用が、無いと言う事・・之が又、自分を守ってくれる。

分が見えない場合、一般的なレベルと勝手に社会が信用する・・・この場合、分を超える過大評価で信用を頂けば、その信用で、分を超えていれば、身を滅ぼす可能性も有る。

又、各自レベルで、崖の高さも違う・・・私はレベルが低いので、崖下が、近くに見える。落ちても這い上がる事が出来る、高さである・・・之が私のレベルに合う高さと言う音にもなる・・・

生き方では、安全な場所の平場で、何故か、高く飛びたいと思う人も居る・・・もし高く飛ぶ事は、力が要るし、それを維持する為には、それ以上の力が必要に成る。しかし、飛んでいる事は、何時か落ちる事を意味している。平場に落ちるか・・・飛び進んだ結果、平場から外れ、崖の外に行っている場合も有る・・無理して高く飛んでいると、下が見えなくなる・・・落ちる怖さは想像も出来ないし、又落ちた衝撃を耐えるだけの力が有れば、良いが・・・一瞬に無くなる可能性も有る。


又、現代は、目立つ人には取り巻きも増える・・・その人達も引き連れて落ちる事に成るが、最近は恩を知らない人も多いので、一緒に落ちない為に、早めにパラシュートで脱出を試みる・・之も有り得る。

崖淵を共に歩こうと言う人は、何故か少ない・・・その為に、身軽でも有る・・・

勿論、私も守るべき人が居る・・・その為に、出来るだけ、平場に向かいたいが、何故か、この場所から抜け出すことが出来ない。

しかし、この部分を楽しいと考えれば、良いポジションだと私は考えている。

趣味の世界も同じで、私の人生観と重なる。

ストレートに身に感じる、刺激・ハラハラ感・・・この部分が楽しいと感じる。

少しの挙動変化を、ドキット感じて対処・・・このストレートさが好きに成る・・勿論、対処を間違えば、走行は出来ない・・・

この対処の幅を狭めて行く・・・之が、面白いと私は考えている。

簡単に書けば、崖から落ちるか、残るかの二極的、部分が直ぐに解る・・・面白いと思います。

今の、私のRCドリフトカー・・・私の二年前の操作技量なら、全く走らせる事は出来ないと思う・・・この事は、少なからず、操作技量の、変化が起きている事に成る。

私の場合、この部分を大事にしている、半年前の自分が操作出来るか???・・・・出来ない特性の車を作り続ける。

結局、RCドリフトカーの世界も、私の場合、自分の崖淵を探している感じがする。

楽な、方向を目指すなら、私は直ぐに飽きる・・・同じ事で、人生を私は飽きたくない・・・生きる事を飽きない為にも、波乱万丈も面白いと考えている。