私の人生・・・何故か崖淵を歩む・・・方向に成ってしまう・・・
こんな特徴なので・・・このポジションを楽しむと考える様に成った。
仮に、安全な平場を歩いていても、何故か不安が有るし、この場を維持したいと、無理をする。何故無理なのか、自分の分を超えている場所だからと思う・・・
不思議に、分を超える場所は、何故か不安が有るし、居心地がしっくり来ない・・分を超えているので、危険性もよく理解していない・・・結局は、分を超える、環境では、落ち着かないと言う事に成る。
想像の不安より・・・私の場合、現実に身に迫る不安が何時も有った方が、不安の度合いが違う・・・
分を超える、不安は、考えない努力になる・・・その為に、考えない為の努力が必要に成るし、その部分で、又、無駄な能力を使う、分を超えている環境で、無駄な能力を使えば、抱いている不安方向に進み易くなる。
しかし、身に迫る不安は、見えている為に、崖淵から、落ちない努力をするだけになる。この不安の方が、私の場合楽・・・不安と直接向き合う生き方に成る。
又、世の中の評価・・・・分が無いと評価されると、過小評価される・・・この事は、社会に対して、無駄な信用が、無いと言う事・・之が又、自分を守ってくれる。
分が見えない場合、一般的なレベルと勝手に社会が信用する・・・この場合、分を超える過大評価で信用を頂けば、その信用で、分を超えていれば、身を滅ぼす可能性も有る。
又、各自レベルで、崖の高さも違う・・・私はレベルが低いので、崖下が、近くに見える。落ちても這い上がる事が出来る、高さである・・・之が私のレベルに合う高さと言う音にもなる・・・
生き方では、安全な場所の平場で、何故か、高く飛びたいと思う人も居る・・・もし高く飛ぶ事は、力が要るし、それを維持する為には、それ以上の力が必要に成る。しかし、飛んでいる事は、何時か落ちる事を意味している。平場に落ちるか・・・飛び進んだ結果、平場から外れ、崖の外に行っている場合も有る・・無理して高く飛んでいると、下が見えなくなる・・・落ちる怖さは想像も出来ないし、又落ちた衝撃を耐えるだけの力が有れば、良いが・・・一瞬に無くなる可能性も有る。
又、現代は、目立つ人には取り巻きも増える・・・その人達も引き連れて落ちる事に成るが、最近は恩を知らない人も多いので、一緒に落ちない為に、早めにパラシュートで脱出を試みる・・之も有り得る。
崖淵を共に歩こうと言う人は、何故か少ない・・・その為に、身軽でも有る・・・
勿論、私も守るべき人が居る・・・その為に、出来るだけ、平場に向かいたいが、何故か、この場所から抜け出すことが出来ない。
しかし、この部分を楽しいと考えれば、良いポジションだと私は考えている。
趣味の世界も同じで、私の人生観と重なる。
ストレートに身に感じる、刺激・ハラハラ感・・・この部分が楽しいと感じる。
少しの挙動変化を、ドキット感じて対処・・・このストレートさが好きに成る・・勿論、対処を間違えば、走行は出来ない・・・
この対処の幅を狭めて行く・・・之が、面白いと私は考えている。
簡単に書けば、崖から落ちるか、残るかの二極的、部分が直ぐに解る・・・面白いと思います。
今の、私のRCドリフトカー・・・私の二年前の操作技量なら、全く走らせる事は出来ないと思う・・・この事は、少なからず、操作技量の、変化が起きている事に成る。
私の場合、この部分を大事にしている、半年前の自分が操作出来るか???・・・・出来ない特性の車を作り続ける。
結局、RCドリフトカーの世界も、私の場合、自分の崖淵を探している感じがする。
楽な、方向を目指すなら、私は直ぐに飽きる・・・同じ事で、人生を私は飽きたくない・・・生きる事を飽きない為にも、波乱万丈も面白いと考えている。
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