次男が頂いた、ピアノ・・・・今朝、買い取りセンターより搬出に来られた。古いピアノ、私の年齢より、古いと思われるピアノ・・・
費用が必要うだったが、ピアノも新たな、活用法が有るようなので、その道に進んで頂きたい!!!
物も、古くても価値や意味が有るのもの有るし、古くなれば朽ち果てる物も有る。
厳密に言えば、変わり様が無いと思われる物さえ、時間軸を長くすれば、変化するし、朽ちる方向に成る。
此も、何度も書いていることだが、己と思っている、ものは???・・・・肉体なのか???当然、物になる。
それも生もの・・直ぐに傷む・・・時間軸も100年で大きく変化する物で有る。
要は、朽ち果てる物に、どれだけ投資できるか???・・・何を与え続けるか?????・・・此をお此の為と思い込んでいる人が何故か多い・・・
極端な話・・・仏教は、「生老病死」この問題に対して、どう捉えるかを問う、学問・仏教だと私は考えている。
その為に、仏教徒なら当然、確り認識し捉えて、此を糧にして、何を目指すか・・・此が求められるが・・・
何故か、不思議に「生老病死」から逃げたり、避けたりする為の、信仰・祈りだと思っている人が多いし、この様な民衆に対して、それを利用して囲い込もうとする集団・組織まで存在するのが人間社会で有る。
私は、唯物的部分に我身も有ると考えている。要は物で有る。己で無いと言う感覚に成る。己の一部だが、全てでないと言う事に成る。
健康で元気いっぱい、死にます、この様な生き方など、基本不可能・・・
しかし、この不可能に近い方向を、人々は目指し続けているし、その方向に向かわせている。
要は、見られる間は、健常で、優秀な消費者が幸せという事で、燃し、悪くなれば、見えない、気付かれないポジションに成るという事・・・人生終盤で、暗闇に追い込まれるというのが今の社会のシステムで有る。
要は「生老病死」を無視しているし、生有る、人間の世界で無いと言う事・・・これに、本来、気付いて声を上げ続けるのが、宗教界だが、お金の魔力に負け、集金力だけの組織に成り下がっている。
己の身も、もの、当然、古くも成るし、痛むし、壊れる・・・此を楽しむのも人生という事・・・