2023年11月19日日曜日

新たな、出発!!!

次男が頂いた、ピアノ・・・・今朝、買い取りセンターより搬出に来られた。古いピアノ、私の年齢より、古いと思われるピアノ・・・

費用が必要うだったが、ピアノも新たな、活用法が有るようなので、その道に進んで頂きたい!!!

物も、古くても価値や意味が有るのもの有るし、古くなれば朽ち果てる物も有る。

厳密に言えば、変わり様が無いと思われる物さえ、時間軸を長くすれば、変化するし、朽ちる方向に成る。

此も、何度も書いていることだが、己と思っている、ものは???・・・・肉体なのか???当然、物になる。

それも生もの・・直ぐに傷む・・・時間軸も100年で大きく変化する物で有る。

要は、朽ち果てる物に、どれだけ投資できるか???・・・何を与え続けるか?????・・・此をお此の為と思い込んでいる人が何故か多い・・・

極端な話・・・仏教は、「生老病死」この問題に対して、どう捉えるかを問う、学問・仏教だと私は考えている。

その為に、仏教徒なら当然、確り認識し捉えて、此を糧にして、何を目指すか・・・此が求められるが・・・

何故か、不思議に「生老病死」から逃げたり、避けたりする為の、信仰・祈りだと思っている人が多いし、この様な民衆に対して、それを利用して囲い込もうとする集団・組織まで存在するのが人間社会で有る。

私は、唯物的部分に我身も有ると考えている。要は物で有る。己で無いと言う感覚に成る。己の一部だが、全てでないと言う事に成る。

健康で元気いっぱい、死にます、この様な生き方など、基本不可能・・・

しかし、この不可能に近い方向を、人々は目指し続けているし、その方向に向かわせている。

要は、見られる間は、健常で、優秀な消費者が幸せという事で、燃し、悪くなれば、見えない、気付かれないポジションに成るという事・・・人生終盤で、暗闇に追い込まれるというのが今の社会のシステムで有る。

要は「生老病死」を無視しているし、生有る、人間の世界で無いと言う事・・・これに、本来、気付いて声を上げ続けるのが、宗教界だが、お金の魔力に負け、集金力だけの組織に成り下がっている。

己の身も、もの、当然、古くも成るし、痛むし、壊れる・・・此を楽しむのも人生という事・・・

2~3時間おきの見守り・・・・・

 飼い犬のリン・・・昨日から水も食事も取らない・・・・寝床から一歩も出ない・・・・最後の看取りを私が行うと決めているし・・・・今まで、我家に飼った動物たちを見送っても来ているので・・・・・当然の事と行っている。

昨日から、2~3時間おきには見に行く・・・時々、吠えるが、その時も見に行く・・・この作業を行なっている。

勿論、此を行ったからと、長生きするわけでもない・・・しかし、今まで、共に過した仲間で有る、リンを最後まで、家族として見送りたいと思っています。

何度も書くが生物・生き物・動物は「生老病死」が有る。

此は必然で有る・・・逃げる事も出来ない・・・仮に、神と言われるキリスト・・・当然、死んでいる・・・仏と言われる、釈尊・ブッタは当然、死んでいる。

肉体を持ち、動物として生まれたなら、死は当然で有る。

私は、この死について勿論「生老病死」全体をどう認識しているかが大事だと考えている。この四苦は当然有る物と言う前提で、だから何が出来るのか、当然、生有る健常な時にを考えられるのが人間だと考えている。

動物の様に、タダ、受入れて待つだけ・・・嫌だから、生有る・健常なときは我侭で己勝手な振舞が出来ると、それを推進するような流れさえ有る。

要は、「生老病死」を考えない、無視した生き方に私からは見える。

私も死ぬ・・何度も、書いているように、寿命は長いとは思えない、大病を患っている。

生きれる時間が、誰しも限られているが、私はその時間に何が出来るかを、強く意識している。当然、死んだ後の事に成る。

死んだ後に何を残せたのか???・・・物質的部分も大事だが、人として人とは???・・何が大事なのか???・・・此を、少しでも私の感覚で残したいと考えている。

要は、この様な部分を放置した、何故か、死んだ後の事・・・と、責務を放棄した考え方の蔓延で有る。結果、歴史は繰り返される等々、同じ現象で人々が、苦しみ、悲惨と言う状況を何故か、繰り返し創りだしている。

後生に何を伝え、残すのか????・・・此が、私は人として生きる道だと考えている。

勿論、三流で劣っている、人としては異端児だし、嫌われ者だが、それでも何か残せるはずだと、信じている。

人間らしく生きられる世界に、一歩でも近づくため・・・微力だが行いたい、此が、力ないために、小さな世界に成ると思うが、家族を出来るだけ多く、持つ・・・影響力が無い、私に出来る、事に成る。

リン、目も見えないと思えるが、何故か、暗いなら嫌だと勝手に私が思って、水銀灯を明々、点けている。

此も、共に過してくれた感謝の、思いを形にした事に成る。

私は、恵まれている、この様なリンを見て、祈れる・この祈ると言う事は人にしか出来ないと私は思える。

何も出来ない、唯物的にはなんも無い・・しかし、何かが出来る。此が人で有る。唯心的部分も、学ぶ必要が有ると、何度も書いている理由になる。