2021年10月29日金曜日

キーワード・・・免疫・抗体・抵抗力・・ワクチン・・等々・・・

 10年ほど前に、私は最近、数年・風邪で寝込む事が減ったと書いている。

減った理由は、生活スタイルの変化に成る。不特定多数の人と合う・・・この部分は同じだが、時間・濃厚接触かどうかが大きく変わっていることに成る。

若い時は、同じ狭い場所で、長時間、話したりする事が多かった。

私の場合、歳が増える程、時間も短くなるし、基本が通りすがりに話す程度の言う場合が多くなったし、外食も殆どしなくなった。

何処の何方か解らない人と、他愛もない事を長く話しても、何の利も感じなくなった。現実をドンと言う感じの話に私は利を感じる様に成ったと言う事にも成る。

要は、不特定多数の人との絡みが有るが、その時間が非常に短いし当然、縁が薄いので距離感も有る。この様な振舞が、防疫い繋がっていたと考えている。

要は、私のライフワークが変わったと言う事で、風邪に成る事が減ったと言う事に成る。

今は、新型コロナの感染症の問題で・・・色んな部分に影響を来している。

要は、病状が出なければ良い事だと私は考えている。

その為にも私はワクチンを接種した・・・その際、医師にワクチンの量は決まっているのかと尋ねたら、成人の場合は・・・と決まっていると言われた。

何故、量が決まっているのか、少なければ????と尋ねたら、抗体・免疫が出来ない可能性が有ると事・・・その為に、大勢にテストして、この量だと殆どの人に免疫が出来ると言う事で、量が決まっているとの事・・・・

之が意味する事は、疑似感染をワクチンで行い、免疫・抗体を作ると言う作業に成るが・・・・人には抵抗力が有る。勿論、人で変わる・・・・その為にワクチン量が決まっている。目的は、抗体・免疫を作るためと成る。

疑似感染で無く・・・コロナの感染でも、ウイルスの量、体に入って来た量でも変わるし、ウイルスの性質でも変わると言う事・・・量が少なければ、症状が出ない、又は抵抗力で除去する事に成る。

何度が、風邪と言う病は、体を慣れさせる事が、大事だと書いている。

体力・抵抗力以上に大量にウイルスが侵入すれば、当然、症状が出る・・・しかし、症状が出ない位の、ウイルスで体を慣らしていたら・・・知らない内に抗体・免疫が出来ている可能性が有る。

要は、感染者を全て、隔離し、ウイルスを他に拡散しないと言う策が取れるのは、研究室と言う狭い空間だけだと私は考えている。

一旦、社会に出てしまったら・・・ウイルス感染者・・・犯人捜しは現実には無理である。

理由は、症状が無い状態でも感染者が居ると言う現実が有るからに成る。

私は気管支が弱い・・・その為に、常時、咳をしている・・・当然、誰も近づかない・・・感染症を恐れ、誰も近づかないと言う、防衛本能が稼働しているし、防疫には大事な部分で有ると思う。しかし、無症状でも感染者が居る。防衛本能も稼働しない、防疫意識は有っても、気が緩む方向に成る。

国民性だと思うが、日本の場合、防疫意識は有る・・これが、気の緩みが有っても最低限の防疫を行っていると思う。結果、ウイルスを完全には防御できなくても、己の抵抗力で対応出来るだけのウィルス量かも知れないと言う事・・・それが続けば、知らず・知らずに抗体・免疫の確保が出来ている可能性も有ると言う事に成る。

要は、体が許容できる、ウィルス量だけで処理している可能性が有ると言う事にも成る。

勿論、各自で対応できる量は違うと思うが・・・・

感染症の対策で、白・黒と言う、極端な方法より、グレーな部分が大事だと私は考えている。要は、白は永遠に白で居る事は、一旦社会に黒が出たなら、私は不可能と考えている。

要は、染まるしかない・・・出来るだけ、白に近い黒、グレーと言う状態でと私は考えている。

善悪も同じ、善が有るから悪が有るし、悪が有るから善が有る。しかし100%善かと問われれば、違うと成るし・・・100%悪かと言われれば違うと成る。これが人間だと私は考えている。

勿論、善が良いと思うが・・100%は無理・不可能である。要は、善悪の間の存在が人間と言う事・・・生きている時間の間、善悪の両方に近づけると言う事・・・それなら私は全に近付きたいと思うが、出来るかは別問題に成る。この部分もグレーと言う事に成る。

私は、何度も二極化に向かう、一神教的、価値観は怖いと書いている。理由は人間は人間・神では無いと言う思いが有るからに成る。

極端に書けば、神が起こす事、思いは全て正しいと言う事は、人を殺す事さえ、神が行えば正しいと成る。要は、考える、悩むと言う事も無くなる。

善から起きる現象は全て正しい・・これが一番怖いと考えている。

何度も書くが、人は、グレーな部分で生きている、之が普通・・・この部分が解らないで、善悪論・勝敗論・等々の、二極的方向の原理主義に陥ると、大変な事に成る。

私も若い時、この部分に落ち込んだ、最終的に選んだ道は死と成った・・しかし、死ねない勇気が無い・・・結果、俺は人間以下のレベルと思う様に成ったら、気が楽に成った。

曖昧・グレー・灰色等々、煮え切れない人間と言われても、私は気に成らなくなった。

何度も書くが、何が正しいかは解らない、又、人で変わる・・・・時でも変わるし、場所でも変わる・・・・要は曖昧だと言う事・・・之が人が住む世界だが、何故か原理主義に人は魅了される場合が有る。

原理主義は怖いと、私が言う理由にも成る。

私は、灰色でも、見る人が見れば、白に見えるかも知れないし、黒に見えるかも知れない・・・逆に白と思っていても、見る人が見れば、灰色に見える人も居る。

又、見る環境でも変わるし、明るさでも変わる・・・・

全てが一瞬で変わっていると言う事に成る。その為に、限定は出来ない・・・・

本来、日本人には有った、考え・価値観だと思うが、何度も書く様に、大陸的価値観・一神教的価値観が、何故か蔓延している。

要は、扇動・誘導する側に、この様な価値観の人が増えていることに成る。日本人なのに???と私は疑問が湧く・・・・

誰しも叩けばホコリが出る・・・之が人間、之を許さない世界に成れば、全てが嘘の世界に成る。





到底不可能な夢・・・・現実に・・・・

 我家は・・・地域では早時期にテレビを買っている・・・要は、東京オリンピックを観たいと言う欲が、両親に有った為だと思う・・・

しかし、その他は、戦前の田舎の状態・・・・

テレビで観ていた・・・海外・アメリカのホームドラマ・・・夢の様な生活だと思っていたし、外人だから出来る事、我々は無理だと言う思いも有った。

1960年代のアメリカのホームドラマ・・・今考えると、アメリカでも恵まれた家庭とだったと想定できる。

到底不可能と思っていた夢が・・・・今、家事を私が行っているが・・・・現実に適っている。

邪口を開けると水が出る・・・凄いことに成る。我々世代は水を汲むと言う・・・現代は汲むと言う作業を行っていない・・・

水を汲み、桶に溜めて、初めて炊事が出来る・・・水桶と言う物が有ったし、それが無ければその都度、水を汲む作業が必要に成る。

当然、洗濯も、水を汲み・溜めると言う作業が必要だったが・・・家の横に堀・川が有る家庭は、川で洗濯が一般的だった。その為に、家の横に川・堀が有ると言うだけで、洗濯・家事が楽と言う事にも成るが・・・現代では必要性が減ったので、邪魔だと思う人も増えている。

又、この様な状況なので、風呂支度を想像すると、子供が出来る事でも無いし、女や高齢者が出来る状況とも思えないと想像が出来ると思う。

現代の一般の家の風呂は200リッター程の水が必要に成る。この水を汲み、桶に溜め、それを風呂まで運ぶ・・・重労働に成る。

10キロの米さえ重いと言う人が多い・・・井戸から何度往復が必要か???・・計算で出ると思う。

勿論、水を溜めただけでは、湯には成らない・・・沸かすと言う作業が要る。

薪を使い、焚く作業が出て来る。当然、女性では難しいと思う。

我が地域では、男は外で働く時間を増やす為に・・・共同風呂と言うシステムが有った。

各家庭の持ち回りで、当番が、一日がかりで、風呂を準備すると言う事に成る。

しかし、1970年代に入ると、勤め人と言う亭主が増える、サラリーマンが増えだすと言う事・・・その為に、一日、当番で会社を休むと言う事が出来ないと言う事で・・共同風呂も無くなって行く・・・・

この時代に成ると、当然、捻るとジャーと言う、現代の水の出し方、家に邪口が有る様に成る。

蛇口の普及と共に、洗濯機と言う、商品が一気に各家庭に入って来る。

生活の為の、インフラも、現代は私の思いでは、夢の様な世界と言う事に成る。

勿論、この部分が整えば・・・夢の様な食べ物が食べられる様になる。

都会・街のデパートのレストランでしか食べられない物が、家庭でも作れるようになった。

夢を叶える為には都会・街に行かなければと言う、思いが昔は有ったが・・・今はその思いも弱くなっていると思う。

今、洗濯・・・スイッチオン・スタートを押せば済む・・・労働をしたと言う思いにも成らない・・・

現代は、労が極力減っていると、家事をする様になって思う様に成った。

何の為の、手足なのか????・・・何の為の、頭・知恵なのか???と思う様に成っている。

昔の状態なら、私の歳に成る以前に、若い嫁を求めると思う。思いも是が非でもと成る。

その為には、跡取り息子が必要とも先ず成る筈・・・・息子の年齢より、我年齢でこの様な作業の労が、キツイ、無理だと感じ出したら、直ぐに若嫁と言う欲求が出ていたと思う。

勿論、若嫁も、早く子を産み、家の手伝いをと願う筈。

しかし、生活の為の労が減ると言う事は、楽だと言う事・・・楽なら人の手を必要としない、結果、若嫁の必要性も無くなるし、当然、我が息子、子の必要性も無くなる。

現代は、楽だからと言う事で、多々の問題が出ていると私は考えている。

勿論、楽が良いと言う価値観からに成る。労は悪い事、悪だと言う意識が強いと言う事にも成る。

当然、誰かが労を惜しまなくする必要が有るが・・・その様な対場は、劣っているからと言う理屈に向かう・・・怖い事だが、独裁者が増え続けると言う事にも成る。






面会・見舞が来月、可能になる。

 コロナ・・・感染症の問題なのか????又は、緊急事態制度の問題なのか・・・・

義父に面会が出来ない・・・・

しかし、来月から、ワクチン接種が終わった、証明書を提示すれば面会が可能に成ると、義兄から連絡が有った。

危篤状態の義父・・・・少しでも長生きして頂ければ、合う事が可能になる。

義理の息子として、又は娘婿として・・・・出来の悪い、私だったし、多々の迷惑をお掛けし・・・そのお返しも出来ていない状態での、若しかすると最後の面会に成る可能性が有る。

義父は、最後まで我が娘の、嫁を守ってくれれば、それだけで十分を言っていたが・・・夫として当たり前すぎる事に成るし、それ以上の事が出来なかった悔いが私には有る。

私も人の親と言う経験をして・・・一番手が掛かった、子が何時までも心配だし、それに嫁いだ・・・若嫁に何時も申し訳なさを感じている。

義父も同じ思いかもしれない・・・・三人姉弟の末子が私の嫁に成る。

男勝りで、小さい頃は、近所の男の子を泣かせていたと言うのが、自慢の嫁・・・蛇の尻尾を持って、くるくる回して、外の子を追いましていたと言う嫁・・・・

蛇・トカゲ・カエル・虫等を殺して遊んでいたと言う嫁・・・

男親から見れば、頭が痛かったと思う。

如何にか、今まで、添い続ける事が出来た・・・之も、義父のお陰だと思っている。

陰から多くの支援を頂いた・・・・分が無く、力が無い私には、強い後ろ盾だった。

嫁も、昔は、里に帰ると、叱られる・怒られると捉えて・・・中々、足が向かなかった・・・・しかし、最近はこの思いが無く成り・・・素直に足が向く様に成った・・・之だけでも、義父は喜んでいた・・・・

気性が激しい、嫁だが・・・私には良い妻と思っている。

彼女が居たから、地に足を付ける大事さが解った・・・・母が言っていた、犬は、糞の高上り・・・男は、力以上に大きく見せる特性が有ると言う事を、母は言っていたが、私はそれが男の特徴と思っていたし、何が悪いと思っていたが・・・嫁の存在が、分以下を重視すると言う部分を知る事が出来た。要は足元を確り見ると言う事・・・

之を知る事が出来たので、今までも生きられていると感謝している。

嫁と来月早々、面会が出来ればと祈っている。