我家は・・・地域では早時期にテレビを買っている・・・要は、東京オリンピックを観たいと言う欲が、両親に有った為だと思う・・・
しかし、その他は、戦前の田舎の状態・・・・
テレビで観ていた・・・海外・アメリカのホームドラマ・・・夢の様な生活だと思っていたし、外人だから出来る事、我々は無理だと言う思いも有った。
1960年代のアメリカのホームドラマ・・・今考えると、アメリカでも恵まれた家庭とだったと想定できる。
到底不可能と思っていた夢が・・・・今、家事を私が行っているが・・・・現実に適っている。
邪口を開けると水が出る・・・凄いことに成る。我々世代は水を汲むと言う・・・現代は汲むと言う作業を行っていない・・・
水を汲み、桶に溜めて、初めて炊事が出来る・・・水桶と言う物が有ったし、それが無ければその都度、水を汲む作業が必要に成る。
当然、洗濯も、水を汲み・溜めると言う作業が必要だったが・・・家の横に堀・川が有る家庭は、川で洗濯が一般的だった。その為に、家の横に川・堀が有ると言うだけで、洗濯・家事が楽と言う事にも成るが・・・現代では必要性が減ったので、邪魔だと思う人も増えている。
又、この様な状況なので、風呂支度を想像すると、子供が出来る事でも無いし、女や高齢者が出来る状況とも思えないと想像が出来ると思う。
現代の一般の家の風呂は200リッター程の水が必要に成る。この水を汲み、桶に溜め、それを風呂まで運ぶ・・・重労働に成る。
10キロの米さえ重いと言う人が多い・・・井戸から何度往復が必要か???・・計算で出ると思う。
勿論、水を溜めただけでは、湯には成らない・・・沸かすと言う作業が要る。
薪を使い、焚く作業が出て来る。当然、女性では難しいと思う。
我が地域では、男は外で働く時間を増やす為に・・・共同風呂と言うシステムが有った。
各家庭の持ち回りで、当番が、一日がかりで、風呂を準備すると言う事に成る。
しかし、1970年代に入ると、勤め人と言う亭主が増える、サラリーマンが増えだすと言う事・・・その為に、一日、当番で会社を休むと言う事が出来ないと言う事で・・共同風呂も無くなって行く・・・・
この時代に成ると、当然、捻るとジャーと言う、現代の水の出し方、家に邪口が有る様に成る。
蛇口の普及と共に、洗濯機と言う、商品が一気に各家庭に入って来る。
生活の為の、インフラも、現代は私の思いでは、夢の様な世界と言う事に成る。
勿論、この部分が整えば・・・夢の様な食べ物が食べられる様になる。
都会・街のデパートのレストランでしか食べられない物が、家庭でも作れるようになった。
夢を叶える為には都会・街に行かなければと言う、思いが昔は有ったが・・・今はその思いも弱くなっていると思う。
今、洗濯・・・スイッチオン・スタートを押せば済む・・・労働をしたと言う思いにも成らない・・・
現代は、労が極力減っていると、家事をする様になって思う様に成った。
何の為の、手足なのか????・・・何の為の、頭・知恵なのか???と思う様に成っている。
昔の状態なら、私の歳に成る以前に、若い嫁を求めると思う。思いも是が非でもと成る。
その為には、跡取り息子が必要とも先ず成る筈・・・・息子の年齢より、我年齢でこの様な作業の労が、キツイ、無理だと感じ出したら、直ぐに若嫁と言う欲求が出ていたと思う。
勿論、若嫁も、早く子を産み、家の手伝いをと願う筈。
しかし、生活の為の労が減ると言う事は、楽だと言う事・・・楽なら人の手を必要としない、結果、若嫁の必要性も無くなるし、当然、我が息子、子の必要性も無くなる。
現代は、楽だからと言う事で、多々の問題が出ていると私は考えている。
勿論、楽が良いと言う価値観からに成る。労は悪い事、悪だと言う意識が強いと言う事にも成る。
当然、誰かが労を惜しまなくする必要が有るが・・・その様な対場は、劣っているからと言う理屈に向かう・・・怖い事だが、独裁者が増え続けると言う事にも成る。
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