2025年1月10日金曜日

平等とは!!!

 私が考え平等とは、一神教世界や大陸的価値観では得にくいと考えている、直ぐに何方が上かを気にし上は下を従属できると思い込んでいる。要は家来・悪く言えば己の奴隷という捉え方だし其れを求めたから力を得たと思い込んでいる。文教と大きく違う点、仏とは人に内在している命・心の動き・・・釈尊は己を仏・神等々とは言っていない・・・人の姿で生まれ、当然人としての宿命も背負っている・・・この様な責務を真摯に受け止め・・・他人の苦悩も軽くしたいと奮闘された人に成る。しかし、理解しにくい・結果、仏を偶像化するし仏イコール釈尊と思い込んでいる人も多い、結果、神と同じ要に思って居る。しかし、仏教発祥の地のインドは、今は仏教が廃れている・・理由は民度の影響で、平等感の欠如・・・俺が上、お前は下と、顎で使える、己の我欲が言え求められる下僕を持つ此が力の証明と思い込むし自慢と思っている、この様に思って居る間は変わらない、己は絶好調と思い込んでいる。同じ要に一神教世界では己の我欲で、物事が発生する、其れが出来るのが力・信仰のお陰だという価値観・・・・・神が求めた、我欲で世の中が出来たと、その世の中に神を模にして創ったのが男性 一人で寂しいので、男性の我欲で出来たのが女性となっている。教義自体に主従関係になっている。俺の下保・我欲を叶えてくれる奴隷程度の認識、要は人として認めていない、己思いで出来た人間、俺がどう使おうが良いという発想になる、仏教は簡単に書けば同じ目標に向っている先輩と後輩の関係性、お互に人間・同類と認識している。

我欲の追求が信仰になっている・・結果、誰しも己の欲を否定されて良い気分はしない・・・・聞きたくない・黙らせようと力が有ると思うと行ってしまう。

又、日本国が何故、大乗仏教と言われるのが受入れられ続いたのか????仏教思想と変わらない神・・・今回は仏も含め、現実に居ると言う発想・・・・石にも命が内在しているし、内在していれば仏が含まれている可能性が有る。この価値観が、勿体ない精神になるし物にも命が有り、者にも命が有ると言う事になる。全てに謙虚に言動しなければ成らないし、全てに尊重しなければ成らない、此が出来る人が菩薩だし、凄いと私は思う・・・・・・此が違うと思うなら、一生争い続けて勝ち続けなければ成らない、本当に生身の人間で可能なのか????

左・薬指・小指のリハビリの為に少しキータッチの量を増やす努力を行っている。休めることも大事だが動かされるときは、無理さも動かさないと、改善はしない、今はお産の経験は無いが産みの痛みと考えている。

責務は己の力の根源!!!!

 私の当面の目標・責務は、指定難病との共存・・勿論、家族・嫁には出来るだけ迷惑を掛けたくない・・・・・特に現代の価値観、お荷物になる人間を如何するのか????色んな人の世話をしてきたので田舎あの現実も解る・・・此から家族で支え合い、頑張らなければと言う時に、一家離散・・・何故なのか????本来 日本人なら美徳で誉れと捉えるが・・・グロバル化した現代、世界の価値観の侵入で不利・損と捉え、逃げたり避けたりする・・・此を利口と捉えている。威風堂々という生き方なのか・・・姑息な生き方なのか????此も各々の価値観で変わる、威風堂々をバカが行う言動と思う人も居る。

しかし、此は言える、奇跡は、責務が有るから可能になる。今日のリハビリで初めて、日本杖だが己の脚で自立して有る事が出来た、リハビリの先生は学会に報告できるほどの奇跡な回復とのこと・・・この姿を、スタッフルーム前で行った、勿論、見守りの先生が付いた状態で・・・・スタッフから拍手と喝采・・・こんな私でも人を喜ばせることが出来た事に感謝している。

責務は己を成長するための課題・・・課題は多いほど幅が広がる。其れで得た智慧が己の力に必ず成る。

捨てられる前に、早く家族に歩いている姿を見せたい!!!!

出た~~~ホ・・・・

 今、出したかった物が出た。

出たのは便・・・透析で減水しているので、便が硬い、催すが、頑張っても出ない、透析ではドライウェートを重視されているので、体重の増加は透析後の体調に大きく影響する。出来るだけ体重を増やさないためにも、出す物は確り出す、此を心掛けているが、頑張っても出ない・・・結果、下剤を使用する方向に成っていた。出来るだけ、薬を使わず、自然に排便した方が体に良いし、薬を使うと癖になり、薬付けになるとも言われた。

看護士さんは病を治そうと頑張っておられる・・・・素人の私より詳しい医療機関の人達、その処置が苦痛でも絶えなければ礼儀に背くと私は思って居る。

医大でも、何度も手術をしているとの事だが、記憶に有るのは数回・・・一度は心臓発作、原因は動脈硬化で心臓に送る血液が不足している・・・処置として、カテーテル手術・・右足の付け根に部分麻酔をして、動脈だと思うが、血管にカテーテルを入れて、心臓まで持っていき、バルーンで血管を膨らませてシャントか???血管を広げた状態で保持する処置を数カ所受けたが・・・苦しく、痛い、しかし、動くことは出来ない・・・・先生達も必死に行われいたと思う、二時間ほどの時間を要した。

同じ要に肺も最後の吐血後、処置している。

痛い辞めてくれと叫びたかったが、昔は麻酔も鎮痛剤も無い時代、痛みを堪えて、処置を受けていたと思うと、これ位、俺も耐える事が出来ると耐えた。これも歴史・等々の学びから来ている。

知識を求め続け・・・それを己なりに昇華して智慧にする。母が言っていたが「優秀な知識者より知恵者になれ」と幼い頃から言われ続けいたが、知識と知恵の違いが解らず、同じと思っていた時代が青年時期になる。無我夢中で稼ぐために働き、お客さんのホロー・・・最悪の時に伺う立場、色々経験した。二時間度下をしていたことも有る。社長との約束が違うと怒られている、内容を聞くと、社長なら言いかねないと思える、他のお客さんもしていること・・・しかし、納得して貰うためには・・約束のサービスの品を持っていかねば成らない・・・一番の難題は、私が勤める会社の社長・・・・言っていない、証拠を出せと直ぐに言われる・・他の社員に聞えるように大きな声で剣幕で言われる。務めん身、勤務中は従うが、勤務外は私の時間・・・事務員に持って行く品を出してもらい、後で俺に請求書を出してくれと、トラブっているお客さんに伺い、約束の品を渡したら人が変わったように優しい人で、お前も手ぶらで帰れないと思うので止めていた支払いをすると、現金を渡された。翌日、出社直後に社長にお金を渡すと、勝手な振舞を問われることは無かった。

誰しも、必死になると、口から要らない言葉を発することが有る。売る立場なら品物の優れている部分等々に成るが、現実的に大きな違いは無い、結果、価格・サービスが大事に思われる。価格で勝負は仕入れ値が大事になるがスポット的に仕入れる場合、大量仕入れと大きく違う・・・・資本力が有る方が、安い仕入れと言うこと、自由競争と言うが、競争前から勝負が決っている。其れでは中小の販売店は太刀打ちが出来ない・・・結果、見え難い・今直ぐで無い将来まで無料等の売りたい一心で言ってしまう可能性が有る。

私もこの方法で商売すれば、直ぐに大きく成るし・・利益率が良いので銀行融資も楽に受けられる・・・しかし、修理人の私、こんな約束を信じて購入されたお客さんのホローに伺う都度に、身の丈に合う正直な商売をしなければと決めて行ってきたので、延べ一年を超える、入院生活でも爪先に明かりが弱々しいが嫁の必死さで保たれて居る。

商売の考え方では数日稼げないと破綻という処も有る。

一年,一壇の仏壇を販売すれば良いという商売も有る。

昔、24時間働けますか~~~というCMが流れていた企業戦士のサラリーマンと言う話になる。今なら人権蹂躙と言われる。人工構成分布が青年層が多い時代、戦士に喩えも不思議で無い。この様に働き稼いでくる事が、エリート・一流と思っていた時代も有る。しかし、問題のホロー・クレーム処理が、メインに成るとこの様な価値観で、販売している処ほどクレームの頻度が多い・・・

直ぐに責務問題が発生する医療機関等では、過大に治ると言われず最悪の状態を説明して納得して入院されている。

勿論、その診断に不信が有れば別の医療機関での診察になる。この様な機関で商売気が強く、出来ない事も出来ると言うことは出来るが、責務が派生する・・・・物の場合、文面に残さないなら、言った、言っていないの、水掛け論になる。

身の丈に合わせて生きる、身の丈の分で奉仕できる分は行う。どんな綺麗な蒔絵を張られた屏風でも綺麗さを大きく見せようとすると。屏風は自立出来なく倒れる。。。角度も環境の風の強さ向きで変わるし、世間は常時、変改しているのが前提になる。しかし、その変化が著しい、大海を無事に乗り越えて行く人も居る、殆どが運と思うし、当然、人知れぬ努力もされている。叱咤してくれる、昔からの先輩も三人以上の人が商売で大成され、テレビ等に数度、取り上げられている。私の目から見ると危険な綱渡りをよく完遂されたな~~~~と思っているし、私も誇りに思っている、凄い人達と知合いに成れたことに・・・仕事上でも凄い人達と縁が出来た、全国区でテレビ宣伝されている社長等々・多くの人と縁でき、感謝している。

私の尊敬する、人から、人間形成には、クレーム処理・営業等々、人と多く接し本音で語り合える状態まで成る事、言われていた。父が商売を失敗しなかったら毎日が機械との縁になる。一流の旋盤工になるより、一流の人間になりたい。だから父の商売の倒産も私には感謝になる。

勿論、ボロボロで、明日食う金も無い私を翌日から雇ってくれた社長にも感謝しているし、社長の本音の目標へ全力を挙げた、社長一人・事務は奥さん、社員は私一人・・・・私が退社する時には、社員の数20人を超えていた。恩に報いるその為には喧嘩も必用、方向修正を行う、並大抵で無い・・・・社長の死水は取りたいと願っていたが、私が先に逝くようだ。


ご苦労様!!!

 看護士さんの言動を見ていると頭が下がる・・・一般的には行いたくない事を、表情も変えず淡々と行われている。色んな人が居る。育ち・仕付け等の違いで、価値観も各違う人を相手にしなければ成らない、朝10時前後が体を拭く時間、その前に口腔、歯の清掃・・・本来、感謝する部分だと思うが、向かいの患者さん、「痛い」「何してる」「こら」と大声で怒ったように吠えられているの、看護士は何処が痛いのと尋ねても答えられない・・・・ハラスメントになると思うが、顔色も変えず遂行されている姿を見ると頭が下がるし、看護士サンもこの様な業務は若手がされる、良い経験だと思うし、色んな智慧を頂いていると思う。向かいの患者のような人は多い・・・己の力を大袈裟に見せたがる人・・・・私が咳をすれば、10倍ほど凄いアピールの咳をされる、私の父と同じ、悪い事はしていない、悪いとなれば曽於前にした人も悪いという理屈になっている。要は己の価値観で格好よい生き方を求めている、此は誰しもだと思う、だから価値観が大事だし、特に己はどう振舞うべきか・・・最終的には何の為に生きるのか???此が幸福の根源だし、この部分を確り身に付けると、永遠の生命観も見えてくる。悪態をつける立場が偉く・一流で・優秀と思う人も、居る・・・世界的な潮流とも言える。逆に、謙虚で頭が低く、人様の尻拭きを率先して行っている人が居る。この様な人は見方しだいで三流・劣っている・力が無いという見え方をする人も居る・・・しかし、私は凄い人、優秀で己の我を抑制できる精神力の強さ、器の大きさを感じて居るし菩薩だと見える。

現代、何度も書くように、この様に己の我を抑制して、千差万別の人と接し、ホローし引っ張っていく、立場・ポストに対して、尊敬の念が、社会に無い・・・結果、責務だけ多くて対価が少ないと社会が捉えだし、なり手がいない方向に向う。少子化も同じ原因・・・結婚し子を育てて、ヤット一人前だったが・・・現代は損になっている。対価を増やすと言うことは、結果的に国民一人一人の負担が増えると言うこと、今以上の医療費に掛る、血税も増えると言う事に成る。要は、国民の声、民衆の望みと言う理屈で、お金を巻き上げる、資本主義の本質になるし、国民は、人で無く、優秀な消費を続ける、金を注し続ける立場と成っている。この部分で、俺は多く出しているから、凄いという価値観も押しつけている。

人はその価値観で得する方に走る。しかし、走っている本人も年々変化していく・・・病に侵されたり・老いたりもする・・・当然走る速度も変わるし、歩幅も変わる、走る安定感も変わる、己が最善長期に、走る蜜幅や脚を置くポイントを此が最善と固定していたら、不可能になるし、この事が不幸になる・・・当たり前のことさえ・・・認めきれず、イライラした人生を過す事に成る。

何故、他人のために下僕に徹している人を評価しないのか????不思議だ!!!


記憶は無い部分で・・・

今回の入院で息子達の面会、数度と思っている・・・男だからその程度と思ってたし、私も親の面下院は多くは伺ってないし、殆ど毎日以上、嫁が一生懸命に伺ってた。それに比べると少ないと思うが、此も入院している人個性だと思う・・・・・今は意識が有り、私がどう言動するかも解っている、又、性格も解っているので、放置していると思う。

何故思ったのか・・・・・嫁が私が危篤中で、意識が無い・・医師から、今のうちに合わせたい人には合わせて遣って下さいと言う事で、感染症の怖さも有ったが、最後との思いで、子供達を管を沢山繋がれている姿の私のベットの回りに立っていたとのこと無言で、涙を流す子が居たと聞くことが出来、生きた意味が有ったと、生きて居る最中に知る事が出来た・・・感謝なる。私は、生きて居る間は、嫌われ者・変わり者で良いと覚悟していた。居なくなった後、死んだ後にどの様な評価をされるかを大事に思っていたが、死んだ後だと解らない可能性が有る。この部分が不安だった。

末法の世・混沌としたよこの濁りも進む中で、生まれてきたと言うより、儲けた私、意味が有る。少しでも濁りを浄化する此を使命と感じれる子になって欲しいと願っている。人様の下僕に成る位の覚悟が要る、悪ガキで、喧嘩三昧・・少しでも上のポストをと目差た、少年時代も敬遠しているし、それで何を得たか、共に歩く友を見つけた程度と、世間の厳しさ、優しさになる。

一日でも早く、一人前の男になって貰いたい「ボロは着てても心は錦」己の身を飾るで無く、当然、己じゃボロボロに成るがそうさせない不思議な力が守ってくれているのに気付く・・・お年寄りが言っていた。「お天道様の施し」かも知れない・・・

一人一人の民度が高ければ、ルールも罰則も無くなっていく・・・世界の一般論では、民度・道徳おn部分を宗教が携わっていると思っている。無信仰者が多いと言われる、日本人、民度が低いはずだが、不思議に世界では高いと言われている。理由は有史以来積み重ねた経験から来る智慧・・・しかし、この部分が崩壊し続けている。

キリスト教の宣教師が、布教活動で農民に「改宗すれば救われ天国に行ける」との話で、農民は「改宗していない親たち先祖は???」と尋ねた、宣教師の答えは「改宗しなければ地獄の運命から逃れ馴れない」この答えに対して農民は、先祖と同じ地獄に行くのが私の勤めと答えている。

要は、仏法思想に元ずく・・・同じ階層どうしでグループを組む団栗の背比べで有る。長けている人がどう振舞うかが価値観だし、民度に繋がるし、ルール・罰則に繋がる。仏法の考えでは、餓鬼・畜生・修羅道・・・今回は界とすれば、その世界に居る人の中にも、餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩が居ると言う事・・・問題は仏に近い価値観を持って居る人々をどう評価しているかになる。馬鹿にし、蔑んでみる世界なら、この様な人は育ちにくい・・・逆に地獄の命に近いなら、当然 厳しいルールが必用に成るし、罰則も必用に成る。

各階層で格好良さも変わる昔のヤンキーの振舞い・・・今なら恥ずかしくて出来ないが、その当時は己の力のアピールと考えていた。謙虚さ、人様に対して優しさが無い事が力と覆う時代からは少しは変化している。この変化に期待を込め、今後煤みたい!!!!