2022年11月9日水曜日

相談・・・

 午後一時・・・相談に行ってきた。

この病に成り、潮が引く様に人が私の周りから消えた。

その寂しさ・辛さも有るが・・・人の役に立てない、生きる意味が無いし、己の為に生きろと先輩から言われたが、この生き方が私には出来ないから、死にたいと言う思いが強くなっている。

本来、情報等々を、与えてくれる人が、来ても良い、しかし、何度も書くが、右肩下がりに成る方向の情報等、一般的に少ないし、それを人様に教えると言う動きを行っている人も居ないのが現実・・・

しかし、人が生きていると言う事は、何度も書くが、死ぬと言う事・・・100人生まれたら、100人は死ぬと言う事・・・勿論、簡単に死ねない人のいる。病を患い、五体不満足に向かっていく人も居る。

この人たちに対しての、語らい・訪問対話等々が、何故か無い・・・特に難病指定等の認定をされた人たちの情報は行政等は掌握してる筈・・・家庭訪問も可能なはずだし、地域毎に、民生員も居るので、上手に使えば、訪問・対話等々も出来ると私は考えている。

要は、不安を消せるだけの情報が無い・・・又、健常者でも手続きが煩雑で難しいのに、五体不満足と成った人が、出来るか・可能なのか???・・・これも、個人の人権の尊重等で、本人が行う事に成っているし、第三者が介入し難い状態に成っている。

仮に、私は、嫁も家族も、親族も繋がりが深い・・・結果、誰かがと頼れる人が居る・・・しかし、頼りたいとは思っていない・・・現実に己で全て処理できるか???・・又、今まで通りに社会と繋がり、貢献等々出来るか・・・不安が有る。

若し、家族・親族との繋がりが無いと言う人は・・・当然、頼る相手が居ないと言う事に成る。すべて己で処理できるか???当然、五体不満足状態でに成る。

又、民生員も区長も名誉職の様な状態に成っていて、高齢者の重鎮が成られる・・結果、行動力は劣る・・・周りにお節介な、人が居るなら良いが、人の世話等々、しても意味が無い、嫌われると言う価値観が蔓延している現代・・・誰もお節介をしないと成れば、なおさら、行政の対応が大事に成る・・・等々を話し、愚痴に成ると思うが、思いを伝えることが出来た。

この様な時期・・難病患者は感染症に弱い・・・結果、対話等が出来る環境でもない。

それなら、ネット等で、気軽に前向きに成れるような、情報が必要と思うが、無いし、各自、五体の状態が違うので、結果的に第三者のお節介が必要となる。

本来、生まれたと言う事は、死に向かって進んでいるから生きていると言う事に成る。しかし、死に向かう勉強等を何故か避けている。

病を患うと言う、生きていれば当然で当たり前のことに対して、大騒動をする事に成る。

要は、淡々と死に向かうと言う事だし、その間に、病も老いも淡々と経験していく、これが生きると言う事だと言う価値観を何故、教えないのか・・・唯物的な事柄は、余り意味を成さないと言う方向に成らず、何故か、優秀な消費者・貪欲な消費者への餓鬼道の生き方を推奨するのか・・・当然、社会がと成る。

結果、私の様な立場、人の手が必要な立場に成ると、周りから人が潮が引くように居なくなる。これも社会教育で何を人に教えているかに成る。

しかし、よくよく考えると、利用する立場・・・この立場に私は成ったと自称すると言うより、見えている。逆に、私は力が有り、余裕が有ると人を集めている人が居る・・・何を求めて集めているのか???答えは集めた人を利用したいと言う事に成るし、利用された側は騙されたと成る。

不思議だ・・見かけで判断しているし、手を貸す度合いが見えだす私の様な場合は人が去っていく・・・・力が有り余裕が有るように見せていると人が集まってくる。当然、食虫植物と同じで、美味しい臭いで・・・人を集めて、利用する、これが出来る事は、優秀・一流と最近は言って居る様だ。

同じ、人を利用する立場だが・・・何故か、大きく違う、方や負け組と言われ、片方は勝ち組と成る。

同じ、人の利用だが、人様の評価が違う事に成る。

当然、負け組は必要な手の数も見えている・・・勝ち組は、想像も出来ない手の数が必要になる場合が有るし、時には、命さえ差し出せと成る。

予想・想定できる・・・範囲でのお節介と・・・想像も想定もしていない状態でのお節介と、どちらが受け入れやすいか????・・・・

しかし、受け入れやすい方は逃げ易い・・・受け入れできない方は逃げ難い結果、後々、騙された等々に成る。何故、逃げ難いのか、己の欲が有ったため自業自得と言う部分も有るからに成る。

この様な世の中が良いのか????当然、日頃の謝意教育、社会から何を学んだかに成る。

昔から、耳障りの良い言葉は耳を塞げ・・・耳障りの悪い事に対して真剣に考え、多くの事を学べと言われている。

皆、安心して!!!・・・誰しも同じ道を歩いている。片道切符の人生・・・目的地は当然、死に成る。

死を知らないから恐れる・・・どんな人にも平等に訪れる・・・賢い人も私の様な馬鹿な人も、平等に・・心配しないでも誰しもだし、平等に訪れる。

老いも、病も同じ、違う部分は自業自得と言う部分での違い・・・

私は昔、人の将来の予言等100%答えることが出来る。200年後、貴方はこの世にいない、死んでいる・・・これに対して、一般の人は、当たり前、誰しも当てることが出来ると言われるが・・・何故、当たり前のことを学ぼうとしないで、無知のまま、恐れているのか????

宗教以前の道教・・道徳さえ今は無くなってきた。

本来宗教家とは、人を導き、幸せにする立場の人間、仏教では菩薩に成る。

しかし、現代は、悩める子羊に成っているし、人以前の存在となってしまっている。要は、頼る為の信仰と成っている。

何度も書くが、神仏が直接、手を差し伸べたと言う現象を私は見た事が無い・・・形が無い存在なのに、何故、形を有らせることが出来るのか????

信者と宗教家は違うのか????若し、信者だけの宗教界なら、悩み多きい、子羊だけの世界、幹部・上の立場と言っても、信者なら同じと言う事に成る。

要は、菩薩側が存在しない・・・又、そのレベルに成ろうとしない、理由は苦労が絶えないからに成る。

信仰をして、苦労が増える・・悩みが増え、背負いきれない問題も背負う事に成る等々、望んでいる人は居ない。

要は、子供、餓鬼道の信仰と言う事にもなる。欲を叶える、当然、周りと比べ少しでも己が勝った・得したと思える、施しを求めている事に成る。誰に、本来、形が無い、神仏に成るが、上の立場、幹部がと言う思いに成るのも、餓鬼の世界の人なら仕方が無いと思うし、当然、被害者だと思い込むことに成る。

当然、人助け、奉仕・貢献は、厳密にいえばお金も必要になるし、使っている事に成る。近所の困ったチャン一家のお節介を行ったが、数百万は使った。一人の高齢者を看取る、面倒を看ると成れば、当然と思うし、納骨までは責任が有ると思っていた。

その人の思いに応えてあげる、大事だと思うが、何度も書く様に私は差別主義者、赤の他人と思う時が多々あった。しかし、現代は、平等と言うう感覚が一般的、私の様に差別主義者は社会が受け入れてくれない・・・結果、社会にギリギリ、付いていけている状態だし、この様な人と直ぐに巡り合う・・・結果、同じような経験を多々続けているが、一般に言われる、普通の人間には中々成れないでいる。

区長も民生員も中々出来ない行動を何故できるのかと、三流で劣っている嫌われ者の私に質問される時が有る。

その都度、一流で優秀な様に見せている人は????と私は成る。

若し、この様な人が増え続けていれば、生きると言う本質を見せていないし、終焉に向けての道筋は見せない方向に成る。

本来、人生の終焉が一代偉業に成る・・・この部分を見えなければ、死と言う現実を知らないままに、生きる人が増えると言う事に成る。

薄々は知っていたが、教わっていない、一番大事なことが,当然の様に訪れたら・・・大騒動・・・可哀そうで惨めな人生だと私は思う。

最後は、当然、大不幸で死んでいくことに成る。

長くなった、愚痴にもなる。

世の中、変わりすぎた・・良い意味でのお節介なジジ・ババが居なくなっている。

颯爽と格好よく、ブランド品で身を飾って、我関せずと振る舞う、クールで素敵だと言われる。本当だろうか・・・・

花を見ていても、腹は膨れない・・・腹を膨らまそうと思うなら、何でも良いから、口から食した方が良い・・・・

お腹が一杯なので、身を飾っているなら良いが、若し、お腹が空いているなら、それを求めた方が良いと私は思う。しかし、現実は、己が何を欲しがっているさえ判らない状態の、優秀な消費者に成っているかのせいが高い・・・要は、乾きが永遠に解決しない方向に進むことに成る。







難病個別相談会・・・・

 難病指定をして頂いた・・・特定医療費(指定難病)申請者と言う括りで開催されているようだ・・・

今日は、私も相談に行く予約を入れている。

先に、詳しく書いたが、難病と言う認定を頂いた立場だから、相談が出来ると言う括り・・・

よくよく考えると、ブログにも書いているが、去年は保育園児の孫との腕相撲で・・本気で戦い、私が負けた・・・

それ以前から、趣味ん等々からも遠ざかり・・・目が見えにくい、手が震えて力が入らない等々・・・頑張りたいと言う言動が出来なくなっていた。

要は、やる気が無い、怠け者に見える振舞に成るし、現実にこの様な状態で、離婚となった先輩たちも多い・・・離婚後、病院等で調べたらパーキンソン病等の、難病で、家族を一番必要となるときに、離婚で誰も頼る家族が居ない・・・結果、生活保護等の手続きで、今も施設で頑張って居られるが、会話も出来ない状態に成られている。

何度も書く様に、人は生物・・・右肩上がりの時も有るが、右肩下がりの時も来る。当然の事だし、当たり前の事、普通の事だと私は思うが、現代の表現、見せ方等々は、右肩下がりの部分は見ようともしないし、見せようともしない。結果、人は、右肩下がりに成らない、若し成るなら、負け踏みだからと言う理屈に成っている。私は差別と思うし、人でない・鬼畜の価値観だと思うが、何故か、この流れに社会が成っている。

こんなことが出来るようになった!!時代も有る・・・当然、こんなことも出来なくなった!!と言う時代も来る。これを認めきれない価値観が蔓延している・・・・

私の場合、家族が私を守ってくれた。私の周りを見ると、離婚されていても仕方が無い・・・亭主はやる気が無くなり、努力も出来ない状態、この状態で、亭主の二親の介護と看取る・・・これを嫁・子供たちが行ってくれた。実子でも、これ以上はと思うような介護も、率先して行ってくれた。

今回、国から、難病と言う認定を受けた・・その為に、家族も理由や原因が判り少し安心しているようだ。

しかし、先に書いているように、数年前からこの病に成っていた可能性が高い・・・町医者だと糖尿病と言う括りで終っていた。

なまけ病が・・・・で・・・離婚に成って居たら、先輩の様に、駆け付けてくれる後輩や知り合いが居て、その後の対応が出来れば、野垂れ死ぬことも無いが・・・居なければ、孤独死が待っている事に成る。

これも、民生員や区長等とも話したが・・・手を挙げなければ気付かない、又、国が認定する、状態に成らなければ、情報も無いと言うのが、田舎の現実・・・要は、誰も知らない・気付かない状態で孤独死、之も問題に我が村でも成っている。

私は、仕事も含め、全ての事、人が介在する事は、永遠性は不可能に近いと考えている。先に書いたように、右肩下がりの時が必ずあると思っているし、最後は、無くなる。死と言う状態に成ると思っている。

その為に、分以上の事はしたいとは思わない・・又、己の分も時で変わる・・・右肩下がりに成ると想定しての立ち振る舞いも大事に成る。

しかし、この状態をダメや、負け組と言う、当然の事がダメ・悪い事と成っている価値観が、結果的に、この様な事を隠すす、見せない方向に成る。

相談窓口も行政等が行うと、括りが必ずある。今回も、難病と言う認定を受けた人だけ・・・当然、一番、悩み、家族も不安だったと思うが、体が衰え、気力も衰えている時・・・どこにも相談できない・・・

私は、直ぐに、病院等に行けと指示する・・・勿論、保険料を払っていない等々も有るので、区長・民生員を探し出し・・行政を動かしてもらう・・・病気と言う証拠等を言う、行政側も居るが、そこは、長年の経験、知恵で、強硬突破に成る。

今までの経験で、本人は確りした自覚は無い・・・少し体が重い、思うように動かない・・目が少し見えにくい程度・・・年齢のせい等々で片付ける傾向が有る。本人は病と思っていないのを病院に診せる、当然、力が必要になる。

本来、この部分は、身近な人達・家族が・・・と言うのが、行政側の考えだし、昔からの慣習に成っている。

しかし、戦後、日本国民の価値観も、大きく変わった、個人主義、利己主義が台頭してきた。結果として、一族・家族と言う括りが無くなっている。

家族の問題の責任義務は、今でもギリギリ、家長・親と成っている。

しかし、親族と成れば、長兄がとは成らない・・・又、地域社会はと成れば、当然、誰も責任も義務も感じていない。

要は、我が地域だが、遠い存在に成っていると言う事、我関係ないこの関係性に成っているし、地域でこの状態、親族でも同じ、最近は家族でも同じに成っている。

結果、結婚を望む人も少なくなるし、当然、少子化に向かうし、これが意味している事は、右肩下がりに成る人等、私には縁が無い、これが良いと言う流れに成っていると言う事・・・

よく、今の価値観を変えず、現代風な価値観の人と話すと、お金が全て、最後は、行政等が面倒を看んてくれると思っておられる。

しかし、何度も書くが、行政は、手を挙げて、電話程度では動かない、書類等々と提出して、受け付け終了、認定が下りて初めて、認定者に成る。

この時点に成るまでにも、長い時間と、能力が必要になる。当然、現代、基本、個人情報法の兼ね合いが有るので、本人が己で行う事に成っている。

五体不満足に気付いた時に、全てが出来るか????役所の窓口に行くまでに、何段の階段が有るか???等々、本当に分かっているのか???

五体満足の時は、気にもならないが・・不満足に成ると、一段の段差も気に成る。

先のブログにも書いているが、叔母・・息子が先に逝ってしまった。結果、孫娘と、二人暮らしに成る。私は叔母を「ねーちゃん」と呼んでいるが・・・免許の更新もしなかったとねーちゃんは言っていた。結果、買い物等々は、孫娘が足代わりに成るか???と考えれば、23歳の娘、遊びに夢中な時、祖母の言う事を効くか???不安が有る。結果、今までと同じだが、何か有ったら直ぐに私に電話と、言い聞かせている。

要は、母の妹・・・特に、私の母が一番、気に掛けていた姉妹に成る。一番、可哀そうが口癖だった・・・幼くして母親を亡くし、私の母が親代わりに子供時代を過ごしておられる。その為に、母が死ぬ間際まで、母の弟妹・特に妹の叔母の事を頼むと言うのが、母の願いだった。

私は両親を亡くした・・その意思を継ぐのが後継者と思っている。要は宿題を多々背負ったことに成る。

勿論、私も生物、いつ死ぬかは解らない・・結果、この思いを託す、後継者を創ることが大事に成る。

母に心配ない、俺が~~~と言った。その責任と義務は、永遠の若くして生きられるなら私だけで済むが・・・私も生物、約束を守るためにも後継者がいるし、当然、その様な生き方をしなければ、言動をしなければと思う。

その時、一瞬の損得で事柄を解消しようとする人は、私は信用も信頼もしない。勿論、生物として、命としては認めているが・・・

しかし、その様な人は、己は生物と言う部分を隠そうとする・・神と言わんばかりに、カタログスペックを並べる・・・結果、私はご勝手にと言う方向に成る。

私は力が無い、結果、用心をするし、約束も出来るだけしたくない・・理由は守れる自信が無いからに成る。

若し、約束したら、己だけで済む事も少ない、未来性が有るし、仮に一か月後と言っても、私が生きているかは定かでない・・・

要は、宿題等々の約束が、三流で力は無いが、分を超えるほどある。結果、後継者の育成を求めることに成る。

五体部分は変化が有る。不思議と思ったら・・当然、医療機関に先ずは伺う・・・なまけ病なのか???恥ずかしいが・・・人に聞き難い・・恥を風潮したくない・・・この隠す命が結果的に、占いや・信仰等に利用されることに成る。

誰しも、解ると思う、体調が悪いと聞いたら、私なら当然、医療機関に行けと言う・・行けない理由が有れば、それを解消するようにする。

若し、相手を利用しようと思うなら・・・体調が悪いと聞けば、これを買えば治る等々に向かう・・・又、この様な振る舞が、集団・組織では当然と言う価値観、要は、独裁者側の奴隷として思う通りに操られている事に成る、勿論、ラジコンでない、AI機能が有る、自分ので判断処理している、ロボットである。

ラジコンなら、操縦した立場が問題と見えやすいが、自己判断能力が有る、ロボット、勝手に行ったと成れば、権力側、独裁者側は無傷に成る。

要は、人との繋がり、関係性が気薄くなっているから、人を利用したいと言う部分が、強くなる・・・結果、騙しあいの世の中に成るし、騙されている側は、負け組で片付けられる方向に向かう。

現代は、力が有る側に人が集まりだす。当然、力が有っても、人間なら、病にもなる・・力が衰える時も来る・・その時は、潮が引く様に人が居なくなる。

その時気付く・・人は何の為に、私の周りにいたのか???

利用したいからに成る・・・勿論、各自の価値観の違いで、利用の捉えかた意味合いも人では180度違うが・・・基本は旨い汁を吸いたいと言う事に現代は成る。

勿論、価値観が違えば、苦い水を飲み、己を成長させたいと言う人も居ると思う。

最後に、今回の病・・体が思うように成らないと思うようになってから、5年ほど経つ・・・この間、私を見守ってくれた家族に感謝に成る。

今は、難病と言う認定を受けたが・・その前は、家族の許容力だけで、私を受け入れていてくれた。

勿論、体調が悪い状態でも、お客さんが居てくれたから、生活もギリギリだが出来ていた。すべてに感謝に成る。

本来なら、収入も0に成っていても不思議でない。

私は、色んな人の世話をしてきたので・・・この様な環境・状態は奇跡的事だと思っている。本来は野垂れ死に状態の私が、生きられている・・不可能を可能にしたとも言える。要は、己以外の人様の言動が、私を生きらせていると言う事・・・・

要は、この生に対して義務と責任を果たす、時間を頂いたことにもなる。

五体不満足でも、何か出来るはずである。出来る事を、分相応で続けることに成る。