2020年9月13日日曜日

帯かけお祝い・・・

 今日は、三男の嫁の、帯かけのお祝いを行っている。

昔と違い、些細な行事に成るが・・・・我家ではお赤飯を準備し・・・親戚に知らせて回ると言う、行事に成る。

妊娠100日で行う、行事に成る。安定期に成る、この時期に、親族に妊娠の知らせを行い、今後、生まれて来る、子を宜しくお願いしますと言う・・・思いを伝える行事にも成る。


しかし、最近は、妊娠を伝えても、フ~~~で終わる、事が増えている。

人間の子供は、可成りの時間、他人に依存して成長する。その為に、周りの協力が必要に成るし、当然、生物、親が何時死ぬかもわからない・・・後々、面倒をかける可能性が有るからの知らせに成る。

要は、知らせを受け、知ったなら、責任を背負う覚悟が必要と言う事にも成るが、フ~~~で済ませる、人なら当然、責任等は、感じていない人に成るし、その様な人に知らせても意味が無いと言う事にも成る。

昔と言っても、私の祖父は・・・甥子を育て一人前にしている・・・一族の長兄として、兄妹の子に成る人を育て面倒を看た・・・病死した兄妹の子・・誰が看て行くか???・・・当然、一族でに成る・・・その長たる、祖父が行う、この様な事は、当時では当たり前に成る。

又、近所の父と同級生の、夫婦も、孫に成るが二人を、育てられ、一人は公務員・後一人は高校生と成っている。この部分は、昔と違い、寿命が延び、又、年金等の生活の基盤が有るから出来る部分に成る。

昔と言っても、私の祖父の時代は、親は当てに出来ない歳に成り・・後は、兄妹と言う形に成る。その為に、多くの兄弟が居た時代でもある。

セフティネットを言われる部分を、一族が行っていた・・・・一家で勿論、努力が大事だが・・・出来なければ、一族がカバーする。

この様な、セフティネットが、一族や地域に有った・・・・しかし、最近は、全てが行政や国と言う、考えに成っている。

要は、個人の自由も、国に委ね・・・行政に委ねている・・・飼い犬的生き方を望んでいると私には見える。

何度が書くが・・・現代の価値観は、飼い犬の価値観に近い・・・富豪の恵まれた環境で飼われる、之を望み、その為に、己の魅力・血統書等が必要と言う流れに、人間も成っている様に見える。

飼い犬に生まれ、己は血統がドーベルマン・・・当然、愛玩される立場でない、しかし、愛玩を求めれば、当然、血を恨むし、愛玩の血統を求め・憎むことに成る。


難しいが、何の為に生きているのか???・・・之も真剣に考えた方が良いと私は思う。

生物としての、基本の使命も人間も有ると思う。

子孫繁栄・・子孫を残す、之が最低限の使命だと私は考えている。

この基本部分を、基本に考えれば、生殖能力がなくなった生物は、死が待っていると言う事に成るが、何故か、人間は、それ以上の寿命が有る。

この部分が、人間としての使命が有ると言う事に成る。

私は、生物としては終っている、命・・・・・しかし、人間としては、役立てる力が内在していると思っている。

何に、当然、他に成る。

その使命を果たす為に、寿命が長いと考えている。

しかし、教える事は多々ある。しかし、効く耳を持たない・・後継の者が多い・・・後継者だが、後継を意識できない人が増えている。

完全に、私の目からは、己を捨て、飼い犬に成っている事に気付いていない・・・と見える。

要は、加護に対して感謝の思いが無い・・・当然と思っているし、今以上と言う欲が出るだけの餓鬼的命の人が増えている事に成る。

大きく言えば、宇宙に加護され・・地球に加護され・・世界に加護され・・国に加護され・・県に加護され・・市に加護され・・地域に加護され・・家に加護されている。

この現実に感謝の思いが無い。

逆に不満を多く持っている事に成る。

感謝が有れば、己に出来る部分を探すはず。小さな単位の集団・これだけは死守する等々の思いが有っても良いと私は考えている。

勿論、各自、レベルも違うし、能力も違う、分に応じた、部分が有ると思うし、それに長けている人が、優秀・一流の人だと私は思っている。

要は、生きている、この現実が、奇跡だし、感謝だと私は考えている。

それなら、生きている間に何が出来るか???・・・之は当然、人間だから考える部分だと私は思っている。

己に与えられた場所が有る・・・その場所だけは、守り抜く・・・その部分に、又、一人の人間が増える事に成ったと言う、お祝いに成る。