2017年7月28日金曜日

危機感が丸でない・・・

長男・・・・少し頭を下げれる済む事なのに、つまならいプライドの為に、今、就職活動・・・

しかし、顔を見ると、必死さが無い・・・・

勿論、雰囲気になり・・・この様な状況なら、私の前には姿を出さないし、嫁の居る、母屋へ直行・・・・

未だに自分の落度を感じていない・・・自分は悪い事は何もしていないと思っているし・・・

部下を守った、正儀の見方的感覚で、居る・・・・

幾ら守る、この思いが有っても、相手と同じ様に、言葉で暴言を吐けば、問題に成る・・・・本来喧嘩、両成敗に成るが・・・・相手が、パワーハラスメントを受けたと、訴えれば、言ったも勝ち・・・・

勿論、正式に裁判等、行えば、両成敗に成ると思うが、暴言は吐いた事には間違いないし、若し、相手もそれを言ったと証明がされれば、会社側は、両者を解雇になる・・・・

長男は相手が暴言を吐いて、後輩に言いがかりを付けた、その為に、暴言で返した、この暴言を吐いた事を認めている・・・

理由はともかく、暴言を吐いたと認めた側と、認めない側・・・認めたら責任と取るという事に成る・・・

何度も守る、之は、喧嘩の世界では、戦うと思っているし、テレビ等のドラマでもその様なイメージが有る・・・しかし、現実に、守ると成れば、頭を下げて、場合では土下座でも厭わないという部分が必要・・・・

この様に普段から、暴言等を吐く人は、自分が暴言を吐いたとは思っていない・・・注意くらいの気持ちで、風貌が仕事に適していない・・・之を方言も交え・・歳が多ければ、強い口調で、言う場合は多々有る・・・・それを暴言と取ってしまい、暴言で返す・・・・又本人も暴言を吐いたと正直に言えば・・・

暴言を吐いた、自覚が有る・・・その責任を問われるのは当然に成る・・・・

相手は暴言を吐いたとは一言を、認めていない・・・・正論を言った、注視だったに成る・・・・

若い時に、肩で風を切って、町を歩いていた、時代とは違うと言う事が、長男には解っていない・・・

世の中、基本、相手の事をどうこう言う事は出来ない、基本は、自分が取った行動しか言えない・・・

相手が手を出したから、正当防衛で、反撃した・・・・之を誰が証明できるか、自慢げに正当防衛で相手を殴ったと、言えば、殴った事は認めた・・・・相手は一切、手を上げていませんと言い通せば、証拠が無ければ、殴った事が問題で、賠償責任を背負う形に成る・・・・

我が子は、馬鹿なのか、若い頃から、この様な事が多々有るが、その都度、勉強していると私は考えていたが、単純に正義感が強い、馬鹿と言う事に成る・・・・

以前も書いているが、窃盗バイクが、私が管理している、倉庫から見つかった・・・勿論、私の子供長男の次男が、警察に連れて行かれる・・・・

警察で、結局、友達を庇い、乗っていた事も有るので、自分にも責任が有ると認めた・・・・緊急逮捕・・・・・しかし、その後、犯人が見つかり、釈放されたが・・・・誰が盗んだか解らないバイクが、自分の家の倉庫に有る・・・・・之を、どう説明してよいかが解らない・・・又、警察も乗ったことは有るか等々から、話を進めて、ストーリーを勝手に考えた方向へ誘導する・・・

その後、警察に私が、何の理由で、逮捕、留置したかを質問したが、本人が認めたから、本人が悪いの、一点張りだった・・・

結局、バイクを確保、指紋等々を、取れば、誰がこのバイクを触ったかも解るが、決め付けて、処理しているし、簡単に認める・・・・

この部分は、昔ブログでも書いているが・・・結局、バイクの賠償問題に成る・・・
盗んだ、犯人の親が、悩み我家に来られた・・・それ以前に次男は自分も乗った事が有るので、賠償に対しては、アルバイトしたお金で払うと言っていたので、その事を話、又、そのバイクには沢山の子供達が関わっているので、子供さんに尋ねて、その親達の家へ行く事を進めたが・・・

結果は、盗んだ奴が悪い、うちの子は盗難バイクと知らずに、乗っただけ等々・・・結局、賠償に応じる家庭も無かったとのこと・・・この様な仕打ちを受けた、犯人の父親は、被害者の親に、盗まれる様な管理をしている方が悪いと、言ってしまい・・・結果的に親同士も喧嘩・・・・

何故か、私が被害者宅に、伺い、お詫びをして、示談に応じてもらった・・・・

しかし、殆どの親は、うちの子供は触っていないと言っていたと、後で、聞いた・・・・
勿論、親が子供を守ろうとする、方法と思うが、一番、知らんふりした、親の子供は、その後、大事件を起して、今も刑務所・・・・

子供にも痛い目を合わせる、之も親の責任と私は考えている・・・

特に、次男は悪かったので、私が土下座を何度もしている姿を見ている・・・この違いが、今の長男との違い・・・・考え様では、未成年の時に、悪過ぎた事が、良い勉強に成っている・・・

一歩、下がって考えて、行動する・・之を基本に生きれば良いと教えているが、売り言葉を直ぐに買う・・・之が馬鹿と言う・・・・

すみませんと頭を下げれば、トラブルを避ける事が出来る・・・・

誰も居ない、守る者が居ないなら良いが、守るべきものが有るなら、頭を下げて生きて行く方が私は良いと考えている・・・

言葉の単語も、今の若者は危険な単語は普通に使っている・・・・非常に危険だし、ゴト師的人の良い鴨になる可能性が高い・・・何気に死ねと言う単語を、若し録音されていたら・・・脅迫に当たる・・・

又、簡単に、特定出来る個人に対して、馬鹿や、劣っていると言えば、侮辱罪で訴えられる可能性も有る・・・・

又、一番危険な事は、隠し事が有ること・・・この部分をネタに、付け入る人も居る・・・

何時も人から叩かれていれば、ホコリも人様に見せている事に成る・・・隠し事も勝手に減る・・・

叩かれなければ、若しかすると多大な隠し事が増えているかも知れない・・・・・それを餌に誰かが寄ってくる可能性が高いという事にもなる・・・

その点、三流以下で、何も無い人間は楽だと考えている・・・

現代は、怖い部分が増えている、何故かは、人の価値観が変わってきている・・・自分が勝つことしか考えていない、その為に、他人がどうなろうと・・基本眼中にも無い・・・

勿論、正々堂々と言う概念もないし、勝つ為には手段を選ばない、之が当たり前に成っている・・・

この方向性を、人々が望んでいるので、進んでいる事に成る・・・

長男ももう少し、大人に成って欲しいと考えている・・・・

必死さと謙虚さが有れば、手を差し伸べる人は居る・・・・子供地味た格好よさからの卒業を何時出来るか・・・・それを待ちたいと考えている・・・

勿論、正義感等は、捨ててもらいたくない・・・それが有るなら、有るほど、耐える、我慢する之が必要に成る・・・

予想通り・・・・祭りの総責任者が来訪・・


後、二日になり・・・・祭りの総責任が来訪・・・・・本当の事を言えば、私からアプローチをかけた事で来られた・・・

色んな心配事が有る事は理解出来るが・・・・運営の式次第の、内容の方向に意識が行き過ぎている・・当日でも出来る部分・・・それを今から心配しても・・・・


一番の問題は、担当隣組、一人一人が、自覚が無い事・・・祭り当日の、お手伝いの、要請、チラシは一回配布している・・・・・

勿論、書面に色々、詳しく書いていても、それを見なければ意味が無いし、そのこと自体に感心が無ければ、又同じ様に意味が無い・・・

行事、運営側に人が居れば、殆どの事は、解決する・・・この状態に成れば、後は安全等々の部分を危惧する位に成る・・・

しかし、現実には、運営側をお手伝いする人が居なければ、責任者に選出された3人でどうなるか、この部分を気にする余りに、内容の方向ばかりが気に成りすぎている・・・

現実に、お手伝いする人達の、年齢構成を考える・・・・・殆どが責任者に成っている人より、歳が多く、又、村の重鎮側に居られる人に、動いてもらう必要が有る・・・

今回は、責任者の二人は、他からの転入者・・・・立場は若い、新参者と言う意識で、重鎮側は見ている。

勿論、責任者の子供さん、若者世代がお手伝いすると、考えるなら、この若い立場や新参者と意識も無い・・・・

この様に、お願いする相手の立場が有る・・・・私の場合は、祭り前、一ヶ月以上に渡り、私は無知、教えてくださいと・・・重鎮宅に何回も訪問を重ねていた・・・

その都度、書面を作り、之で良いか・・・又、地域に配布する、チラシ等も、必ず確認をお願いして、配布する・・・・之も、変り者、異端と言われる私だから、念には念を入れて、勝手な行動をしていると思われたくない為の、処置だったが・・・結果として、多くのお手伝いを当日、して頂いた。

この部分・・・必死さを如何、相手に伝えるか・・・之が人を動かす場合、必要・・・

今回の総責任者は、この地の人だし・・私より、年齢が高い・・・自分の立場を重鎮側と考えていれば、指示はした、後は来るだろうで済むが・・・現実は違う・・・

重鎮が指示し、集める会合、村の総会等を見れば解る、重鎮が 略 顔を出し、次に当たる重鎮がそれに繋がって参加・・・村内の親分・子分の繋がりで、参加している部分が有る・・・

結果、参加者の顔ぶれは略同じ、会合中に、質問・提案等は略、私がする位で、結局、変り者の偏屈な馬鹿だと思われている・・・・その他の人は、略、名前消しで、老婆が参加、新参者の移転者等は、殆ど参加が無い・・・之が現実・・・・

この参加されない、新興住宅街を抱えている隣組が、今回の担当に成っている。

重鎮が指示し、集まらない人を如何集めるか・・・・此処が思案する部分に成る。

今回は、宮総代の人も、話が解る人・・・・その人と前回、話して・・・今日か明日、夕方に、各家を責任者と、同伴で、お願いに回る、作業が必要な感じがすると、話していると、総責任者に伝える、之が、今回の目的だった・・・

後は、責任者三人でどう判断されるかに成る・・・

最悪の場合の、保険的、担保は確保しているつもりだが・・・私の体がバラバラになる・・・・
他からの応援を募る事も可能だが・・・最終手段・・・

今回の担当、隣組全体が、どう捉えているかが大事だと私は考えている。

殆どの隣組の人は、責任者が居るので、我、関せずに徹して有ると思うし、若し、心配して声をかけたら、大変な事に成ると、思っておられる・・・・


奉仕作業・・・本来は誉な思いに成るのが当然と思うが、最近は、損得勘定で、物事を組み立てる人が多い・・・・・

誉れと言うことが良いと思う人が多ければ、潮が満ちる様に、人が集まって来る・・・

しかし、今は誉より、損が怖いと思う人が多ければ、潮が引く様に、人が消え去り、残っているのは責任者だけに成る・・・・

この様な時代の為に、利口に生きる、この方向性も益々、損得勘定が強く成るし、全てに白黒、勝敗を気にし、絶対に勝つ、損したくない、之が生きる目的に成って行く・・・悲しいし、空しい生き方を何故望むのか・・・・むなしい、空と書くが、之はそらでなく、カラと言う意味・・・

今回、責任者は、この潮が引く、之も気付いておられるし、絶対前に出たくないと思っていても、責任者としての責任感で、その場に留まっていたら、何時の間にか、最前線の、先頭になっていた・・・之が本音だと思う・・・・

人は、自ずとして、この方向に向う・・・・私が最後まで、看取った老婆も同じ、お金が有る時は、之をすれば、儲かる、之をすれば幸せに成ると、集るように人が集まっていたし、その人達は、超一流の肩書き等々が有る様な見せ掛けで、最後は私が責任取ると入っておられた人も多いが、結局、お金が無くなれば、潮が引くように、人が居なくなる・・・結果、遠目に看ていた私が、何故か最前線に居る立場に成った為に、乗りかかった船、出来る事はしたいと成った・・・

この部分は、私は若い時に経験が出来た、父の倒産・・・・父と関係が無い、私の友達まで、潮が引くように居なくなった・・・・遊ぶ金は幾らでも貸してくれた、友達も、子供が生まれる、お産のお金が無いと言っても無視されるようになった。その友が悪い訳でない、人とは環境全体で物事を見ている。
誰も損したいと思わない、之が世の中・・・

今回、三人の責任者は、表現力は弱いが、一生懸命に、助けてと手を上げている・・・その為に、気付く人も少ない・・・・・誰かがその橋渡しをする必要も出て来る。

世の中には、人の手が必要な人が、居る・・・・勿論、優秀で一流の人が多い世界、少ないかも知れないが、必ず居る・・・大多数が一流・それなら簡単に助けてあげる事が可能と思うが・・・それが何故か出来ない、現実が有る・・・・・

世間で言われている、優秀や一流と言う定義が私は解らない事に成る・・・・

若しかすると、人で無く、鬼畜を一流と言っているのかも知れない・・・・
こうなれば、三流以下の無知な私だが、人で良かったと考えています。


格好よさの定義も変わって来た・・・

最近は、内面より、外面・・・外面が良い、之が大事になり、格好良さの定義とも変化している・・・


我家でも同じだが・・・家に有る金・・・家族が奪い合う・・・この権利が有ると、強く、出る人間が、多く奪い、結果的に、回りに見せている、個人としての外面は良くなり、それを、周りが格好よい、凄いと評価している・・・・

よく、富の分配等々、最近は言われているが・・・国を家と考えれば、よく解る・・・・

例として、田中家・・・・一家の大黒柱が一所懸命に稼ぐ・・・そのお金を大蔵大臣の、妻が管理・・・

この収入に対して、支出が多いので、妻のバイト・・・・二人は汗を流し、国と違い、報酬を全て、家と言う、国に上納している・・・・

この家の、お金に、先ずは、夫と妻が、小遣い等々を奪おうと考えている・・・それに子供が参戦・・・・
一旦家に、納めたお金だが、自分に権利が有ると、夫が思っているし、妻も思っている・・・

このシステムで、納税義務が無い、子供達も、分配を求めて、権利の主張・・・・

しかし、有る時点から・・・納税義務が無かった、子供達が社会人と成る・・・・・・・・田中家への納税者が増える方向に成るはずだが・・・現実は、田中の福祉関係が、当然の権利と思い、之を、手放そうとしない・・・・現実には、納税をしないで、今までと同じ、生活をする、方向に成るし、勿論、田中家の大蔵省へ、分配の要求をする、之も権利と思い、続ける事に成る・・・・

簡単に書けば、田中家の、税務署が、無策の為に、脱税を当然と思っている、家族が居る事に成る・・・その脱税者が・・・田中家に対して、色々、権限を主張する・・・

この家と言う単位でも、この様な若者が増えている・・・この様な若者なら、国への納税をどう思っているか、当然とは思っていないと思う・・・

結局、この富の分配も、一杯、主張し、自分の権利だとワワ言った方が勝ち・・・・分配を受けても、力で捥ぎ取ったと、与えた側に頭を下げる等々の行動は出来ないし、若しすれば、今後は強い、主張が出来なくなる・・・

結局、与えた方も感謝の念も無いし、受け取った方は、全く感謝の念が無い方が、今後にも繋がる事に成る・・・

蟻とキリギリスの説話のキリギリスの方が、生き方として正しいと言う事を現代は示している・・・

この様な家の単位で、考え、納税義務が有っても、しない・・・・有る家族は、個人として稼いだお金を全て、納税している人も居る・・・・有る人は納税もしないで、普通の生活を家の中で過ごし、外では、稼いだ金で、対面を保ち、又周りから格好よいと言われる、生き方が良いと考えている、

昔は、格好よさの定義も、各自で違っていたし・・・その人の不舞を見て、分を超えていると感じると、それを指摘していた・・・指摘だから、格好・行動に対して、疑問を与えていた・・・

最近は、表面の一瞬・・・・その為に、楽で簡単に、その様に見せる、見せ掛けの体裁を整える、之が格好よさの定義に成って来ている・・・

私が考える、格好よさは、自分の責任・義務を確り認識し、それに、プラスするぐらいの、ものを背負い、担って前に進もうと、汗を流し続けている人が、格好よい人だと私は考えている・・・

泥だらけだ、目が光っている、絶対に負けないと言う、オーラが私は格好よい人だと、考えている・・・

親だから、この部分を我が子くらいは解ってもらいたいと考えているが、馬鹿が程度で、聞いている・・・

この部分が悲しいし、情け無いと考えている・・・もちろん、自分の力なさに成るが・・・







心配していたが・・・・

心配していた子が・・・事務所に来訪・・・

何時もの変らない・・雰囲気で、入ってきた・・・・

家出をしていると尋ねたら・・・誰から聞いたと返して来る・・・

この時点で、本人も迷惑を掛けている、駄目な行動とは解っている事に成る・・・・

隠したい事は、結論で、本人は何故隠すのか、彼女の判断では、良いとは思っていないからに成る・・・

この気持ちが、有れば、良い・・・・後は、時間が解決する・・・

色々、話を聞いたが・・・・先に書いている、ブログと一緒で・・・親と子供の普通の部分の感覚が違う、之が問題の様だ・・・

親は、子供を自分の普通の範囲内に治めたいと考えているし、親は子供を思うように出来る立場と考えている・・・・

子供も同じで、親を自分の普通の範囲内に有るものだと考えているし、しかし、その様にならないので、それが、反感に繋がり、反抗に繋がっている。

特に長女で、下に姉妹が3人いる、大表としての思いも有る様だ・・・この部分は評価できる・・・


しかし、大きく違う部分が有る・・・親は子供に対して、全責任を担っている・・・

この部分を彼女に、説明するのに時間が懸かる・・・・

彼女も姉として、下の姉妹に対しての責任を感じている様だが、責任の重さが違うし、思いも違う・・・

自分の身を削っても、姉妹達の責任に答えようとはしないとと思う・・・・

しかし、親は、自分の身を削って、この責任を果たしている・・・・しかし、この部分が悪い、この親の思いを、気付かせないように、当然として振舞っている点・・・

結局、子供側は、身を削っている親を、知らないし、当たり前と感じている・・・

法的に結婚できる、年齢・・・・親の立場で考える様に諭す・・・

昔は、この様な事をしてくれる、大人が、私の周りには多々居た・・・その恩に今は答える義務と責任が私には有る・・・

私の子供達も、この様な大人が居てくれる事を信じているが、現実には少ない・・又、伺う勇気が子供達に無い・・・

その点、彼女は、私に会いに来た・・・良い子だと私は考えている。

難しい、年代の子・・・・大人が上手に関わり続ける・・・大事だと私は考えている。

彼女に、貴方も完璧でない・・・・同じ事で親も完璧な筈が無い・・・・容認できる、許容力を付ける事が大事だと私は考えている・・・

我家の事は、よく知っている彼女・・・我家を例に話すと解る・・・・・それを、彼女に家に当てはめると解る・・・・筈だが、何故か、解らない・・・・

しかし、我が息子達・・・・誰が、言い聞かせてくれる、大人が居ないのかと何時も思う・・・
親の私が、言っても、親としての視点で見ている為に、意味が無い・・・・

第三者の関与を、望んでいるし、出来れば、10歳ほど年上を望んでいるが、如何しても私と同じ、年代しか居ないし、男の場合、父の方向性の人と、見る為に、子供に対して、良い方向に成らない・・・・







一般・・・国民・・・何故???

以前から気に成っていたが・・・最近、一般から、国民の単語がよく、耳に入る・・・

この流れは、報道番組・・・テレビでのインタビュー・ビデオ・・・・沢山、撮影していると思うが、その中から、選んで、テレビで、流している・・・・この事は、報道側の作為も有ると言う事・・・

流れを書くと、昔は、私は・・・から・・・普通・・・・一般・・・・今は国民はと変化している・・・・

個人の見解として、私はこう思うは理解できる・・・・しかし、何十年前から、普通と言う単語が、よく耳に入るようになる・・・・

普通、この普通は、誰の基準の普通かが解らない・・勿論、見解を言っておられる人に普通と言う概念から出ている単語だと思う・・・・・・その為に、各自、普通の概念は違うと言う、捉え方をしていれば、この人が思っている普通からだと、と、いう見解だと解る・・・

しかし、この普通を、周りも含めての普通と、思う、考え方も有る・・・・この考え方だと、普通は、他の大多数の人の同じ、結果、この普通を共有している、代表者と言う立場での見解に成って行く・・・

この方向に誘導したいのか????・・・・次は、一般的、等々の単語が付きだす・・・個人に見解を聞いて、答えが、一般的に・・・不思議な答えだが、之に意外感を感じない、一般大衆に変わって来た事に成る・・・・

インタビューに答えている、個人が、何故か、一般大衆の代表の見解の様に、聞えるようになる・・・
一般大衆が、同じ見解有り得ない・・・色んな見解が有ると思うが・・・何故か同じ見解をテレビで見せ続ける・・・その中に単語として、一般を入れて・・・・之が洗脳で有る・・・・

人は何気に、言葉にするが・・・言葉に普通や一般と入れれば、その人意外もこの見解に同意していると、言っている事と同じ・・・・又、自分の見解に、対して、問題、反論が有った場合の逃げとして、普通や一般を単語として使っている・・・・見解に対して、疑問を投げかけると、私の意見でない、周りの意見だから、私は解らないで、逃げる事が出来る・・・・

この人との対話を出来ない、方向性に向ける・・・個人・個人の断絶・壁を作る、方向に向ける之が怖い・・・・

個人の見解、意見なら、否定等々は、勿論、個人で対処、受ける事に成る・・・之が勉強だし、対話の大事な部分・・・色んな価値観を知る、方法だし、多様な価値観を認識できる、チャンスだが、之を拒絶する方向にする、之を、無知かに向ける、愚民化政策と私は考えている。

最近の、テレビでは、個人の見解なのに、一般的国民は当等の、単語が付いている事に驚く・・・

昔の戦時中の日本国に近い・・・・

力が有る、マスコミがテレビで・・・・街頭インタビュー・・・勿論、編集等で選んだものが、個人の見解として、国民は・・・・・こうなれば、その人が言っている、個人的見解に、同意できないなら、国民で無いと錯覚をする事に成る・・・・・

何故、私はこう思うと言う見解だけにしないのか?????何故、国民や一般的という単語が入っているものを選ぶのか???・・・・もし報道側に作為が有れば、インタビューの中から、報道側が求める、見解だけにすれば、国民は全て、この様に思っているという、見解に誘導できる・・・・

この部分は、昔も多々あった、被害者家族が、加害者に、若いから、早く、校正して社会に被害者の分まで、貢献してくださいと言う、見解を示したら、報道は一気に消える・・・・

許せない、加害者を殺しても足らないと言う、恨み節てき見解は、ドンドン、報道で流す・・・結局は、被害者の、行動パターンを、マスコミが誘導している事に成るし、この様な見解が、一般的だと、視聴者に洗脳させている事に成る・・・・


よく、考えてもらいたい・・・何回も書くが、昔、学校で、先生から叩かれる、勿論、鼻血も流す・・・傷も付く・・・・こんな事は当たり前だったし、それを家族に知られたら、私の場合は、父から、それ以上に叩かれていた・・・・・

之が正しいか、間違いかは私は解らないが・・・・我家だとこの様な行動が、見解と言う事に成る・・・・

結局、各家庭で見解が違う・・・之が当然と思う・・・・しかし、報道や情報が、この対処の方法が得だ、損だと教え出す・・・・・すると、人は得と思う、方向に進み、之が正しいと考え、最後は、一般的・国民はと成る・・・・

最近は、危険で、心配だから、他所の子供を叱る・・・叱咤する・・・・この行動をしたら、親が怒鳴り込んで来る場合が有る。

何故、この様に成るのか、何処かで学んでいる事に成る・・・この何処かが、情報等に成る・・・・

何度も書くが、得する・・・之が損する人を作る可能性が有る・・・・得すると強く、求める事は、逆に損する人を多大に作ることにも繋がっている・・・

情報も、バランス感覚が無ければ、怖いと私は考えている・・・・

この様なバランスが無い、子供達が私は心配である・・・・

大人が、一般や国民と言う単語を使い、若し、子供に言っていれば・・・・子供がその見解が一般的や国民全体が思っていると、認識し出す・・・

この流れは、弱い立場の、基本、負け組みに成り易い立場の人間は、怖い方向に成る・・・
之を、感じるから、子供に、強い力を付けたいと言う、願望まで親に出て来る・・・・
それが欠けたら、一気に、子供さえ、異端扱いに成る可能性が有る。


後二日・・・・本番・・・

昨日も・・・・焼き鳥等の、購入先から、連絡・・・・

何故か、我家に連絡が入る・・・・最近、イベント等で、素人さんが、調理・・・解凍が不完全で、問題が出ていると注意が有った・・・・
自然解凍の場合、気温で変化するが半日から一日必要との事・・・・・・購入後、直ぐに焼く、これは問題が有るとのご指摘・・・

去年、我が村でも問題が発生しているので、今年は電子レンジを使う方法で対処を考えていたが・・・冷食屋さんから、連絡・・・・

結局は、調理する時間以上に、欲しがる人が多い、これが問題だし・・・・・一番は社務所側に居る人達が、酒のツマミに、焼けと指示し・・・大量に欲しがる・・・この要望を、若い世代の人が焼いているので、焦り出す・・・この重鎮側は、お金を出さないので、考えなしに大量・・・・

目の前には子供達が、50円玉を握り締めて待っている・・・

この様な、不公平な、環境も、是正しないと、考えているが・・・・・慣習がそれを、阻害する・・・
徐々に変えて行く、その為には、その都度に、嫌われても、言葉に出す、これを繰り返すしか出来ないし、この部分を認識して頂く、努力が必要・・・

喧嘩に成らない、ギリギリなバランスを考えての行動・・・・之が難しい・・・・

慣習を変える、この難しさ・・・・間違っても、人を攻めては駄目・・・・長い歴史で、出来上がっている慣習・・・・人が悪い訳で、無いし・・・その慣習を普通と思っている為に、起きている・・・

人を攻めるのは有る意味簡単・・・しかし、人を攻めて、その人が退散したとしても、同じ慣習を持っている人が、又出て来る・・・・結局は、人が顔が変わるだけで・・・問題の慣習は続くと言う事・・

何時も、書いているが・・・・人が悪い訳でないこの意識を確り持つ・・・・問題は人が思っている、普通と言う部分に有る・・・・・この普通も、現代では、回り、環境等が大きく影響している・・・

先のブログにも書いているが、同じ環境でも、親と子供とは、立場が違うから、この普通の部分にも違いが出て来る・・・

この普通の違いを、無くす事は不可能だと考えているが、近づける、又は違いを理解させる、この部分は可能だと私は考えている・・・・・時間が必要だが対話が解決方法と私は信じている。

この相手の普通が解らない、理解できないから、問題に成るし・・・それが結果として、人そのものを排除する、勝ち・負けの世界に成っていけば、良い世界とは私は考えていない・・・・

この個人的に持っている、普通を・・・一方向に向ける、誘導や扇動も激しく成っている・・・この力が本来、権力側が求める部分・・・・・権力側は、自分が権力者だとは言わない・・・・一番怖いのは、善人に見せて、本性は権力者・・・・

この流れが、加速している感じがする・・・・・

人を攻める・・・最後は人を殺す・・・この方向に向かい出す・・・・

本来、人でなく、その人の普通の部分の違いが、問題に成っている・・・しかし、扇動側は何故か、この考えが正しい、正儀だと教え、それを信じる方向性が有るので、自分が抱いている普通に問題が有るとはサラサラ考えない、盲目にして行く・・・

よく、考えれば解る、世の中に有る、正しい・正儀と言われる、部分を全て取り入れた普通が有れば、争いは起きない筈・・・・しかし、現実には争いが増えるし、嫌い、死ね良いと思う人が増えて行く・・・

その様な人の理屈は、私は正儀、それ以外が悪だから、仕方が無いし、悪は滅ぼす之が正しいと成る・・・之が一神教的、価値観に成る。

正と悪を、完璧に分ける・・価値観に成る・・・私は疑問が有る・・・

現代、この流れが、世界の指揮者に蔓延しだしている・・・この流れに、日本国は???と考えると、怖いと私は考えている。

先に書いた、正と悪・・・結果勝つのは正儀と言う理屈・・・・其れなら勝てば、正儀の証明にも成る・・・
勝てば正儀、変な価値観だと私は考えている。

戦争や、人が人を殺す、環境、時代なら仕方が無いと思うが・・・余りにも動物的、価値観だと考える。

人としての考え、価値観が有っても、私は良いと考えている。

しかし、その部分を教え、学ばせる環境が現代は皆無・・・何故かは、環境が勝つ事が全てと教えている為に、それ以外には意識が向わない・・・

何度も書くが、人は必ず、死ぬ・・・・・勝ち続けても何時か死ぬ・・・多大な財を得ても、最後は死ぬ・・・

何故か、平時の生き方を教える部分が無さ過ぎる・・・・戦争や戦いに対しての、書籍は多々有るが・・・・結局、人は、人を殺す、この方向を望む、生き物かもしれない・・・・

しかし、私は、人を信頼しているし、信用している・・・・・・・

我が村の、お祭りが二日後に迫っている・・・今日、協力できる部分を探す事にする・・・・
探さないと、無知で馬鹿な私は、解らない・・・・優秀で一流と自称している人が多いので、その様な人が、全て済ませている可能性が有るが・・・探せば、何故か見つかる・・・・