最近は、内面より、外面・・・外面が良い、之が大事になり、格好良さの定義とも変化している・・・
我家でも同じだが・・・家に有る金・・・家族が奪い合う・・・この権利が有ると、強く、出る人間が、多く奪い、結果的に、回りに見せている、個人としての外面は良くなり、それを、周りが格好よい、凄いと評価している・・・・
よく、富の分配等々、最近は言われているが・・・国を家と考えれば、よく解る・・・・
例として、田中家・・・・一家の大黒柱が一所懸命に稼ぐ・・・そのお金を大蔵大臣の、妻が管理・・・
この収入に対して、支出が多いので、妻のバイト・・・・二人は汗を流し、国と違い、報酬を全て、家と言う、国に上納している・・・・
この家の、お金に、先ずは、夫と妻が、小遣い等々を奪おうと考えている・・・それに子供が参戦・・・・
一旦家に、納めたお金だが、自分に権利が有ると、夫が思っているし、妻も思っている・・・
このシステムで、納税義務が無い、子供達も、分配を求めて、権利の主張・・・・
しかし、有る時点から・・・納税義務が無かった、子供達が社会人と成る・・・・・・・・田中家への納税者が増える方向に成るはずだが・・・現実は、田中の福祉関係が、当然の権利と思い、之を、手放そうとしない・・・・現実には、納税をしないで、今までと同じ、生活をする、方向に成るし、勿論、田中家の大蔵省へ、分配の要求をする、之も権利と思い、続ける事に成る・・・・
簡単に書けば、田中家の、税務署が、無策の為に、脱税を当然と思っている、家族が居る事に成る・・・その脱税者が・・・田中家に対して、色々、権限を主張する・・・
この家と言う単位でも、この様な若者が増えている・・・この様な若者なら、国への納税をどう思っているか、当然とは思っていないと思う・・・
結局、この富の分配も、一杯、主張し、自分の権利だとワワ言った方が勝ち・・・・分配を受けても、力で捥ぎ取ったと、与えた側に頭を下げる等々の行動は出来ないし、若しすれば、今後は強い、主張が出来なくなる・・・
結局、与えた方も感謝の念も無いし、受け取った方は、全く感謝の念が無い方が、今後にも繋がる事に成る・・・
蟻とキリギリスの説話のキリギリスの方が、生き方として正しいと言う事を現代は示している・・・
この様な家の単位で、考え、納税義務が有っても、しない・・・・有る家族は、個人として稼いだお金を全て、納税している人も居る・・・・有る人は納税もしないで、普通の生活を家の中で過ごし、外では、稼いだ金で、対面を保ち、又周りから格好よいと言われる、生き方が良いと考えている、
昔は、格好よさの定義も、各自で違っていたし・・・その人の不舞を見て、分を超えていると感じると、それを指摘していた・・・指摘だから、格好・行動に対して、疑問を与えていた・・・
最近は、表面の一瞬・・・・その為に、楽で簡単に、その様に見せる、見せ掛けの体裁を整える、之が格好よさの定義に成って来ている・・・
私が考える、格好よさは、自分の責任・義務を確り認識し、それに、プラスするぐらいの、ものを背負い、担って前に進もうと、汗を流し続けている人が、格好よい人だと私は考えている・・・
泥だらけだ、目が光っている、絶対に負けないと言う、オーラが私は格好よい人だと、考えている・・・
親だから、この部分を我が子くらいは解ってもらいたいと考えているが、馬鹿が程度で、聞いている・・・
この部分が悲しいし、情け無いと考えている・・・もちろん、自分の力なさに成るが・・・
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