2020年1月19日日曜日

帰って来た・・・・

挨拶・・・終了・・・

現代の流れなのか????・・・問題等々はなかったが・・・
彼らの今後、将来の心配が高いし・・その為には、見守るこの部分に当然成る。

祖父母も来られ・・・祖父母との話が・・盛り上がる・・・年齢的に私は近い・・・

結果、八女・八女郡等々の・・・地域性・・又、苗字で歴史、等々も少しは解るので、一族等の、話で盛り上がった。

何処の出身・・等々が解るし、その系統等で、歴史も見えだす。

お父さんの、血は、旧八女郡の、兼松方面・・・今は、広川に里が有るとの事だが・・・済んでいる場所より、その一族の系統も、大事に成る。


之も、縁だが、最近、その地区の一族の商売の後片付けに、四男を伴い伺っている。
夫が亡くなり、その片付けに成ったが、その一族の系統の様だし、その際、可哀そうと、四男が、費用を決め・・・破格の費用にしている。之も縁だと思う。

不思議と思う事が、この様な時に、私の場合、よく有る。

子供達は、気付かないが、不思議な縁と言うものが存在している。

又、古い過去から見れば・・・広川の地は、我、一族の領土にも成る。

その地に、我地域一族の、菩提寺として建立された寺も、残っている。

私の子供には・・・仕事の際、車に乗せて、走っている最中に、この様な事は教えてきた。
勿論、聞く耳を持っていたかは別だが・・・・その継承と言う部分を、四男の父は知らなかったので、父方の親族から、色々学んで、知っている。

昨年来訪された、父の従兄弟さん家族も、この部分を、後世に伝えたい思いで来られている。当然、私が知っている限りの事を話す事が出来たが・・・
後継者の責任にも成るし、後継者の意味に繋がる。

勿論、明治に名字を名乗れる、人達も出来たが・・・何故、求めたのか???・・・系統が解らなければ、文化も継承できなくなるし、当然、それが無ければ、今の己の欲だけの生き方に成る。
之を恐れた、人々が多く居たから、明治に、全ての国民に、名字を名乗れる、様になった。
しかし、明治・大正・昭和と向かうに従い、名字の価値を、感じない人が増えだしている。
結果、祖先・先祖・一族・家等々の、価値を無意味だと考える人が増え、今の己の欲を満たす、この生き方が、正しいと成っている。

江戸時代の、農民の価値観に、向かっている事に成る。己の為、この部分にしか興味を持たない、時代に向かっている事に成る。

継承する、物を持たない・・・それが身軽で、良いと言う発想に成る。
この守るべき、物が無ければ、人は、争わないと言う、考えにも繋がる。
要は、皆が、守るべきものが無ければ、特に、命にも勝る、守る劇物が無ければ、命をかけて、守ると言う事も無いので・・・争いは無くなると言う考えに成るが・・・

現実の今、守るべき物は、己に成っているが・・・争いが無く成ったが???当然、我欲の衝突が起きているし、我欲の為に、理屈・思考では、解決できない・・・本能部分の争いに向かっている。
要は、収拾が付かない争いと言う事にも成る。

系統と言う、歴史が有るし、文化が有る・・・現代は価値を認めていないが、私は大事な部分だと考えている。

私は、個人的ブライドより・・・一族としてのプライドが大事だと考えている。
過去から繋がっている、この部分に、泥を塗らない、生き方をするのが、プライドだと考えている。

先人達の思いを、今に生きらせる為の、存在が、後継者だと考えている。

この表現を、どうするかが・・その人の思いに成るし自由と考えている。

何の責任も、任務・使命も感じない、自由は単純に、我儘だと私は考えている。


若し、自由を、己の我儘の表現と捉えていれば、当然、問題、争いが出て来ると考えている。

若し、先人の思い・歴史が重荷と思うなら・・・名字も要らないと成るし・・・意味も解らなくなる。

今日は、先方さんも、祖父母も居られたので、最後に、四男と、四男の彼女に、
妻・夫は簡単に成れる・・・しかし、嫁や婿には、親や祖父母等の評価に成るので、よくよく、考えろと言って帰った。

当然、直ぐには評価は出ない・・・之からの生き方を問われる事に成る。

早速、彼女の父親の里で、食事会が有るとの事で、四男が再度・向かった・・・
当然、若いし、私が何時も言っている事は、直ぐには解らないと思うが、どう振舞ってくるか????・・・・彼を育てた親の、責任・・・私の責任に成る。
息子達は、楽だと思う、三流で、無知な私位が親だから、之だけで済んでいる。

一流で、優秀な親なら、多くの宿題を、出題されていると思う。

しかし、何故か、無知・歴史も知らない・文化も知らない若者が何故か増えている。
世間には、多くの一流・優秀な人が多いはずだが????



誰に挨拶・・・

営業等を経験していると、誰に挨拶するか・・・この順序・最終目的等々が、解ると思う。
目的に応じて、挨拶する、相手も変わる。
受付嬢に挨拶した・・・之だけで、その会社に、行ったと成るか???・・・目的で、答えも変わる。

この部分は、息子達には幼い頃から教えて来たし、振舞いで見せて来た・・・

個人として、行く時の挨拶と・・・一家を代表して行く時の、挨拶では、相手が変る。

上の家族を持った、子供達も、家の家長と言う立場も出て来ている。
その振舞いが、気に居られているからと思うが・・・里の親・又は祖母等々からの言葉、又は期待感が感じ取れる。

友達に会いに行くも有る。しかし・・家に伺う、立場として、一家の代表としてと成れば、誰にの目的も、解ると思う。

その家の先祖・・仏壇に成る・・・・・

しかし、最近は仏壇も無い、家も増えているし、先祖が居ないと言う、新たに家を興した、私の息子達のような人も増えている。

その為に、孫が来ると、仏壇に挨拶して来いと私は言い続けている。
教える人が居なければ、学ぶ事も出来ない。

何の世界でも、その集団の中心と言う立場や場所が有る・・・目的に応じて、何処での挨拶なのかが、大事に成る。

私も勤め人の頃に、部下が居たが・・・営業先に挨拶したか、アポを取ったか等々を確認する、事が有ったが、私が思っている、挨拶と、違う価値観の人が増えている事に驚いた記憶が有る。

挨拶したか????答えは「Yes」・・・次はアポの進展は???どの程度???答えは「・・・・・」無言に成る。
挨拶したら、己の立場、伺った理由・その目的で、当然、担当者に確り、己を見せていると思うが・・・受付に名刺を置いて来た、之も挨拶と、捉えている人が多かった。
私の感覚だと、伺っただけ、何度も伺い、話を聞いてもらう為の努力と言えば良いと思うが・・・何故、耳障りの良い、返答をするのかと何時も思っていた。
結果、耳障りの良い事に対して、信じない方向に私は成ったが・・・・

その都度、先に書いたような、事を話して、挨拶の意味を説明していたが、当然、理解できない人が多かったし、その様な環境で育っていないと言う事にも気付いた。

集団の会社・・・当然、担当・担当と言うリーダーも、後継者へのタスキを渡す、この意識も有るし、特に社長と言う立場は、この思いが強い・・・

要は、会社の歴史・文化を、後世に繋げたいと、タスキを掛けて居る人達が、リーダーと言う立場・・・勿論、己だけ得すれば良いと言うリーダーお居る、その様な人は当然、己に利が有ればだけの人、対応も簡単だし、それで得た仕事も当然、永遠性は無いと言う事・・・・

リーダーがタスキを掛けて、走っている所に、タスキも掛けず、近づく、同じランナーと見てもらえない事に成る。
営業なら、己の会社の、タスキを掛けて、必死に走って、相手のランナーに近付く、この振舞いが大事だと私は考えている。

又、タスキも掛けていない、人を、相手が信頼するか????私は、疑問が有る。

信頼が無いから、利が得れる、之だけのアプローチに成る・・・
勿論、己の利しか考えていない価値観なら、その話に乗る人も居ると思う・・・
この営業スタンスも、社会の方向性や・属する人間のタイプの多さで変わる事に成る。

要は、甘味を貪る、野良犬的な人が増えれば、当然、耳障りの良い、甘味の有る話が、営業トークに成る。

飼い犬なら・・・当然、相手を見て、判断し、吠える・・等々が必要に成る、家を守る一員としての、認識が犬でも有る。

犬以下に人間が成るとは考えていない・・・守る、役に立つ、当然、己以外・・・之を無くしたら人では無い・・・






貰い受け

今日は、四男の嫁を貰い受けに行く・・・・

昔の我が地域の言い方が・・「貰い受け」

我家・我一族に頂きますと言う意味に成る。

当然、一族・我家の承認を得て・・家長である私が最終・承認を行ってと言う事にも成る。

勝手に・・・この日を、私に確認しないで、家族が設定している。私の感覚だと筋が通っていないと成るが・・・仕方が無いと、行く事にしている。

昔は、この時に、色々な、決め事が有った。

支度金・結納金等々の貰い受け側の、条件・・・・・基本は、住む場所の等々の確認・・

読める側は、それに応じた所帯道具と言う事に成る。
昔は、嫁入り道具と言われていた。

その為に、娘三人嫁らせると・・・竈の灰まで無くなるとも言われていた。

現代はこの部分が大きく変わっている。

上の三人の息子達の時も・・・全て、貰う側、男が我が、所帯道具と整える様になっている。そこに、身一つで転がり込む・・・・こんな感じに成っている。

又、昔は、家・一族の末弟に入る、之が嫁の立場だったが・・・現代は、息子を貰ったと言う感覚が、嫁側に有るし、強い・・・・

その為に新郎側が言っていた、貰い受け・・・この言葉も最近は使わない様になっている。最近は、顔合わせ程度の言い方に成っている。

時代は変ったと思う。

昔は、家を良くする・守る・・・之が子供の役目で・・・男の子なら、当然、自分の家に成るし、女の子なら、旦那の家に成る。

家を守り、発展させるための、子供と言う認識が有ったので、子供は、家の宝・国の宝と言われていた。

宝だから、背一杯の投資も行っていたと言う事・・・・・・しかし、他が為の意識が、子供達に無い。

回りからの、施し、投資も、権利だと思ってしまっている。

この様な、子供達の価値観で、理屈的に考えれば、結婚・子供を儲ける等々は、損と成る。しかし、動物的本能が、強く出た場合、結婚と成っている感じが私はします。

結婚や子育てに対しての、理屈が無い、理由が無い・・・本能がタマタマ・出た為・・・之が問題だったと思う様に成ると、当然、離婚等に成る。

結婚・子育てに対しての、確りした目的・理由が無いと言う事・・・簡単に書けば、ペットを欲しがる、感覚と同じという事に成る。
余裕が有るからに成るし・・・余裕が有れば、ペットに贅沢をさせて自己満足を楽しむ・・この流れで、結婚・子育てを考えている人も増えている。

昔は、家・一族を守る為の、己と思う人を、家族と言っていた・・・その為に他の家族から、大事な守り手を、頂く・・・その為に貰い受けと言っていた。

どの家も、大事な守り手を、手放す・・・簡単に了解を得ない・・・色んな条件が出るのは当然と成る。

この部分の意味が、今も続いているのが・・・姓名・・姓を変える・・・名字の意味が、その一族・家も守り手だと言う、証に成る。
嫁る側が、変わる事に成る。

この様な、部分が、最近では無く成り、親同士の顔合わせとなっている。
結婚の意味が、大きく変わっている。
結果、顔合わせの意味も薄れるし、決め樽・結納・結婚・披露・と言う流れも、意味が無くなる事に成る。

之が、意味する事は、家と言うものが無いと同じ・・・・この流れを求め、創ったのも、私達年代も、含め・・上の年代だと思う。

その人達が、今に成り、どう感じているか・・・耳に入る言葉は、悔いしかない・・要は悔いる行動を、現役時代に行っていたと言う事・・・気付いた時は「時すでに遅し」
結果、祖先から、預かり続けたバトン・・意味的には駅伝のタスキに近いと思うが・・・そのタスキを、どう置くかを悩まれている。

駅伝の、タスキを渡す事が出来ず・・・二区間・三区間・・走った人達が、走れる体力も無くなり・・・置くしかない、片付けるしかない・・この現状を悔いてある。