2025年5月27日火曜日

なんで謝らない!!!

 御免なさいと言え無い人が居る。謝ることが苦痛なら、最善の準備・保守管理をするのが本来と思うが、この様な人は何故かこの様な目に見えにくいところに無頓着の人が多い気がする。昨日の嫁の失敗、指摘したら、怒りだし、当然謝ることも無い、此も慣れているので、私は良いが、彼女の為にならない・・・・・人は、何故かこの方向に向っている。表面は綺麗だが本質が違う、其れを無理して幸福と思うようにしている。

有史以来、人間の欲、我欲を優先しだし、己の実益だけがさちだとかんがえるようにむかってきた。部法用語で言えば、正法・像方・末法時代と有るが・・・時と共に人の心が濁り出す事を意味している。昔は、己が命も愛しまず、生け贄になっていた時代も有る。当然、世のためになる。私が思うに人間らしい、発想・価値観だと思う。しかし、広野心は濁りだし、己さえ良ければが浸透し出す。此に危機感を持った宗教家が、続々と現れる、宗教という形で特に絶対神を崇め、従う報告に向ける、結果、原理主義に向っていくことになる。しかし、この現象は、人間界のレベルの人が、畜生界に向ってることになる。動物、無知と飴で言う事を効かせた方が容易い、要は宗教や哲学等で無く、実利・実益/自損をハッキリ解らせた方が統治が楽だし、誘導や先導が楽という方向に成っている。結果、宗教の違い・イデオロギーの違い等々の争いのように見えるが、己が良ければだけで行っている。この様な時代に成ると、現玉思って居るか、居ないかで変るし、イデオロギー哲学抜きに、お金と鞭で人を先導する方が楽という事に成る。

だから、実益以上に大事なものが有ると思う人を多く作ることに成る。