2022年2月16日水曜日

父・・危篤

 今、妹から電話・・・父の心拍が弱っているとの事で・・・直ぐに病院に来るようにとの事だったとの事・・・

本来は面会が出来ないが、特別に数分の面会が出来たが・・・意識も無く・・・妹の話だと、今夜が峠ととの事・・・・

父がコロナで・・・考えっれない・・・体が強く、若い者には負けないと自負していた父・・若者との喧嘩も当然するし、喧嘩を買うと言うタイプ・・・・・・・

父も、目に見えない小さなウィルスには弱い様だ・・・・

何の手立ても出来ない・・・子として手足を捥がれた状態・・・・・今、妹から電話、亡くなったとの事・・・・

バタバタ・・・・・


リハビリ・・・MRI

 右肩・腕が重力で下がっているだけで、キツク感じる、標準語だとしんどいと言う事に成る。

最近、物を持つ前の状態の腕だけでも、重さを感じていると言う事・・・

この感覚が有るから、何もしたく無い・・好きなバイクもRCも触りたくないと言う状態に成るし、使命感で続けていた地域保全の除草剤散布・ゴミ拾いも、今ではする元気も失せている。

勿論、後継者が育ち、後を任せる事が出来る状態なら、悔やむことも無いが・・育っていないから、悔やむ気持ちが出て来る。

勿論、己に対してに成る。

結果、リハビリの日だったが、医師に診察してもらい・・・大きな病院でMRIを撮り・・・その画像を診て、診察と言う事に成った。

筋肉の断裂等々を有るとの事だだ・・・・神経等にも問題が有る可能性が有るとの事・・・

私も、年老いたと思う瞬間に成る。

リハビリ中・・・人の役に立たなくなるなら、死んだ方が良いし、すぐ死ねると言う病院が無いかと、冗談のように話していた。

簡単に書けば、元気な時に、コロリと死ねる・・この様な病院も必要だと私は思う。

昔は、日本国でも姨捨山等々が有った、食い口減らしの為に、老人が山に入ると言う事・・・・当然、死を覚悟しての話になる。

人として、家族の為に、役に立てる最後が、己の死と言う考えが有ったと言う事・・・

家族の為に、生きた人生の最後と言う事・・・悔しいだろうか????・・私は感謝を残して山に入ると思う。

今は、この様な時代でも無いが・・・人の心の優しさを、増して居るのか???疑問が有る。

周りの為・・・・しかし、狭まっている悲しさ・・・

 誰が為に生きる・・・私の場合、見える範囲と成るが・・・見える範囲も力の衰えと共に、狭まっているし、又は、見えているが、勝手に無理だと思い込む方向にも進んでいる。

悲しいかな、之が私の現実に成る。

思いは有っても、力が無ければ、何もで出来ないと言う、現実を知る事に成るし、その現実を知っているなら、何故、後継者を創ろうとしないのかと???言う部分にも繋がる。

何度が書いているが、私の見える範囲は、隣組くらいが限界で、それを広げても、行政区程度に成る。これが私の社会科何と言う事にもなる。

勿論、それにプラスして、友達・仕事の繋がり等々が入って来るが・・・私のレベルだとこれ以上に広い視野を持つ事は出来ないし、当然、力の無さが原因と言う事も解っていると言う事に成る。

要は、私の見える範囲以下しか、己を使っていない・・・事にもなる。

凡人以下だから、仕方が無いと思うが・・・それでも力の無さに、悲しさも抱くことに成る。

これが、家族で背一杯と成る時が来るとも考えている。

社会に貢献と言われるが・・・出来なく成る事が・・・悲しさに繋がっている。

勿論、構成者を育てて要れば、それも無くなると思うが・・・・育てていない為に、この様に成るし、悔いに繋がると成る。


今の社会教育を否定し無くないが・・・・・良い後継者の排出の妨害をしている様にしか思えない。

個の欲をそそり・・・それを手に入れる事が、幸福、幸せと言う価値観・・・余りにも唯物的価値観に、傾いたと思う。

何を生んでいるか????私は、意味もないゴミを生み出しているとしか思えない。

ゴミ、当然、処理するにも能力・費用が要る・・・

優秀な消費者を輩出し続け・・・そのゴミを誰が後処理するのか???は考えていない。

優秀な消費者なら、当然、優秀な後始末屋も出来る筈である。

しかし、後始末は、損と言う価値観が根差しているので・・・考えもしない。

獲ると言う事は、無くす可能性が出て来ると言う事・・・奇麗サッパリに瞬時に消えれば、問題も反省し難いが、現実は違う・・・・

何を求め、創り上げているのか????・・・之も、解らない時代に成って来た。

悲しいかな・・・私の周りは、この様な人で、満たされてきた。



無理が効かなくなってきた。

 一家に一台・・打ち出の小槌として生きて来たが・・・・叩いても何も出なくなってきた。

若い時は、人の尽くせと母は言っていたし、昔の優秀な人達の言葉にも多い・・・

長年、この立場で生きて来たので、直ぐに変化する事は難しいし、出来ないと思うが・・・

私の若い時の、計画・希望は、還暦後は自分の為に生きると思っていたが・・・・四男・五男・その他の息子達の件も有るので、中々、己の為に生きる等々、口が裂けても言えない現実が有る。

楽に支えられれば、苦に感じない・・・・当然、その為には己の力が必要に成る。無い立場として生まれた人間は・・・支えるのも、必死だし、命がけと言う状態に成る。当然、キツイし苦に感じるが・・・支えられたら、何故か、感謝の思いに変わる。

己の心の動き、変化が不思議だし、何故と言う疑問も出るので、疑問が無くなる迄、続けようと決めていたが・・・その最終が私の場合、還暦を一つの目処にしていた。

しかし、母は、己の為に生きたいと思った時が、人としての死だとも言っていた。

要は、動物のレベルに落ちると言う事に成る。生物の一つ人間として生まれた、勿論、基本は生物である。この部分から脱する事は出来ないが、人には知識・知恵が有る。結果、人として生きてると言う事に成る。しかし、知恵も知識も、何を学んだかに成る。

利己的に、動物的にという部分の知恵や知識だけで、生きれいるなら、家畜状態と言う事だし、そのレベルで、己は良い服を着ている。環境を手に入れたと言う・・・家畜レベルの価値観と成る。

人は作り手だと私は考えている。どの様なレベルでも立場でも、現状の環境を少しでも変えようとする作り手・・・・家畜は、現状の環境下の中で、良いポジションを狙う生き方に成る。

人なら、大枠を変化させる力が有ると、信じている。しかし、どうしても生物だし、動物だから、現状の中で生きると言う考えに成るのも仕方が無いと思うが・・・

現状を変えなければ、未来は無いと私は考えているし、その危険性が、近づいて来ているとも感じている。

私も還暦を超えた・・・之から、益々、後継者・・今後を担う世代に何を残せるか????これを、問い続けている。

動物だから、利己に生きる・・仕方がない・・・・しかし、人間なら・・・負己に生きれると思う。

利他と書かない理由は、耳障りが良いと、直ぐに頷くのも人間・・・しかし、利他とは負己と言う生き方に成る。負己と耳に入ると、何故・出来ないと成る。

言葉とは面白い、勝つと言う事は、多くの敗者を生み出している。負けると言う事は、勝者を創り出している。

利己とは、負他の生き方に成る。利他とは負己と当然なる。

何度も書くが、生物は何時か死ぬ・・・死は必然である。当然、己も死ぬと言う事・・・

死が有るから、生きている時に何が出来るかが問われる。