一家に一台・・打ち出の小槌として生きて来たが・・・・叩いても何も出なくなってきた。
若い時は、人の尽くせと母は言っていたし、昔の優秀な人達の言葉にも多い・・・
長年、この立場で生きて来たので、直ぐに変化する事は難しいし、出来ないと思うが・・・
私の若い時の、計画・希望は、還暦後は自分の為に生きると思っていたが・・・・四男・五男・その他の息子達の件も有るので、中々、己の為に生きる等々、口が裂けても言えない現実が有る。
楽に支えられれば、苦に感じない・・・・当然、その為には己の力が必要に成る。無い立場として生まれた人間は・・・支えるのも、必死だし、命がけと言う状態に成る。当然、キツイし苦に感じるが・・・支えられたら、何故か、感謝の思いに変わる。
己の心の動き、変化が不思議だし、何故と言う疑問も出るので、疑問が無くなる迄、続けようと決めていたが・・・その最終が私の場合、還暦を一つの目処にしていた。
しかし、母は、己の為に生きたいと思った時が、人としての死だとも言っていた。
要は、動物のレベルに落ちると言う事に成る。生物の一つ人間として生まれた、勿論、基本は生物である。この部分から脱する事は出来ないが、人には知識・知恵が有る。結果、人として生きてると言う事に成る。しかし、知恵も知識も、何を学んだかに成る。
利己的に、動物的にという部分の知恵や知識だけで、生きれいるなら、家畜状態と言う事だし、そのレベルで、己は良い服を着ている。環境を手に入れたと言う・・・家畜レベルの価値観と成る。
人は作り手だと私は考えている。どの様なレベルでも立場でも、現状の環境を少しでも変えようとする作り手・・・・家畜は、現状の環境下の中で、良いポジションを狙う生き方に成る。
人なら、大枠を変化させる力が有ると、信じている。しかし、どうしても生物だし、動物だから、現状の中で生きると言う考えに成るのも仕方が無いと思うが・・・
現状を変えなければ、未来は無いと私は考えているし、その危険性が、近づいて来ているとも感じている。
私も還暦を超えた・・・之から、益々、後継者・・今後を担う世代に何を残せるか????これを、問い続けている。
動物だから、利己に生きる・・仕方がない・・・・しかし、人間なら・・・負己に生きれると思う。
利他と書かない理由は、耳障りが良いと、直ぐに頷くのも人間・・・しかし、利他とは負己と言う生き方に成る。負己と耳に入ると、何故・出来ないと成る。
言葉とは面白い、勝つと言う事は、多くの敗者を生み出している。負けると言う事は、勝者を創り出している。
利己とは、負他の生き方に成る。利他とは負己と当然なる。
何度も書くが、生物は何時か死ぬ・・・死は必然である。当然、己も死ぬと言う事・・・
死が有るから、生きている時に何が出来るかが問われる。
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