2022年9月17日土曜日

後継者・・・

 今日・・テレビで総理大臣が優秀な人材・・若者を・・・と・・耳に入ってきた。

優秀な人材、本人の素質も有るが・・・・育てる側の問題とも私は考えている。

この様な人材を、仮に私がよく使う後継車という捉え方を総理は言っておられたように感じる。

理由は、優秀な人材・力がある人材だが、その人材がにも自由が有り、その人の価値観で、どのグループ・社会に属するかを決めることが可能なのが、民主主義でも有る。

要は、損得勘定、当然、利己主義が基本の価値観で、多くの得を得たいと、努力した結果が、人様から凄い人材と言われる立場になった・・・・当然、己を高く評価し、それに見合うかそれ以上の対価を頂ける、グループや社会を望むのも当然となる、価値観が現代、日本国には蔓延している。

要は、凄い、人材を育てても、その人材を誰が手に入れ、その社会・グループの後継者にする事が出来る、社会が力を付けていくことになる。

当然、金が全てという考えになるし、当然、それになびく同じ価値観を持っているから、不安も無く、常識的事と思う人が、今は増えている。

結果・・・民主主義を基本にしている国は、大事なイデオロギー等、ポリシーや恩義理という部分を教えなければ、当然、力・お金が有る集団・国に人は集まると言うことになる。

勿論、優秀な人材は問題を感じさせない・・・しかし、力・お金が有る国には、力が無い人まで、入りたいと思うことになる。

要は、優秀な人も劣っている人も、求めていることは同じと言うこと・・今より、良いと言うより、お金が得れる環境を求めていることになる。

この価値観が強ければ、民主主義で無い国でさえ・・お金に目が眩み、その国の人材として働く人も当然、出てくるし、それに対して罪という意識も無いと言うことになる。

私は嬉しいことに、息子たちを婿養子に欲しいと言われる人が多いことに成る。

昔ながらの作法も教えている。

私が知っている限りの事は、全て教えたいと思うし、それが後継者を育てると考えている。勿論、その知識から、何を選び、残し使うかは、本人たちの考えに成る。

私の幼少期には、先の大戦も経験され、外地から命がけで帰ってこられた人達も多かったし、その際、負けた側の国民・・・戦勝国の人に対しての扱い方等々も、耳にタコが出来るほど聞いている。

要は、海外では、一瞬目を離したら、バックが無くなった。カメラが無くなった等々、当たり前と言われる。

要は、被害者の立場、思い等・・・全く考えない、目の前に有る、お金が欲しい、その為には策を選ばない、これが大陸的、発想に成る。

要は、余裕がある人が、奉仕する・・・余裕が無ければ、罪を起こしても仕方が無い・・・懺悔すれば許されるという考えに成る。

己が悪い出なく、その様な環境が有ることが悪いし、その環境を変える、力ある、善意の人が居ないと言うことで、責任の転換まで行っている。

私の、親戚にも満州からの引き揚げ者がいる。色々話を聞いている。

ソビエト、韓国という国と言うより、国民性とうも聞いている。

財産も残し、己の土地・家も残し、内地に引き上げる・・・当然、その財産に付いては、終わったことと、何事も無いようになっているが・・・当事者は血が出るような思いで手に入れられた物を捨てて、又、引き上げ道中に、家族を亡くす等々も多々有っている。

勿論、恩義理を感じた、人達も居たとのこと、その様な人の協力が有ったから、内地に帰られた等という話もある。

私は何度も書くように、異端児で、嫌われ者・・・もし、私の周りの環境が大陸的なら、私という存在・個性は生きれないことになる。

異質で、力が無い、弱い立場・・虫けらのように、扱われても仕方が無いこれが、大陸的、価値観になる。

しかし、私は、島国の日本という国に生まれた、当然、この国にも感謝になる・・・・

弱くて、嫌われ者も、生きれる国・・・凄いと思うし、この様な人間にも役割を分担してくれる。

平等だと思うことになる。

要は、後継者をどう育てるか????・・・・育て方次第ではダイヤモンドの逸材を、他に・・・与える可能性も有ると言うことになる

この様な発送も、差別主義者と己を自称しているから言えると思う。

後継者、私は己の優先順位が有るために、出来れば、己の後継者が欲しい・・・少し広げて、地域の後継者・市の後継者・・・県の後継者・国の後継者までになる。

他国のとは、私のレベルでは、広げることが出来ない。

それ位、器が狭い、私と言うことにも成る。




又・・・台風が・・・・

 明日・・台風が我が地域の側を通ると予報されている。

田舎で、高齢化が進む我が村・・・・直ぐに動ける立場として、私は出来る範囲だが、手を貸す側を務めていた。

結果、災害時等で必要と思える道具・物・等々は、常備する方向に成っていたし、道具も手入れが必要のために、台風等が接近する前に点検・メンテを行っていたが・・・

今は、病という体が・・・それを出来ない方向に向かわせている。

要は、何度も書いているが、手を貸せる間は、当然、貸すことが・・出来なくなった時には逆に手を貸して頂く事に繋がると考えていたが・・・この年齢で、手を貸して頂く立場に成ったことに対して私は納得できていない。

これも何度も書いているが・・・男手で私の家を中心に、向こう三軒両隣を見ると、私より若い男手は・・・我家に居る、四男と五男に成る。

要は、人手が必要な人が、周りには居ることに成る。

勿論、地域住民として、最低でも、お世話になっているなら、この程度の情報は普通のレベルと思うし、もし、災害等が起きれば、人の頭数程度くらいは、知っていなければ、住民としての資格も無いと思うし、最近、取り残された園児の死亡等が事件として、取り上げられているように・・・知らない・無関心・責任の放棄・・等々が問題になっているように、世間・社会で言われる、最低限の社会人としてのレベル・・このレベルは三流の私でも得たいと思うし、力が無いので思い続け、挑戦を続けることになる位に、レベルが高いと言うことになる。

普通の人なら当然の出来る部分だが・・・私の場合は、肩に力を入れ、勇気を出さないと出来ないレベルと言うことになる。

今日は、一緒に住む息子二人も、仕事に出ている。

帰ってきたら・・台風の対策をして貰いたいと思うし、又、何か有った場合は、私が指示し、手足となって、動いて欲しいと願ってる。

何時も思うし、何度も書くが、私が地域社会の物事等々に動く人間として、一番若い方になる。

還暦を過ぎた私が若いとなる。

現実には、私より若い人が居ると思うが、何故か、地域事に対して、姿を見ない・・・これも不思議・・・昔と違い、現代風の近代的な教育を受けているはずだし、当然、過去の反省の元に、良い方向に向かっていると思うが・・・何故か、地域で若い人の村事で動く人を見ない。

最後の最後は・・・職場で最後になれば、職場の近所の環境が大事になる。

しかし、殆どの人は、済んでいる我家の周りの環境の中で最後を迎える。

定年後、病を患い・・・誰が手をかしてくれか????・・・当然、誰いも考えていると思うし、特に私の様に三流で、嫌われ者なら、当然、我が実子を創り育てることを考える。後継者として手足として働いてくれる人をと私は願っていたし、当然、現代は一人の背には荷が重すぎるので、5人の息子をもうけた。

力不足のために、思うように育てることは出来ないと思っていたから、若い頃から、地域社会への貢献・・・当然、ゆくゆくは己が人の手が必要になると言うことを解っていたから、出来るだけ、協力していた。

私は、社会の中で生かされているし、当然、社会が有るから生きられている。

社会に・・・当然、感謝となるし・・・有難うと成る。

波瀾万丈、色んな事が起きるが・・・それを楽しむ、感謝できる・・・この様な価値観を与えてくれたのも、社会となるし、社会の中で、下働bきを続けた結果だとも思う。

バカボンの漫画のレレレのおじさん・・・今の私も目標でも有る。

凄いことは出来ない体になってきた。私でも出来る部分で、地域社会に貢献し続けたいと考えている。

これが出来ている間は、生きる意味も有ることになる。

間違っても利己の為、生きるという、鬼畜の命にだけは成りたくない。

三流でも人として一生を全うしたいし、その生き方が威風堂々な生き方だと私は考えている。