全てに、趣旨目的は大事だと私は考えている。
勿論、各自違うし・・・立場で変わるし・・・集団等の、組織でも変わる。
仮に、公共性を求め、人々への貢献を趣旨目的にした、集団なら、当然、之を目的に、集まって来ていると思うが・・・間違って、この貢献を自ら受けたいと集まる勘違いの人も居る筈。
家族も同じだと私は考えている。家としての趣旨目的が有ると思う・・・この部分は、各家庭でも違う部分に成る。
現代は、自分・・・・之を強く主張する・・・・・昔は家は・・・・だった。
仮に、我家の家訓等々の、趣旨目的に合わないと成れば、去れば良いと言う考えも有る。
強い、主張・形に限定しまうと、合わない人も出て来る。
しかし、共に生きる・共に助け合い、共に繁栄したいと言う、趣旨目的なら・・・去る人は少ないが、今度は、先に書いた様に、貢献する団体に参加する、人が貢献を受けたいと言う人も居る・・・この流れも存在する。
この共々にと言う価値観が現在は無い、以前書いたが、鎖国時代に、キリスト教の布教に、一般の人に、信じれば貴方は助かります。救われますと、説いたらしいが、私が救われても意味無い、貴方の神を知らず、死んだ、先祖が、地獄に居るなら、私も地獄に行きますと言う、価値観が、日本国に有ったらしい・・・その為に、布教が難しかったとの事・・・
之も不思議だ、神とは囲い込みをするのか????自分が気に入った、自分の思い通りに成る、簡単に書けば、奴隷的、人を、求めているのか???・・・之が存在するから、神の立場が有るとするなら・・・神は、独裁者と言っても良い・・・・
簡単に書けば、神の意向に合う、之が見方・・・・意向に合わない敵と成る。
この理屈でいけば・・・同時に、見方と敵が、危険な状況に成った。どちらを助けるか、当然、見方と成る・・・・・
人間のレベルで考えれば、外道に近い価値観に成る。
基本は雰囲気・外見で、神も忖度している事に成る。
命の次元・心の次元で無く、首から掛けている、看板のスペックで事が決まる事に成る。
西欧諸国の、一神教的・基盤が有る、価値観で出来た、映画も直ぐに敵・味方・・・最後は、正義は勝つ・・・この方向性・・・・
正義とは????之が私には解らない・・・・敵の趣旨目的も有る筈。当然、正義と思っているなら、その趣旨目的も有る筈。
この趣旨目的の違いが有る・・・之は当然の事だし、この部分で、敵に見方と言う方向に考える事態が私は解らない・・・
若し、神の存在が、結果的に、自分の意向に沿う、奴隷を創る事だとするなら、その信者は神に近づこうとする・・・・
之が、植民地政策の趣旨や目的に成っている。
神が怖いのが、趣旨に合わない人は、抹殺方向に成る・・・之さえ、認め、称賛する方向が有る。
この様な価値観が、私は外道だと考えている。
人の道で無いと私は、思っている。
人間でも、自分の趣向で、人を軽蔑したり、特に抹殺する等々、有りえない・・・この様な振舞いをして居れば・・・・人間で無いと言われる・・・勿論、人間以下と言う事・・・・しかし、神なら許される・・・不思議だと思う、人間以上のレベルの人が神なら、少し、趣旨が違って来る。
要は、正義は勝つで無く・・・勝つから正義と言う事に成る。
この様な価値観が、蔓延して来ている世界で・・・・庶民は小さな独裁者・・・・の社会から、リーダーとして、大きな独裁者を排出している事に成る。
証拠が、何の為に、リーダーに成ったか?????殆どが、自分の思う様な方向に成り易い立場だからに成る。自分の思う様な方向????之が見えない。
人類は、人種や文化等々で、違いが有る、壁が有るわけで無い・・・・勿論、同じ人種でも小さな違いで、壁を作りたがる・・・
その理屈は、私は正しい・正義・・・壁の外は、邪悪だから、間違い・・・何を証拠にするか、力に成るし、勝つ事が正義と成る
本来、正義とは、人の道と、日本国民は思っている、しかし、人・・・この人の価値観が変われば、当然、道も変わる。
本来は、東洋の新たな価値観が、表舞台に影響しだしても良い、世紀に成っているが、その東洋の哲学・価値観を、抹殺しようとする、大きな力が存在している。
浮かれ喜び、乱舞する、之を天国だと、思う人を増やしている・・・勿論、誰が???自分が強く成っている。
天国イコール、極楽・・・・と刷り込みを行っている。
本来、極楽とは、人類全てがこの境涯に至る、この終着点である・・・スポーツで言えば、ゴールを切った後の世界・・・・・苦労して、汗を流し、キツイが歯を食いしばり、共々にと前に進む、境遇を続ける事が、結果として、この境涯を得ると言う事に成る。
競技の終わり・・・戦いの終わり後の世界・・・・過程がどうかで、その後の境涯も変わる・・・・私は、キツイ度が強いほど、感動も大きいと思う・・・・
この部分を、競技に参加せずに、キツイ事をしないで、ゴール後の部分を求める・・・之が現代の、価値観だと思う・・・之を出来る立場が、偉い・優秀・一流と成っている。
何故、人は、孤独に向かうのか、自分さえ良ければと言う価値観は孤独に向かう。
しかし、幸福度は人との比較でしか感じられないと言う人も増えている。
以前も書いたが、絶対に思う通りの言動をする、人しか周りに居ない・・・又、欲しい物は全てある。世界に居る事が、幸せなのか????
結果、何をしても、称賛される・・・之が普通に成れば、面白くないので、称賛されない方向の言動をしだす・・・之も人間だと私は考えている。非道な事をしても称賛される・・・・非動が増す方向に向かう・・・・
之が人間の本質とするなら、独裁者に成りたい、又は、称賛されたい、全て手に入れたら???天国か????・・・極楽か????・・・・
地獄だし、破滅への道を進んでいると私は考えている。
2019年2月27日水曜日
今と昔の普通・・・・子供編
子供と大人の境・・・・今は、20歳から18歳に変わろうとしているが・・・・
昔は・・・15歳が元服と言う、大人と子供の境目の規準に成っていた。
私の独断で、書けば・・・・この歳を境に、大人に成る一人前と言う事に成るが・・・大人・一人前この考え方も色々有るが、社会への貢献の責任が有るし、義務が伴うと事を言うと考えている。
その為に、昔は、子供の分で、生活の糧を手伝う等々が、普通に有った。
赤子から、15歳までの、流れを、独断で書けば・・・・・乳幼児・・・母が乳を与え育てる・・・この年代は、親側の、肉体的、能力・行動に成る。
勿論、この部分で、兄や姉が居れば、子育てを手伝う・・・之も有る。
物事を理解しだす、年代、当然、教育に成る・・・・・この部分で初めて、親側の知識・知恵が子供の教育に成る。
学校等に行けない時代は、当然、親の知恵や知識量で、教育の差が出て来る。
子供は学びたいと、親の知識を得ている・・・・生活の糧を稼ぐ、之も知恵に成るし・知識に成る、この部分も当然教える・・・・結果、行動に成り、子供が生活の糧を稼ぐ・・手伝いをしだす。
その後、一人前に成り、社会に貢献出来る、人に成って行くし、其れを育てる、之が親の責任に成っていた。
現代は、成人を越えた人も、何故か、生活の糧を稼がない人も大勢いる。
勿論、社会へ大きく貢献しする為に、勉学に励んで居る人も居ると思う・・・・
又、生活の糧の意味が昔と違う・・・昔は、一家・家族の生活の糧が基本、自分の為にと言う部分は少ない・・・・
その為に、お手伝いと成る。大きく言えば、奉仕に成る。
現代の流れは、乳幼児の時は、基本、親の肉体的、努力も必要だが、殆どがお金で済む・・・・
物事が解り出すと、親の知恵や知識等々より、確りした、教育が良いと、教育機関に任せる。
この部分でも、将来、人に貢献できる・社会に貢献したいと、学ぶ・又学ばせる、方向で無く・・・・少しでも、良い生活が出来る、方向に向かう。
身体的に、大人に近づくなら、何なりと、家族の生活の糧を稼ぐ等々無く・・・自分の慾を叶える為に、成るし、又、そのお金を、親にせびる様に成る。
その金額も、どんどん増加傾向に成る。
子育て中に、特に、成人までの間、家族を助ける、守る等々の奉仕は、昔に比べると、無いに等しいと私は考えている。
簡単に書けば、成人と言う通過点くらいの意識に成っている。
人は、生きれる自身が付けば、横柄な態度を示す。
この様に成らない為に、親の教育や地域社会での教育が大事に成る。
仮に、子供も、人の手が居る間は、親の言う事を聞く・・・・又、我慢もする。
私の三歳の孫を見ていると・・・父親の顔や目を見て、行動の方向性を決めている。
親の依存度が高いので、当然と言えば当然に成る。
今後、保育園に行っているので、当然、周りの子との差を、感じだすと思う・・・何故差が有るのか???簡単に書けば、友達が持っている玩具を、如何すれば買って貰えるか???・・・
この方向に進む・・・・親の弱い部分を責めだす事に成る。
人は、先に書いたが、一人でも生きて行ける、この部分を手に入れると・・・当然、楽に生きたいと思う・・・・汗を流して稼ぐより、楽で稼げる方が良い・・・・
又、効率等を考え、先ずは我慢して、学歴と成れば、之を目指す、目的は当然、楽に稼げると言う方向に成る。
戦前と、戦後の大きな違いは、この部分・・・・何の為に、一人前に成るか????
一神教の世界の価値観を、一気に取り入れた、戦後・・・・特に力が有るものには逆らわない・・・この様な、価値観が一気に入って来て、正しいと成ってしまった。
結局は、自立した、一個の人間・・・この言葉で感じる、意味の広がりも変わって九ている。
自立した、人間・・社会は一人で無い結果、価値観の衝突が出る、お互い、容認できないと成れば、争いに成るし、殺し合いに成る。
この様な国も有る。
仮に、争いより輪を尊ぶと言う価値観が、基本に有り、自分勝手な、自立が正しいと言う人が出てくれば、当然、自分勝手な人が、思う様に成る方向に向かう・・・・
自分の価値観を押し付けても、喧嘩に成らない・・・ん~~~と受けいれた様相の世界に成る。
この輪を尊ぶ、価値観で、家庭を守れば、当然、自己中の現代的価値観の人が居れば、その人に全てを、振り回される。
異質の価値観が入って来たので、問題に成る。
この価値観が確り有る、社会は、親も権利・子供も権利と、お互いの主張をして、馴染む事が出来なければ、その家族から去る、この様な方向も有る。
家族でさえ、敵味方と言う考えに成る。
日本国の親は、一神教の世界から見れば、甘過ぎると言われる・・・理由は、和を尊ぶからに成る。
家庭がこの状態なら、社会も国もに成る。
生物として、人が欲している部分は、先ずは、自立する為、当然、自分だけを考えての価値観に成るが、其れを得る為に、知識や知恵を学ぼうとする。
学ぶ部分が無くなったと成れば、当然、子供と一緒で、お金を要求しだす。
勿論、この流れが当然と思っているので、感謝の念も無い・・・逆に足らないと思っている。
之が現代の子供に多い・・・・
昔は・・・15歳が元服と言う、大人と子供の境目の規準に成っていた。
私の独断で、書けば・・・・この歳を境に、大人に成る一人前と言う事に成るが・・・大人・一人前この考え方も色々有るが、社会への貢献の責任が有るし、義務が伴うと事を言うと考えている。
その為に、昔は、子供の分で、生活の糧を手伝う等々が、普通に有った。
赤子から、15歳までの、流れを、独断で書けば・・・・・乳幼児・・・母が乳を与え育てる・・・この年代は、親側の、肉体的、能力・行動に成る。
勿論、この部分で、兄や姉が居れば、子育てを手伝う・・・之も有る。
物事を理解しだす、年代、当然、教育に成る・・・・・この部分で初めて、親側の知識・知恵が子供の教育に成る。
学校等に行けない時代は、当然、親の知恵や知識量で、教育の差が出て来る。
子供は学びたいと、親の知識を得ている・・・・生活の糧を稼ぐ、之も知恵に成るし・知識に成る、この部分も当然教える・・・・結果、行動に成り、子供が生活の糧を稼ぐ・・手伝いをしだす。
その後、一人前に成り、社会に貢献出来る、人に成って行くし、其れを育てる、之が親の責任に成っていた。
現代は、成人を越えた人も、何故か、生活の糧を稼がない人も大勢いる。
勿論、社会へ大きく貢献しする為に、勉学に励んで居る人も居ると思う・・・・
又、生活の糧の意味が昔と違う・・・昔は、一家・家族の生活の糧が基本、自分の為にと言う部分は少ない・・・・
その為に、お手伝いと成る。大きく言えば、奉仕に成る。
現代の流れは、乳幼児の時は、基本、親の肉体的、努力も必要だが、殆どがお金で済む・・・・
物事が解り出すと、親の知恵や知識等々より、確りした、教育が良いと、教育機関に任せる。
この部分でも、将来、人に貢献できる・社会に貢献したいと、学ぶ・又学ばせる、方向で無く・・・・少しでも、良い生活が出来る、方向に向かう。
身体的に、大人に近づくなら、何なりと、家族の生活の糧を稼ぐ等々無く・・・自分の慾を叶える為に、成るし、又、そのお金を、親にせびる様に成る。
その金額も、どんどん増加傾向に成る。
子育て中に、特に、成人までの間、家族を助ける、守る等々の奉仕は、昔に比べると、無いに等しいと私は考えている。
簡単に書けば、成人と言う通過点くらいの意識に成っている。
人は、生きれる自身が付けば、横柄な態度を示す。
この様に成らない為に、親の教育や地域社会での教育が大事に成る。
仮に、子供も、人の手が居る間は、親の言う事を聞く・・・・又、我慢もする。
私の三歳の孫を見ていると・・・父親の顔や目を見て、行動の方向性を決めている。
親の依存度が高いので、当然と言えば当然に成る。
今後、保育園に行っているので、当然、周りの子との差を、感じだすと思う・・・何故差が有るのか???簡単に書けば、友達が持っている玩具を、如何すれば買って貰えるか???・・・
この方向に進む・・・・親の弱い部分を責めだす事に成る。
人は、先に書いたが、一人でも生きて行ける、この部分を手に入れると・・・当然、楽に生きたいと思う・・・・汗を流して稼ぐより、楽で稼げる方が良い・・・・
又、効率等を考え、先ずは我慢して、学歴と成れば、之を目指す、目的は当然、楽に稼げると言う方向に成る。
戦前と、戦後の大きな違いは、この部分・・・・何の為に、一人前に成るか????
一神教の世界の価値観を、一気に取り入れた、戦後・・・・特に力が有るものには逆らわない・・・この様な、価値観が一気に入って来て、正しいと成ってしまった。
結局は、自立した、一個の人間・・・この言葉で感じる、意味の広がりも変わって九ている。
自立した、人間・・社会は一人で無い結果、価値観の衝突が出る、お互い、容認できないと成れば、争いに成るし、殺し合いに成る。
この様な国も有る。
仮に、争いより輪を尊ぶと言う価値観が、基本に有り、自分勝手な、自立が正しいと言う人が出てくれば、当然、自分勝手な人が、思う様に成る方向に向かう・・・・
自分の価値観を押し付けても、喧嘩に成らない・・・ん~~~と受けいれた様相の世界に成る。
この輪を尊ぶ、価値観で、家庭を守れば、当然、自己中の現代的価値観の人が居れば、その人に全てを、振り回される。
異質の価値観が入って来たので、問題に成る。
この価値観が確り有る、社会は、親も権利・子供も権利と、お互いの主張をして、馴染む事が出来なければ、その家族から去る、この様な方向も有る。
家族でさえ、敵味方と言う考えに成る。
日本国の親は、一神教の世界から見れば、甘過ぎると言われる・・・理由は、和を尊ぶからに成る。
家庭がこの状態なら、社会も国もに成る。
生物として、人が欲している部分は、先ずは、自立する為、当然、自分だけを考えての価値観に成るが、其れを得る為に、知識や知恵を学ぼうとする。
学ぶ部分が無くなったと成れば、当然、子供と一緒で、お金を要求しだす。
勿論、この流れが当然と思っているので、感謝の念も無い・・・逆に足らないと思っている。
之が現代の子供に多い・・・・
ファシズム・・・・
先のブログで・・・最後にファシズムと書いた。
ファシズム・・・独裁や国家主義・全体主義と言われる。
今、マスコミ等々で、ナショナリズムが強く成っていると言われるが、之も一つのファシズムだと私は考えている。
特に、独裁・・・・之は、ナショナリズムが進んだ結果、独裁に成っただけだと私は考えている。
自分さえ良ければ、この様な国民が多い、この一人、一人が小さな、独裁者的状態が底辺に有るので、一気に向かう。
何の世界でもリーダーが居るし、必要に成る。
このリーダーも民主主義を謳っているなら、当然、人々の思い・価値観で選ばれる事に成る。
社会を、仕事と考えて・・・・出来るだけ、利益が出る、仕事を求めたい、当然、人間関係が大きく影響する。
能力以上の、対価が大きい、之を求めるなら・・・人間関係に成るし、当然、ホームレス等々との人間関係とは考えていない。
力が有る、又、その力を私に使ってくれる・・・人間を求める。
この様な価値観で、選ばれたリーダーと成れば・・・・当然、自分だけ良い、利己主義の人に成って行く・・・・
勿論、少しの利他主義が有るが、之も先に書いた、溢れた利は、他人に渡すが、当然、条件付きと成って行く・・・・大きな利己主義が、耳障りの良い、小さい、又多々の条件付きの、利他主義を風潮する。
本当に、困っている、ホームレス等々を考え、先ずは之を変えなければと思う人に、力が有る、経済力が有る人が、応援するか????
結局は、利益を誘導して、私に下さいと言う人が、強い支援者に成る。
民主主義と言っても、独裁に向かう危険性が有る。
結局は、民衆の範囲・価値観が狭い、発想に成る。
民衆は、利を求めている・・・負を避けている・・・之を叶えると成れば、当然、民衆以外、他の国に利を献上させる、負を押し付ける方向に成る。
同じ、国の民衆さえ・・・・この価値観が正しい、このレベルが正しいと、それ以外の価値観・レベルの人の排除が始まる。
利に繋がらない、障害者等の排除に成るし、違う価値観の抹殺に向かう。
結局は、全体数の民衆が求めたと成る。全体主義に成る。
結局は、国民の思いで、創り出された、個人・・・之がヒットラーに成る・・・
結果、民衆の思い、負は他人・・・・結果、負ければ、全責任は、リーダーに有ると成る。
この様な価値観なら・・・当然私が若し、選ばれてリーダーに成れば、ヒットラーと同じ、振舞いをした可能性が高い・・・・
リーダーとして、何を国民は求めているのか????之に従うしか、国民の賛同は得る事は出来ない。
賛同を得る為には、当然、民衆の要望・・・利は己・・・負は他人・・・之を他国に求める事に成る。
この価値観が正しいと成る為には、当然、戦いに勝つ、絶対に勝つ・・・この流れを創る。
一旦、この流れが付けば、加速しだす。
勝てば、直ぐに結果が出る・・・・
民衆の、利は自分、負は背負いたくない・・・この思いに答えた事が、結果的に、ヒットラーの悲劇に成る。
勿論、色んな価値観の人がいたと思うし、色んな考えが有ったと思うが、殆どの人、一般的・普通と言う、全体主義が勝ってしまった事に成る。
我国を見て、民衆は、何を望んでいるのか、その大多数の、方向に進むのが、民主主義でも有る。
その為に、リーダーは、少数の、聞こえない声に、耳を傾ける事が求められている。当然、それで選挙に勝つ、保証は殆どない・・・
この勇気が有るかが、本来リーダーの素質に成る・・・・しかし、如何してもヒットラーの様に、絶対数が多い、之に触手を伸ばす・・・・之も、人間だから仕方が無い部分・・・
ファシズム・・・独裁や国家主義・全体主義と言われる。
今、マスコミ等々で、ナショナリズムが強く成っていると言われるが、之も一つのファシズムだと私は考えている。
特に、独裁・・・・之は、ナショナリズムが進んだ結果、独裁に成っただけだと私は考えている。
自分さえ良ければ、この様な国民が多い、この一人、一人が小さな、独裁者的状態が底辺に有るので、一気に向かう。
何の世界でもリーダーが居るし、必要に成る。
このリーダーも民主主義を謳っているなら、当然、人々の思い・価値観で選ばれる事に成る。
社会を、仕事と考えて・・・・出来るだけ、利益が出る、仕事を求めたい、当然、人間関係が大きく影響する。
能力以上の、対価が大きい、之を求めるなら・・・人間関係に成るし、当然、ホームレス等々との人間関係とは考えていない。
力が有る、又、その力を私に使ってくれる・・・人間を求める。
この様な価値観で、選ばれたリーダーと成れば・・・・当然、自分だけ良い、利己主義の人に成って行く・・・・
勿論、少しの利他主義が有るが、之も先に書いた、溢れた利は、他人に渡すが、当然、条件付きと成って行く・・・・大きな利己主義が、耳障りの良い、小さい、又多々の条件付きの、利他主義を風潮する。
本当に、困っている、ホームレス等々を考え、先ずは之を変えなければと思う人に、力が有る、経済力が有る人が、応援するか????
結局は、利益を誘導して、私に下さいと言う人が、強い支援者に成る。
民主主義と言っても、独裁に向かう危険性が有る。
結局は、民衆の範囲・価値観が狭い、発想に成る。
民衆は、利を求めている・・・負を避けている・・・之を叶えると成れば、当然、民衆以外、他の国に利を献上させる、負を押し付ける方向に成る。
同じ、国の民衆さえ・・・・この価値観が正しい、このレベルが正しいと、それ以外の価値観・レベルの人の排除が始まる。
利に繋がらない、障害者等の排除に成るし、違う価値観の抹殺に向かう。
結局は、全体数の民衆が求めたと成る。全体主義に成る。
結局は、国民の思いで、創り出された、個人・・・之がヒットラーに成る・・・
結果、民衆の思い、負は他人・・・・結果、負ければ、全責任は、リーダーに有ると成る。
この様な価値観なら・・・当然私が若し、選ばれてリーダーに成れば、ヒットラーと同じ、振舞いをした可能性が高い・・・・
リーダーとして、何を国民は求めているのか????之に従うしか、国民の賛同は得る事は出来ない。
賛同を得る為には、当然、民衆の要望・・・利は己・・・負は他人・・・之を他国に求める事に成る。
この価値観が正しいと成る為には、当然、戦いに勝つ、絶対に勝つ・・・この流れを創る。
一旦、この流れが付けば、加速しだす。
勝てば、直ぐに結果が出る・・・・
民衆の、利は自分、負は背負いたくない・・・この思いに答えた事が、結果的に、ヒットラーの悲劇に成る。
勿論、色んな価値観の人がいたと思うし、色んな考えが有ったと思うが、殆どの人、一般的・普通と言う、全体主義が勝ってしまった事に成る。
我国を見て、民衆は、何を望んでいるのか、その大多数の、方向に進むのが、民主主義でも有る。
その為に、リーダーは、少数の、聞こえない声に、耳を傾ける事が求められている。当然、それで選挙に勝つ、保証は殆どない・・・
この勇気が有るかが、本来リーダーの素質に成る・・・・しかし、如何してもヒットラーの様に、絶対数が多い、之に触手を伸ばす・・・・之も、人間だから仕方が無い部分・・・
唯物的部分は、+・-0が基本
無かは物は出来ない・・・・何かを使って、変化させて物が出来ている。
人も生きると言う事は、何かを消費して生きている。
無限の消費が続くなら、当然、その材料に成るのも、無限に有るか???・・無ければ、作り出しているか???作り出す為にも消費は続いている。
先のブログに、人の、価値観・・・・・利己主義・負他主義・・・・・又は利他主義・負己主義・・を書いたが・・・・
何度が、書いている様に、生きる事は消費をして生産をする。之を繰り返して、生産を利と考えれば・・・消費以上に生産が高い、之が、利に繋がる。
逆に、消費以上に生産が低いと、負が発生する。
仮に、利を+と考え、負を-と考えれば、私は最後は0に成ると考えている。
人の一生を見て、一人が、乳幼児から高齢者に向かっている。
乳幼児は孤独では生きれない・・・・この事は-に成る。高齢者も同じで-に成る・・・・
人の一生で、+の作用が出来る時期も有るが・・・・-の時は、人様の手が居る時代に成る。
その為に、他人様が必要に成る・・・・この人の最小の単位が家族と私は考えている。
この家族の中で、確り処理をする。之が、家族以外に迷惑を掛けない方向だと私は考えている。
+・-・・・0と成れば、良い・・・・と私は考えているが、之が+を求め過ぎると、引く側に成る、-側の人が、居なければと言う考えも算術だと出て来る。
しかし、先に書いた、人の一生は・・・+の時期も有るが、-の時も有る。之を、理解もしないで、今・現状は、自分は+側に作用している。-の人が居なければ・・・・もっと、+側に数字が増える。
結局は、この価値観が、家族の崩壊に向かう・・・・・・-を場外する方向・・・家族で処理できなければ、次は一家や一族に成る。
当然、この部分も価値観が、先の様な方向性なら、当然、一家や一族からも、除外される。
次は、地域社会に成る・・・・此処もお無い価値観なら、当然、除外される。
最後は、国家と言う括りに成る。
この考えなら、国家・国には-側を押し付ける・この流れが正しいと成れば・・・・国は-を処理する為のものと言う考えに成る。
逆の考えで、+を押し付ける場所が国と言う考えも有っても良いと私は考えている。
この部分も人の本性部分の、損得勘定で勝手に思い込んでいるが・・・・国とは、国民が主体者と言う事なら、-を国民が背負う事に成ると言う事に成る。
嫌だと、全ての集団から除外方向にされた、-は最後は、国と思っているが、そのまま戻って来ると言う事に成る。
勿論、-の国民全体への分配に成るが・・・・
よく、世間的には国の富の分配論争が有るが・・・逆の部分、負の分配論争も同じ位、有っても良いと私は考えている。
今は、地域社会も崩壊に向かって居ると言われている。之が続けば、当然、国の崩壊に向かう・・・
国が崩壊すれば、当然、他国に迷惑を掛ける事に成る。
隣組と同じで、お隣さんの問題を何故、我家がと思う人が多い・・・・勿論、この思いを出せる事は、我家は確りと、+・-・・0を保っている事が前提に成る。
その次が、先に書いた、家族や一族・親族等々の順序が有ると考える。しかし、この部分が崩壊していれば、当然、地域社会に成るし、この集団も崩壊しているなら、国に成る。
何故、私が・・・・と思える事は、-を背負いたくないと言う、命が有るから、しかし、何度も書くように、人の一生は「生老病死」マイナスの時期が有ると言う事が、解っているなら・・・又、感じ方も変わると私は考えている。
マイナスの時期に-を背負う、之はキツイし共倒れの可能性が高い・・・出来れば、+と時期に背負う方が、私は良いと考えている。
この様な価値観が、結果的に、大きな国家間の問題に成り、争いに成って、最後は滅びる方向に成る。
何度か書いているが、一番幸せな環境は、将来に向けて期待が出来・展望が出来る状態を続ける事だと私は考えている。
間違っても+の足し算で、大きな数字にする事で無い・・・・
-を背負う、当然、この状態では????と思う・・・力が無ければ、力を付ける方向を模索する。この挑戦が結果的に、将来への夢や期待を増幅していく・・・之が幸せだと私は考えている。
何もしたくない、だから-を背負いたくない、増して今の-も降ろしたい、之を模索する、生き方は、同じ将来への、展望や期待は有っても、現実には思う通りには叶わない・・・その都度、-が側にいたからと憎み・恨む生き方に成る。
-を背負った、生き方は、思う通りの成らない、之が普通・・・その為に、将来への期待も低く成る。低くて当然と成れば、若し、イメージより良ければ、背負って居る人に感謝の念が出て来る。
私は、感謝できる生き方が幸せだと考えている。
一番の間違いは、人と比較して・・・上下感や損得勘定で勝っている・・・之が幸せと思って居る人は不幸だと考えている。
現代は、自分の力・・・之を見せて、評価してもらう、この評価が高い、之が幸せの基準だと考えている。
結局はこの部分に対しては無理をする。分以上の見栄を張る・・・1プラスだが・・・表面的に10+と見せようとする・・・・之で、評価され、貴方は厳しい判定で8+と成る・・・当然、周りは見える部分を信用する。8+の人だから当然、之くらいの事は出来る、又、背負えると勝手に思う・・・5-と背負っても余裕が有る筈だと考える。
この周りの期待に答える、之も人眼を気にする生き方の人は大事だし、無理をする。
現実は、4-に成っているが・・・当然、手を貸すと言う人は出てこない。
この状態で、破綻すれば、結果的に、気付かなかった、周りの責任と、恨みが出て来る。
私は、家単位で考えている・・・・その為に、家は-と考えているし、現実である。これを+・-・・・0に成る様に、私自身は頑張っている。
しかし、力不足で、マイナスのまま・・・・之も、世間に見せているので・・・回り方手を差し伸べて頂く・・・・その都度に、力不足を再認識するし、当然、好意に対して感謝する方向に成る。
私は、世間には、一流や優秀な人が、多いと、耳に入ると書いて来た。
この事は、当然、各自、最小単位の集団は違うが、個人・家・親族・一族・・・・どの単位で又属している等々で違うが・・・・その中で、一流と言うなら、当然、プラス側に大きく数字が有る人だと思うし、スペックと等も当然、良いと成る。
之が意味する事は、多々のプラスの大きな数字が有るなら・・・大きなマイナスも許容できると言う事に成る。
見栄での数字なら、当然、小さなマイナスで破綻に成る。
この方向に進めば、当然、手を差し伸べない、小さなマイナス・・・この方向への責任転換に向かす・・・・可哀そうな、価値観だと私は考えている。
力が無いから、小さな単位の家族さえ、守る事が出来ない・・・之が私の現実に成る。
他の家族は、現代的価値観を強く持っている・・・それを守る、大変である。
家族を見ていて、最初に書いた、利己主義でないと本人達は言うが、現実には、負他主義が確りと見えている。
口では、人の為、仲間の為、等々言っているし、之を利他主義と言っているが・・・負己主義には絶対に見えない。
負と苦から逃げようとする、命が、透けて見える。
之が、我家の現実に成る・・・・若し、この流れが、社会の風潮なら、社会も同じで、負と苦から逃げる、又、この方向に長けてる人が、若し、優秀と言うなら、怖い世界だと私は考えている。
人間味や男気等々、無い世界に成る。
この集団が国家を創っているとするなら、当然、国家間で、負や苦の押しつけが始まる。
耳障りの良い、言葉だと、利や楽を求める、又強く求める、之が、正しい考えと成って行く・・・
小さな単位の家族も同じに成れば、負が有る・苦が必要に成る、人は、当然、排除される方向に成る。
怖い、ファシズムに近い・・・・
人も生きると言う事は、何かを消費して生きている。
無限の消費が続くなら、当然、その材料に成るのも、無限に有るか???・・無ければ、作り出しているか???作り出す為にも消費は続いている。
先のブログに、人の、価値観・・・・・利己主義・負他主義・・・・・又は利他主義・負己主義・・を書いたが・・・・
何度が、書いている様に、生きる事は消費をして生産をする。之を繰り返して、生産を利と考えれば・・・消費以上に生産が高い、之が、利に繋がる。
逆に、消費以上に生産が低いと、負が発生する。
仮に、利を+と考え、負を-と考えれば、私は最後は0に成ると考えている。
人の一生を見て、一人が、乳幼児から高齢者に向かっている。
乳幼児は孤独では生きれない・・・・この事は-に成る。高齢者も同じで-に成る・・・・
人の一生で、+の作用が出来る時期も有るが・・・・-の時は、人様の手が居る時代に成る。
その為に、他人様が必要に成る・・・・この人の最小の単位が家族と私は考えている。
この家族の中で、確り処理をする。之が、家族以外に迷惑を掛けない方向だと私は考えている。
+・-・・・0と成れば、良い・・・・と私は考えているが、之が+を求め過ぎると、引く側に成る、-側の人が、居なければと言う考えも算術だと出て来る。
しかし、先に書いた、人の一生は・・・+の時期も有るが、-の時も有る。之を、理解もしないで、今・現状は、自分は+側に作用している。-の人が居なければ・・・・もっと、+側に数字が増える。
結局は、この価値観が、家族の崩壊に向かう・・・・・・-を場外する方向・・・家族で処理できなければ、次は一家や一族に成る。
当然、この部分も価値観が、先の様な方向性なら、当然、一家や一族からも、除外される。
次は、地域社会に成る・・・・此処もお無い価値観なら、当然、除外される。
最後は、国家と言う括りに成る。
この考えなら、国家・国には-側を押し付ける・この流れが正しいと成れば・・・・国は-を処理する為のものと言う考えに成る。
逆の考えで、+を押し付ける場所が国と言う考えも有っても良いと私は考えている。
この部分も人の本性部分の、損得勘定で勝手に思い込んでいるが・・・・国とは、国民が主体者と言う事なら、-を国民が背負う事に成ると言う事に成る。
嫌だと、全ての集団から除外方向にされた、-は最後は、国と思っているが、そのまま戻って来ると言う事に成る。
勿論、-の国民全体への分配に成るが・・・・
よく、世間的には国の富の分配論争が有るが・・・逆の部分、負の分配論争も同じ位、有っても良いと私は考えている。
今は、地域社会も崩壊に向かって居ると言われている。之が続けば、当然、国の崩壊に向かう・・・
国が崩壊すれば、当然、他国に迷惑を掛ける事に成る。
隣組と同じで、お隣さんの問題を何故、我家がと思う人が多い・・・・勿論、この思いを出せる事は、我家は確りと、+・-・・0を保っている事が前提に成る。
その次が、先に書いた、家族や一族・親族等々の順序が有ると考える。しかし、この部分が崩壊していれば、当然、地域社会に成るし、この集団も崩壊しているなら、国に成る。
何故、私が・・・・と思える事は、-を背負いたくないと言う、命が有るから、しかし、何度も書くように、人の一生は「生老病死」マイナスの時期が有ると言う事が、解っているなら・・・又、感じ方も変わると私は考えている。
マイナスの時期に-を背負う、之はキツイし共倒れの可能性が高い・・・出来れば、+と時期に背負う方が、私は良いと考えている。
この様な価値観が、結果的に、大きな国家間の問題に成り、争いに成って、最後は滅びる方向に成る。
何度か書いているが、一番幸せな環境は、将来に向けて期待が出来・展望が出来る状態を続ける事だと私は考えている。
間違っても+の足し算で、大きな数字にする事で無い・・・・
-を背負う、当然、この状態では????と思う・・・力が無ければ、力を付ける方向を模索する。この挑戦が結果的に、将来への夢や期待を増幅していく・・・之が幸せだと私は考えている。
何もしたくない、だから-を背負いたくない、増して今の-も降ろしたい、之を模索する、生き方は、同じ将来への、展望や期待は有っても、現実には思う通りには叶わない・・・その都度、-が側にいたからと憎み・恨む生き方に成る。
-を背負った、生き方は、思う通りの成らない、之が普通・・・その為に、将来への期待も低く成る。低くて当然と成れば、若し、イメージより良ければ、背負って居る人に感謝の念が出て来る。
私は、感謝できる生き方が幸せだと考えている。
一番の間違いは、人と比較して・・・上下感や損得勘定で勝っている・・・之が幸せと思って居る人は不幸だと考えている。
現代は、自分の力・・・之を見せて、評価してもらう、この評価が高い、之が幸せの基準だと考えている。
結局はこの部分に対しては無理をする。分以上の見栄を張る・・・1プラスだが・・・表面的に10+と見せようとする・・・・之で、評価され、貴方は厳しい判定で8+と成る・・・当然、周りは見える部分を信用する。8+の人だから当然、之くらいの事は出来る、又、背負えると勝手に思う・・・5-と背負っても余裕が有る筈だと考える。
この周りの期待に答える、之も人眼を気にする生き方の人は大事だし、無理をする。
現実は、4-に成っているが・・・当然、手を貸すと言う人は出てこない。
この状態で、破綻すれば、結果的に、気付かなかった、周りの責任と、恨みが出て来る。
私は、家単位で考えている・・・・その為に、家は-と考えているし、現実である。これを+・-・・・0に成る様に、私自身は頑張っている。
しかし、力不足で、マイナスのまま・・・・之も、世間に見せているので・・・回り方手を差し伸べて頂く・・・・その都度に、力不足を再認識するし、当然、好意に対して感謝する方向に成る。
私は、世間には、一流や優秀な人が、多いと、耳に入ると書いて来た。
この事は、当然、各自、最小単位の集団は違うが、個人・家・親族・一族・・・・どの単位で又属している等々で違うが・・・・その中で、一流と言うなら、当然、プラス側に大きく数字が有る人だと思うし、スペックと等も当然、良いと成る。
之が意味する事は、多々のプラスの大きな数字が有るなら・・・大きなマイナスも許容できると言う事に成る。
見栄での数字なら、当然、小さなマイナスで破綻に成る。
この方向に進めば、当然、手を差し伸べない、小さなマイナス・・・この方向への責任転換に向かす・・・・可哀そうな、価値観だと私は考えている。
力が無いから、小さな単位の家族さえ、守る事が出来ない・・・之が私の現実に成る。
他の家族は、現代的価値観を強く持っている・・・それを守る、大変である。
家族を見ていて、最初に書いた、利己主義でないと本人達は言うが、現実には、負他主義が確りと見えている。
口では、人の為、仲間の為、等々言っているし、之を利他主義と言っているが・・・負己主義には絶対に見えない。
負と苦から逃げようとする、命が、透けて見える。
之が、我家の現実に成る・・・・若し、この流れが、社会の風潮なら、社会も同じで、負と苦から逃げる、又、この方向に長けてる人が、若し、優秀と言うなら、怖い世界だと私は考えている。
人間味や男気等々、無い世界に成る。
この集団が国家を創っているとするなら、当然、国家間で、負や苦の押しつけが始まる。
耳障りの良い、言葉だと、利や楽を求める、又強く求める、之が、正しい考えと成って行く・・・
小さな単位の家族も同じに成れば、負が有る・苦が必要に成る、人は、当然、排除される方向に成る。
怖い、ファシズムに近い・・・・
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