2016年4月18日月曜日

孫・・・

最近、よく次男夫婦が来ている・・・・

昨日も、来ていたし、その前も来ていた・・・

よく、と言うより毎日に近い・・・・・食費の節約なのか、我家で夕食を食べて帰っている・・・

しかし、次男夫婦は、私の眼中に無い・・・・・

目は、孫の方へ自ずと向うし・・・・・孫とじゃれて、遊んで要る時が一番、気が休まる・・・・

目に入れても痛くないと、言われる孫・・・・・・・・可愛い・・・

孫の顔を見ると、私の場合、何か男としての責任が肩から取れた感じがした記憶が有る・・・・・・・・

長男として、家系を守る、この義務が有るが、孫を見た瞬間に、重い義務が肩から無くなった感じがした・・・・

今後、彼の世という世界が有るなら、行った時に、先祖に確り報告できる・・・・

先祖から仰せられている・・・・一番大事な使命の、子孫、繁栄・・・・この一部でも適えて彼の世に行けるなら本望だと思います。

この部分を失くせば、自分の欲だけを求めて生きる、この生き方は自分で終る、子孫の繁栄等無ければ、子孫に対して真剣に考えない・・・この部分を感が得られなければ、逆に先祖の事も考えていない・・・・自己完結の世界に成る・・・・・

この基本を無視すれば、楽だと思う場合も有るが、楽すれば、損もしていることにんる・・・・


生きた証、之は後継者を創らなければ、意味が無い・・・・・・直に忘れ去られる・・・

個人情報法の壁・・・・

納骨堂加入、依頼の件で・・・・色々思案している・・・

加入者からの情報で、解る部分は・・・・この地域に先祖が居た事・・・勿論、国土調査で地権者としての権利が有ると通知が行っている以上・・・・納骨堂に先祖が係わっている事は解る・・・

しかし、祖祖父・・・三世代前の話に成るし、祖父の兄弟が、3人で・・・全て子供が3人、その子が子が3人と成ると生きれ居られれば39人に成ると思う・・・この人達全員が、一区画の地権者になるし、現実はこれも色々で解らない・・・

本来は、同じ姓を名乗って有る・・・家が、我が地域に数件ある・・・・その家と何らかの血縁が有ると思うが・・・・之を教えるわけにも行かない・・・・

本来は、本家等々、血筋の流れ、家系図等々を習っていれば、解る部分だが、現代はこの様な事を教わる事が、無くなって来ている・・・

今回の依頼の件も、嫁に出た、姪に当たる人が、オジの遺骨を預かって有る・・・・・
色んな理由が有って、この形に成ったと思う・・・・

今まで、葬儀等で、親族が誰も来ない、という葬儀も過去、過去、市の民生が動いて、有ったが、その際も、最後の遺骨は、親族に、渡す方向に、市は親族に連絡して、渡す・・・・勿論、親族なので、姪が受け取る場合も出て来る・・・

若し、この流れなら、親族間でのトラブルが有る可能性も有る、この部分も解らない・・・・

地元に居られる、本家筋の所からの依頼なら、直にOKに成ると思うが・・・

流れが、逆・・・・・しかし、この逆が、今の法律的、観点から行けば、当事者がどするかに成るし、その方法も、直接に依頼に成るのも解る・・・・

我々、世代は、何事も順序と習っている・・・・順序を考えずに、前に出る事は出来ない・・・若し、依頼・意見等々が有れば、順序をたどって、言える順序の人に頼む事になる・・・

依頼者も、大変なお荷物を預かって有ると思う・・・・しかし、たどる、順序が解らないで居られる・・・・聞ける、父母や伯父・伯母も歳を取れば、記憶も曖昧に成る・・・・・

この問題は、誰しも親が居るなら、必ず起きる事・・・・・亡くなれば、必ず遺骨になる・・・この遺骨を誰が受け取るかが、最初の思案・・・・

核家族化が進んでいる現代・・・・若し、嫁っている立場の娘が遺骨を受け取る場合も出て来る・・・
勿論、お墓等々簡単に買える経済力が有れば、何の心配も要らないが・・・

別の性の他人に当たる人を、嫁り先の墓に入れる事は基本他の親族の反対で出来ない筈・・・・

墓に入れる事が出来ない、遺骨が増える事に成る・・・・

父母が生前の時に、墓等々も確り、考えていて購入等していれば良いが・・・・本来は、墓は残った子孫が造るものと考えている人も多い・・・・・

最近は、家族単位でも個人主義が強くなり、バラバラ・・・・・この流れなら、親族等々の方は、全く意識もしてないと思う・・・・この状態で、三世代さかのぼる・・・難しいと私は考えている・・・

この様な事を、普段考えない・・・・今回、考える立場に成り、色々考えている・・・・

本来の遺骨の意味、之も勉強したい・・・・・



納骨堂・加入・・・・難しい壁・・・

納骨堂に、加入したいと言う方から、今日は直接電話が有った・・・・・

叔父の遺骨を納骨したいとの事・・・・・

去年の、国土調査で・・・全ての地権者の子孫に、行政から書類が行った事で、この様なことに成ったと思う・・・・・又、先のブログにも書いているが、地権者という人達が他の地域から来られて、この応対も去年は大変だったと、聞いている・・・・

しかし、この件で、大きく分けて、3つのタイプが有る様だ、多いのは我関せずのタイプ・・・・後は、権利が有ればお金というタイプ・・・・・後一つが、権利が有れば、納骨堂に入りたいタイプ・・・

今回は、最後の、納骨堂に入りたいになる・・・・

入りたい気持は、電話でお聞きして、解る・・・・・私が察するに、叔父の遺骨・・・その遺骨を姪が預かっている、勿論、姓も違う・・・家が違う事に成る・・・

家督制度の流れでは、嫁に出た人は、家督の見地から見れば、他人になる、叔父の遺骨を嫁った先の、家で管理等々は本来有りえ無い・・・・

流れとしては、本家が引き取るかに成る・・・・家督の流れで、姓(家)が同じ、方向に成ると言うのか田舎の昔の考え・・・

妹の件でも書いているが、夫が亡くなり、本来は、次男、新に墓を作ることが当然だと、妹は其れをしなかった・・・・結果として、本家が遺骨を預かり、本家の墓に埋葬した・・・・最終的には、妹が入る墓は、別となる可能性が高い・・・・

しかし、現代では、家制度等が、崩壊して、今の新しい法律で動いている、地権者の権利が少しでも有れば・・・・この様な考えになるのも解る・・・・

私が、依頼者の立場だったら、嫁いだ先とは他人になる叔父の遺骨を預かってしまった・・この処理に悩んでいると思う、勿論、親達、兄弟での立場も有るし、その上の、祖父達、兄弟の立場も出て来る・・・・本来は祖先に向って行く部分だが、今の法律では、下に向って来る・・・が・・・この流れも教わっていない、又は、親族間の交流が少なければ、解らない状態で預かる事になる・・・

勿論、下に流す事も大事、子孫が各家庭を創り、家を作っていく・・・この流れなら良いが、今は個人に成り過ぎている・・・・親族が、結婚・世帯を持つように、口うるさく言うのもこの流れが有る為だと私は考えている・・・・


考えて見れば、私は、長男として育てられた、その為に、家の単位を確り教え込まれている・・・・親族等々の順序も確り、解っているつもりである・・・・

若しこの部分を知らないなら・・・叔父・伯父の違いも解らない・叔母・伯母の違いも解らなくなる・・・文字が存在するという事は、色んな部分で、オジと言う立場も色々有る事を理解する事だと考えている・・・

家が単位の為に、姓を告ぐと思われる、男の子を求める、習慣が有る・・・・

しかし、この部分を強く書くと、女性差別等々が出てくるので、書き難いが、昔の流れも尊重しないと、事が進まなくなる・・・・

今回の依頼を、役員会議にかけて、許可が出来るか????私は難しいと考えている・・・

役員の殆どが、家督制度が根本に有る人・・・勿論、この考えが有るので、確り、墓守・地域守をして有るし、当然と思っておられる・・・・

地元の姓で無い、之でも問題に成る・・・・・増して、墓守等々が出来ない、之は可也のハードル・・・・・

地元に残っている人達は、親守・地域守・墓守を、続けて来られた人達、この人達から見れば、都会に行った人達は、この責任部分を放棄したとしか見えていないかもしれない・・・

難しい問題・・・・・

現状を続ければ、納骨堂もお世話する人が減りつづける・・・・しかし、無理して増やしても、地域社会の有り方が変る訳でもない・・・・・結局は最終的に、無縁墓地化する可能性が有るが、それを望んでいるのかもしれない・・・・・これが、嫌なら、新たな墓地を作る事に成る・・・

母が墓苑に入っているが、意味が少し解った感じがする・・・・







九州人の気質・・・

九州人の気質・・・「熱し易く、冷め易い」と言われる事が有る・・・・・

気候の良さが、人の気質に反映されている・・・・食べるこの部分だけを考えれば、冬でもどうにかなる気候・・・・その為に、備蓄等々の意識も低い・・・・

以前、保険関係の人と話したことが有るが、九州の保険加入率は他の地域に比べて低いと聞いていた・・・

災害等に強い、気質かが問われてる事になる・・・・・

水害等で、数年前、我が地域の近い市が災害に成ったが・・・・その際、色んな事を、お聞きしている・・・

風水害・・・地震とは、違う・・・・・

公共物の復旧は、早いが・・・・・・私有物の復旧は、個人の肩に大きく乗ってくる・・・その為の保険だが、保険で損した・得した等々の話が耳に入る事は、保険会社も有る意味、平等でない事に成る・・・・

大変だ・・・・・

余震・・・・

平常、一週間にとの思いもあったが、8時半に又余震を、我が地域でも強く感じた・・・

熊本から、50km/h位直線で離れているが・・・・揺れを感じる都度・・震源地は・・・と考えている・・・

私の悪い癖で、感じないと忘れてしまう・・・常時、強い意志で重い続ける之も私の場合難しい・・・・例えが正しいかは解らないが「熱さも、喉元過ぎれば」の様に、頭から直に消え去る・・・

大変な事が起きると、ブログに書き続けてきているが・・・・まさか、近県で起きるとは・・・・・

想像も出来ない、経験・知恵を超えた現象が起きる・・・・この悪い予感が・・・・・

人も自然の一部と考えれば、自然の哲理に即していないと、自然からの動きが警鐘として感じ取れる・・・・

動物と同じ様に、生きる為に、貪り、争う・・・・之の勝者が、ハーレムを創り、ボスという立場になる・・・・・・之が人としての生き方なのか、私は疑問が有る・・・・


その疑問が、自然災害が有る都度に考えさせられる・・・・・


報道で、救出作業等々が流れている・・・・災害の状況を見ていると、歳を取ったのか、何故か、涙が出て来る・・・・

自分の無力さ・・・又、積み重ねてきた歴史が、一瞬に破壊・・・・・・積み重ねる之が、大変な事がわかる歳に成ったのかとも思うが・・・・

勿論、私みたいにギリギリの生活・人生を歩んでいる場合、特に精神的ショックが強いと思う・・・

今の私には、地震の終息を、ただただ願うだけ・・・・何処に飛び火するか解らない地震に成っている怖い・・・・用心・用心・・・・・