2021年10月28日木曜日

崖っぷち・・・・・

 私の人生は、何故か波乱万丈に成るし、考え様では崖っぷちに直ぐに追い込まれる。

勿論、望んでいないが・・・三流で嫌われ者、その場から押し出される様に崖っぷちに言ってしまう、特性がある様だ・・・・

私は、平場が好きだし、安心できる、勿論、己の分も解っているつもりなので・・・今の場に留まりたいと思っているが・・・先に書いている様に、崖っぷちに何故か向かってしまう。

何度も分相応と書く意味もある。

どうせ崖っぷち人生ならと・・・狭い階段を上り続ける事も出来る、しかし、私は一人でない、背負っている人達がいる。

己の分と言う事は、私の背負われている人も、同じ様な分だと言う事にも成る。

私が崖っぷちから落ちようとすれば、当然、背負降りれば直ぐに足が地面に着く・・怖さも若干だが有るが、背から降りる勇気はそれ程必要ないと考えている。

要は、己の分の場に足を付くと言う事、その高さに居れば、当然、落下と言う事は無い・・・

しかし、狭い階段を上り続ける、当然、背負っている人は足元が遠くに離れて行く・・・背負っている人が信頼できるかと言う不安も出て来る。当然、不安を消す為に、大丈夫と言う事しか言えないし、それに対して、具体的にと言う質問が来たら、誤魔化さなければ出来ない方向にも成る。

背に乗っている立場から、考えれば、広い階段、絶対に落ちないと信じ込む方向に成る。

しかし、底が見えない高い、崖っぷちの、淵でギリギリ保っていると気付いたら、背から取り降りる事も出来ない・・・一蓮托生で何を仕出かすか解らない状態に成る場合がある。

背負っている側に責任が有るが、背負われている側にも責任が有ると言う事に成る。

しかし、この様な状態だと責任転換が始まるのは誰しも想像が出来る。

要は、誰が原因でこの様に成ったと言う・・・敵を創る事で、背中で暴れる人達を一方向に意識を向けさせることに成る。

要は、独裁者と奴隷と言う関係性に成る。

本来、階段を一段登れば、その高さに平場を創る事が大事だと私は考えている。

勿論、私にはそれだけの能力も力も無いので・・・・底辺の平場、ドブの中かも知れないが己の足でジャンプできる高さ程度で頑張っている。

それ以上の高さを求めたら、落ちた場合、怪我する・・・・勿論、老いた為に、己のジャンプ力の高さでも怪我する可能性が出て来たが。

私の息子達も、巣立ちを行う事が出来た。要は、彼達の能力で、地面に足を付けても怪我しない高さに我家が有ったからだと考えている。

欲をかき・・・分以上を短期で求めたら・・・当然、屏風と同じで、広げ過ぎれば倒れる・・・勿論、たたみし過ぎても自立できない・・・丁度良い広げた方が有るし、当然、風の向き・風の強さ、広げる場の状態等で、広げ方も変わると言う事に成る。

しかし、屏風の絵かがれている、立派な絵を見せたい欲が強いと、最終的に倒れてしまう。

己だけ倒れるなら良いが・・・背負っている人も当然、倒れ落とすと言う事に成る。

何処まで落ちるか高さの問題に成る。


先進・・・・

 先のブログの続きに成るが・・・

先進とは????・・・文字で判断すると、先に進むと言う事に成る。

簡単な様だが、之が出来ると言う事には色んな意味がある。

今を無い物として、前に進む・・・戦争に例えると・・・歩兵を前へ前へと単純に進める事も可能であるが・・・・前に進んだ・・その間の部分は????・・・若し無いものとすれば・・歩兵を先に進めて、目的地に着いたが・・・その進んだ後は・・何の変化も無い、簡単に書けば、敵兵で埋め尽くされていると言う事にも成る。

当然、物資の補給も出来ない・・・目的地の壁に阻まれ、進む事も出来ない、進んできた後には敵兵が、山の様に居る・・・・之を先進性が有るとは私は言わないと思う。

要は、勝つ方向は、先に進む事と信じた結果の、哀れな姿と言う事に成る。

何度が書いているが、物を得ると言う事は、保守管理・これが伴わなければ、維持が出来ない、一瞬は手に打ちに有るが・・・時間が経てば無くなると言う事・・・

私が思う、先進とは・・徹して今の場を守り抜くと言う思いの人が居るから、進むことが出来ると私は考えている。

人は、移動する・動く・・・何かが起きた場合、この場を徹して守り抜くと言う人が居なければ、先に進む人も送り出せないと成る。

勿論、レベル・立場等は関係ない・・・私は三流だし、当然力は無い・・・しかし、徹して守らなければと言う思いは有る。思いが有っても力が無ければ、意味が無いと言う人も居るが、逆に力が有っても、この思いが無い人なら・・・守り手として失格と言う事に成る。

之も、何度も書くが、人は一人では生きられない、集団の中で生かされている。

当然、持ち場が有るし、神輿に乗る人も居る・・・又は、徹して下働きを行う人も居る・・・このバランスが取れている状態が、先進性が有ると私は考えている。

しかし、現代は、個として物事を考えている。個として両方が出来るか???当然、生きる場の集団の中でと成る。

又、集団全体での損得勘定より、個としての損得勘定が優先されるようになって来た。

要は、先進性が無くなっていると言う事・・・・・

今以上・己の欲を叶えたいと言う、欲に溺れた人だけに成れば、当然、それは発展途上と思っている事にも成る。

今のこの場、環境を守ると言う人が居るから、その先を目指せる立場が出て来る。

要は、先に進むと言う事は 持ち場が増え続ける・・・その場に、即した人が厳然と育って死守いる、之が出来ている時が先進性が有ると言う事だと私は、考えている。

しかし、死守する人を見て、バカ・アホ・・・最終的に損と言う、価値観が根差して来たら発展途上という意識が強い・これは後進性を加速させる事にも成る。

この場を守り抜く・死守すると言う思いが、結果的に、先進性を可能にするし、足元を固め、堅固な楼閣を創る事にも成る。

息子達が今の状態は、砂上の楼閣と言う自覚が無い・・・勿論、頼れる別の家が有るから可能になる。

若し、我家が頼れないと成れば、先ずは不満が出ると思う、己が問題とは気付かないと思う。この状態は幼い子供と同じと言う事・・・発展途上と言う事にも成る。

小さな集団・家をみる事でも、国間の問題、世界問題にも通じる事にも成る。

要は、問題は足元に有る・・・之に気付くか、之を問われている息子達と言う事にも成る。

母が言っていた、一人前の男とは、「子守・親守・家族守・親族守・地域守・・・・最後に墓守が有って、それが出来て己の我欲の目的に走る事」と言っていたが、私は息子にもこれを言いたいと考えている。

優先順位で我欲を叶える、之しかないなら、幼子と同じと言う事に成る。




長男が・・・・・

 昨晩・・・AM3時に長男が来訪・・・・昨晩は、四男は勿論、次男も来訪していた。

人の気配を感じ、目を覚ますと・・・長男が立っていた・・・・

何故????錯覚????一瞬、解らなかったが・・・・長男が頭が痛く、薬と言っている。

彼も、私と同じで、蓄膿症を患っている。

私の場合、三十代で・・・頭が割れそうに痛い・・・目玉を抉り出したいと言う衝動も出ていた。バタ狂いするほど・・・先ずは、歯を疑って、歯科へ、問題ない・・・次に脳神経外科へ問題ない・・・色んな、病院を回ったが、原因不明・・・・最後に行き付けの整骨医院に最後の願いで伺うと、耳鼻科に行けと言われ、蓄膿の疑いが有ると言われた。

耳鼻科に行き、鼻の中を洗浄してもらうと、頭が一気に快晴に成ったと思える変化・・・今までは曇り状態が普通で、悪化すると、台風の様な大暴れを起こしていた。

抗生剤を頂き・・・それで、嘘の様に治ったと言うより、解消できた。季節替わりに病状が悪化する。その為に、年に二度ほど私は、耳鼻科に通い続けていた。

しかし、最近は、歯が無くなり、痛みは殆ど無くなった・・・勿論、鼻の調子は悪いが、痛みが無い分、放置しても問題が少ない・・・

長男も私と同じと思うが・・・・耳鼻科に行けと言っても、恥ずかしいのか、中々、指示に従わなかったが、数年前に痛みに負けて、耳鼻科に行って、私と同じ、蓄膿症と診断された。

私と同じんら、上の歯が口腔内に根が出ていて、其処に蓄膿が刺激を与える・当然、上の歯の全てが同時に悼むと言う流れに成る。

私の場合、奥歯がこの状態だったので・・・・一本の歯が痛んでも大変なのに、全ての歯がと成れば、想像を絶する痛みと成る。

ある耳鼻科の先生から、頭痛持ちの中の大多数が、耳鼻科で治る可能性が高いと言われていた・・・脳は痛みを感じない・・・要は、頭の大部分に口腔が有るので・・・その部分に膿が溜れば、当然、痛みを感じる場合も出て来る。

嫁も、頭痛持ち、色んな医院に伺っても、問題は無い、原因不明と言われている。その都度に、蓄膿だからを私が言うが、絶対に耳鼻科に行こうとはしない・・・

病にも差別を持っているように感じる。奇麗な病と汚い病と言う、区別・・・

蓄膿症は、汚い病と思っている様だ・・・・

話は逸れたが・・・・長男、他の息子達も言えるが・・・・何か有れば、我家に集まってくる。要は、一国一城の主と成っているが・・・・まさか・いざ・この状態の対応が、出来ない、家と言う事・・・・・・国に例えると、発展途上国と言う事に成る。見える部分のインフラは整えるが・・・この様に見えない部分は、放置する。

先進国とは、見掛けと言う部分より、自立できているか????これが大事に成る。

要は、他国に寄生したり、援助してもらえる事を当然と思っている、これを発展途上国と私は思っている。

家も同じで、全て、家内で完結できる・・・之が本来の一国と言う考えに成る。

このれが出来なければ、其処に立つ、一城は、当然、足元だけでは保たれない・・・又、その城の主も、同じに成る。

見掛けは、三流で貧乏な家に見えるが・・・解りの家から頼られていると言う事は、先進国と言う事にも成る。

逆に見掛けは奇麗だから、何か有ったら、田の家・他の人に依存するしか無いと言う家は、発展途上国と言う事にも成る。

要は、以前体質が有れば、発展途上と言う事・・・・家も同じであるし、人も同じである。

人も、自己完結できる。家も自己完結できる・・・当然、国も自己完結できると言う事に成る。

日本国も、発展途上国方向に、息子達を見ると、進んでいると言う感覚が私には有る。

理由は、見掛け重視で、しこ完結出来ない、家の有り方に成っている。

要は、一国一城の主・・・この捉え方の変化だと私は考えている。