私の人生は、何故か波乱万丈に成るし、考え様では崖っぷちに直ぐに追い込まれる。
勿論、望んでいないが・・・三流で嫌われ者、その場から押し出される様に崖っぷちに言ってしまう、特性がある様だ・・・・
私は、平場が好きだし、安心できる、勿論、己の分も解っているつもりなので・・・今の場に留まりたいと思っているが・・・先に書いている様に、崖っぷちに何故か向かってしまう。
何度も分相応と書く意味もある。
どうせ崖っぷち人生ならと・・・狭い階段を上り続ける事も出来る、しかし、私は一人でない、背負っている人達がいる。
己の分と言う事は、私の背負われている人も、同じ様な分だと言う事にも成る。
私が崖っぷちから落ちようとすれば、当然、背負降りれば直ぐに足が地面に着く・・怖さも若干だが有るが、背から降りる勇気はそれ程必要ないと考えている。
要は、己の分の場に足を付くと言う事、その高さに居れば、当然、落下と言う事は無い・・・
しかし、狭い階段を上り続ける、当然、背負っている人は足元が遠くに離れて行く・・・背負っている人が信頼できるかと言う不安も出て来る。当然、不安を消す為に、大丈夫と言う事しか言えないし、それに対して、具体的にと言う質問が来たら、誤魔化さなければ出来ない方向にも成る。
背に乗っている立場から、考えれば、広い階段、絶対に落ちないと信じ込む方向に成る。
しかし、底が見えない高い、崖っぷちの、淵でギリギリ保っていると気付いたら、背から取り降りる事も出来ない・・・一蓮托生で何を仕出かすか解らない状態に成る場合がある。
背負っている側に責任が有るが、背負われている側にも責任が有ると言う事に成る。
しかし、この様な状態だと責任転換が始まるのは誰しも想像が出来る。
要は、誰が原因でこの様に成ったと言う・・・敵を創る事で、背中で暴れる人達を一方向に意識を向けさせることに成る。
要は、独裁者と奴隷と言う関係性に成る。
本来、階段を一段登れば、その高さに平場を創る事が大事だと私は考えている。
勿論、私にはそれだけの能力も力も無いので・・・・底辺の平場、ドブの中かも知れないが己の足でジャンプできる高さ程度で頑張っている。
それ以上の高さを求めたら、落ちた場合、怪我する・・・・勿論、老いた為に、己のジャンプ力の高さでも怪我する可能性が出て来たが。
私の息子達も、巣立ちを行う事が出来た。要は、彼達の能力で、地面に足を付けても怪我しない高さに我家が有ったからだと考えている。
欲をかき・・・分以上を短期で求めたら・・・当然、屏風と同じで、広げ過ぎれば倒れる・・・勿論、たたみし過ぎても自立できない・・・丁度良い広げた方が有るし、当然、風の向き・風の強さ、広げる場の状態等で、広げ方も変わると言う事に成る。
しかし、屏風の絵かがれている、立派な絵を見せたい欲が強いと、最終的に倒れてしまう。
己だけ倒れるなら良いが・・・背負っている人も当然、倒れ落とすと言う事に成る。
何処まで落ちるか高さの問題に成る。