場(環境)の考え方・・・・
日本でのキリスト教布教が難しかったのが、この場の捉え方の違いに成る。
農民に布教しても、幸せの捉え方も違う・・・要は、一神教に多い価値観、天国の様な環境に行ける・・・これに魅力を感じなかったと言う事・・・
理由は、今の場、又、共に暮らす全てのものが、有るから、己が有ると言う価値観、又、死んだ先祖も含みに成る。
結果、己だけ幸福・幸せに成ると言われても興味を持たなかったとの事・・・
考え様だと全体主義と言う事に成る。結果、布教は個人から組織・集団に向かいだす・・・
今回、何故書くか????・・・今の現状をどうするか???・・・二極しかない・・・留まり改善すると頑張るか・・・・又は、別の環境を求めるかに成る。
大きな事を書くようだが、亡国の価値観、別の環境を求める価値観・・・
人を留ま世る為には、人々の興味・利益を与えなければ留まってくれない・・・この様に成れば、唯物的な利を与える処に留まると成る。
国で考えれば、大国で、各自勝手に楽しめる様に見える国に人が集まりだすと言う事に成る。
貧乏で毎日が苦痛・喧嘩の家族より・・・他の家族の方が良いと思えて、そこへ入る事が出来れば、理想と思う人さえ出て来る。
この様な価値観が蔓延すれば、誰も家庭を持ちたいとは思わないし、持つ為には、このレベルと言う基準まで出て来る。
それに当ては成らなければ、家庭を持つことも出来ない・・今は、これが言い訳に成っているだけで、本年は面倒で利が無いからと成る。
要は、己の心の損得勘定で、事を判断する・・この様な価値観に成っているなら、唯物的に色んな補填を与えても、逆にその補填以上の面倒が有ると成るし、その様に理解するので、補填も意味が無くなる。
簡単に書けば、満腹なのに、弁当が半額でも欲ししとは思わないのと同じ・・・
人は己の面を良く見せたいと、私の場合だと、本音の鬼畜の命を見せたくないと成る。結果、本当の理由は、面倒で嫌・・・しかし、体面的に恥と思うので、解りやすく、経済的に、時間が無い等々、言いだす。
当然、対策は、経済的、補填・時間的補填に向かうが、本質を付いていないので、意味を持たない事に成る。勿論、一部の人には良い施しと成る・・・
何度も書いているが生物には「生老病死」が有る。これを避ける事は出来ない・・・要は、受け入れると言う事・・・
受け入れれば、当然、己の寿命が何時までか???・・・希望の歳が出て来る。そこ迄、生きると言う前提で、生物・人間として言動していくか???と成る。要は、生きて行くか???
当然、生物として、子孫を残す・・これを生物の責務と捉えたら・・・何歳で、子育てを始めるかに成る。
以前も書いているが、今は少子化の時代・・・結果、両親二人に、一人の子供と言うパターンも多い・・・多いと言う事は、結婚相手も、一人っ子の可能性が高くなる。これも加味するのが、現実を見ていると言う事に成る。要は、両親が、4人居る事に成る、新婚カップルに、子供を作る前に、この四人の介護が今後発生すると言う事に成る。
その為に、親の年齢も考えて、何時、子育てするか????・・・計画次第では・・・四人の高齢者の介護と、我が子の育児が、同時に発生する。
当然、子育てする余裕が無いと成るし・・・両親の面倒も看れないと成る。
理由は、簡単、育児や介護の方が、一般に言われる仕事より、能力が必要だし、時間もキリがない・・・8時間等々の基準が無い・・
24時間、働けますか???・・・この状態が、介護や子育てに成る。
要は、長時間、人様の為に時間を使う・・・・これを、どう捉えるかの価値観の問題に成るし、当然、どの様な価値観を教えているかに成る。
今、高齢に向かっている人に、高齢者施設に入れば良いと思っている人が、本音で何人いるか???・・・どの様は人から介護を受けるか???
己が人を育てた価値観で、解ると思う。何のために、介護の仕事をしているのか????高齢者の為に、身を粉にして働きたいとしている人が何人いるかは、想像すれば解る・・・・資格者・免許保有者が多々いる、カタログスペックが良い施設、本当に入所者の為の、肩書なのか????
現代の肩書は己の為にと成っている事は、人生経験豊富な人なら解るはず。
人様の手を必要と思っている人は、人を見る目を持っている。頼れる人とそうでない人・・・不思議に綺麗ごとを言っている、目がキツネの様な人には近づかない・・・失敗も間違いも起こし、人間味が高い人に近づく傾向が有る。何故か????・・・結果が解っているからだと私は思う。
面白い事に、普通でない人も普通を演じたがる・・・その為に、一般に言われる、嫌われ者等に対しての対応も、一般の人と同じ、しかし、何か困った事が発生すると、何故か、頼ってくる。
誰が手を貸すか???確り見抜いているし・・その様な人は、人間味が有るので、許容力も高いと成っている。
何度が書いているが、決まった・正しい・論理的と言う、生き方をする人間は、人間味が欠ける、当然、己の損得勘定で、事を判断するし、それが絶対に成る。
要は、人間だから、失敗も間違いも起こす、しかたが無いがどうかしなければ・・・この様な考えに成らない・・・
己の価値観の範囲内で、生きれれば楽だと思う。しかし、人の中で生きている。色んな人が居るのが現実・・・己の価値観の範囲に収まらない人も多く居る、しかし、人権が有るし、人であるなら、どう捉えるかに成る。私は、しかたが無い、困っているなら、背負うしかないと考えている。
私は劣っているし、嫌われ者・・当然、現代の価値観の大多数と占めている、損得勘定、好き・嫌いでの判断なら、蔑視されるし、必要とでない人間として扱われる。この様な方向性を、優秀で一流な人の多い社会が行っている。勿論、口から吐く、言葉は人権・平等が大事と叫んでいる、叫んでいると言う事は???出来ないからに成る。出来る事は口に言う必要も無いし、自然に出来る恥ず。出来ないから、題目みたいに唱え続ける事に成る。
その人の価値観は、振舞に成る・・・・無意識な振舞いが、その人の姿を人に見せる、それを見て、どう捉えるか???これが大事、しかし、その判断を鈍らせるのに肩書が有る。
肩書の意味・・・・・大事だと思う。要は、己のスペック票に書き、人様に見せると言う事は、恥だと思っていない、逆に利に成ると思っている。勿論、誰の恥か利かは、当然、本人に成る。
誰の為の肩書か、当然、本人の為と成るので、私は興味が無い。
現代、何の為の力か????肩書か???・・・当然、己の為に成る。
この個に向かう為の部分を磨き、人にアピールする、これを信用と言う時代・・・訳が解らない・・・要は自分勝手な人と言う事、この様な人が信用が有る。不思議である。要は、体面だけの人・・・命より対面と言う人にも成る。対面の為に必死に成ると言う事にもなる。要は信用と言うより、体面の奴隷・・・結果、体面にキヅが付かないように何でもすると言う人に成る。作り上げた対面・肩書・・・守るために、間違いも失敗も許されない、若し、起こしても粉飾すると成る。
私は人間として生きている。結果、間違いも失敗も起こす事を前提にしている。結果、唯物的に縛られる世界は、生き難いと私は取れている。
周利槃特の様な、漫画、バカボンのレレレのオジサンんが目標で理想と思っている。
肩書、スペックを粉飾して迄 高く見せたい・・イヤミと言うキャラクター
人の生き死、弟を、引き上げ船の中で亡くした作家の出した答えだと漫画を見ている。
釈尊が説く・・・仏法の世界・・要は現実の社会を、色んなキャラクターで表している。どうすれば、人は苦痛から解放されるのか???問い続けた人に成る。内に籠るな・・・外に向かい、知れと成る。
死ぬ事も必然・病も必然・老いる事も必然・・当然、生きているから起きる現象・・・生きている事が苦なのか???・・幸せの筈で有るが、何故、捉えきれないのか????その理由は、老いる・病・死・・当然を悔やんでも意味が無い・・・又、生きる事に対して、苦労する、これも当然である。
苦労が無いから、責務が出来る出ない・・・どんな環境下でも責務を果たす、これが与えられた環境を乗り切る、超えたと成る。間違っても、別の環境を求める事でない。
私は、この地に生まれた、だからこの地の環境が私が生きる世界・・・勿論、生きるなら、皆が幸せに成ってもらいたいと言うより、捉えて戴きたい・・・その為に改善が使命と成っている。
各自、生きる場が違う・・・どの地を己の使命の場と捉えるかも各自の勝手と思う。しかし、一寸した事で、場を変えようとする。本当にそれが幸せに繋がるのか???私は疑問がある。