将来を信じるなら・・・・当然、担い手の育成が必要に成る。
一般的には後継者と言われる。
私の年齢に成ると、十年後、我足で歩けているか????・・・不確実性が高くなる。
当然、足と成ってくれる人が必要な時も来ると言う事・・・・その様な人を、育成しているか?????
育成していなければ、当然、自業自得に成る。
人なら、己が死ぬと言う現実は誰しも知っていると思うし、簡単にピンピンコロリという死に方が出来ない事も解っている。
要は、長病等々を続けて、死を向える、之が化率が高い、将来だと解っていることに成る。
「生老病死」の問題は・・・人なら理解している部分だと言う事に成るし、この様な事が有る事を前提に考えているから、当然、担い手と言われる後継者の育成は、義務・責任と捉える事が出来るのが、人と言う生き物だと考えている。
勿論、実子と限定した考えで無い・・・・
この部分が有り、信用が出来るなら、当然、将来も信用できると言う事にも成る。
お金が全て解決すると言う人も居る・・・私が面倒を看た、家族もその様な考えだった・・・家長の事故死が、多額のお金をもたらしたが・・・・結果、多くの寄生虫が押し寄せ・・・知らず知らずに、無一文に成るまで、吸い尽くされた。
之も現実だと言う事・・・・結果、誰も相手にしない・・・勿論、寄生虫は恩を感じていない。親族等は、寄生虫を大事にして居た人達、寄生虫に面倒を看て貰うのが筋だと言っていた。
要は、誰も居ない状態に・・・・最終的に見て見ぬ振りが出来ない、我家が面倒を看ることに成ったが・・・・
私は、この様な経験が、私に良い知恵を与えてくれたと考えている。要は、馬鹿もんが~~~と口で言うが、感謝もしている。
何度が書いているが、蘊蓄や能書きを語れる、糞爺に成るのが、私の一つの夢だった、その為には、多くの知恵が必要に成るし、当然、多々の経験も必要に成る。
人が経験した事も、その人と関係し、特に負の部分の処理等を共に行えば、その人の経験で得た知恵も、貰う事が出来る。
昔から、苦労は買ってでもせろと言われる、要は、金を出して苦労をする。
之が、人間形成に大事な部分に成ると言う事に成る。
形成の結果が、今後の私に成る。
三流で、無知・肩書も無い、要は無冠と言われる立場に成る。当然、優秀な人と違い、私が出来る部分は多くの経験に接することに成る。この部分で知恵を貰う事で、己の引き出しを増やすことに成る。
次男に電話、明日、プレゼントを取り括る、当然、孫と共に、嫁は明日が公休時、喜ぶと思う。
又、今まで、三男と四男が来訪していた。
其処に五男が、帰宅し・・・・・三人で、盛り上がっていた。
それを、見れる私は、なんと幸福物か~~~と大声を出したい状態であった。
しかし、口から出る、言葉は、馬鹿もんが~~~~・・・・・・
幸せだと思う、波乱万丈でも、幸福感を獲れる・・・・将来の危惧も、私は有るが、息子達を見ていると、信じてやりたいとも思える・・・