2020年12月25日金曜日

棚に上げる・・・

 棚に上げると言う、言葉が最近増えている。

要は、共と言う意味でない事に成る・・・・????に成られると思うが・・・人間として生き、人間と共にすごすと・・考えているなら・・・この様な棚に上げると言う、言動を極力しない方が、人間らしいと言う事にも成る。

要は、人間と言うレベルより上の棚に乗った立場で、振舞っている事を、棚に上げると言う・・・棚に上げた論調・・・之が、最近よく耳に付く

貴方は何様と思ってしまう、言動が多い事に驚く・・・特に、成長時期の人にこの傾向が強まっているように感じる。

要は、己の分以上の立場に、己を置きたいと言う、本性を出している事に成る。

本来、棚に上げると言う言葉が有るなら、棚から降ろすと言う、言葉が有っても良い・・・しかし、中々 耳にしないと言う事は、人間とは己の分以上に成りたいと言う、欲求が常時ある動物と言う事に成る。

これから考えれば、殆どの人が、己を棚に上げた言動をしていると言う事にも成る。

もっと言えば・・・己は人間でない、人間を越えた立場と思い込んでいる事成る。

それなら、何度も書く生物として厳然と有る「生老病死」も無いと思っている世界に住んで居る事にも成る。

生物で無い世界????・・・・どの様な世界なのか????各々の欲の渦巻く世界と言った方が良いと私は考えている。

その中で、頭角を現す事とは、強い欲が形に成った状態と言う事にも成る。

人心皆が己を棚に上げ、その上げた量が高い方が偉い、一流と言う方向に進んでいる可能性まで含んでいる事に成る。

分相応に生きる、難しさにも成る・・・・分相応とは動物・生物の世界なら全てが当り前の様に行っている事なのに、人間は劣っているのかとも成る。

若し、棚に上げ過ぎて、神的立場と思い込んでいる人が居るかもしれないと成る。

神に見える立場だから、当然、周りからは、凄い人・偉い人・優秀な人と、評価されている事に成るが・・・・分を越えた状態・・・粉飾でその様に見えているだけなので、何かの問題が表面化すれば、一気に、騙さた、非道な人間と、罵られる事に成るが・・・

当然、元々が、人間の道でない立場を目指していた人を、崇めていた事が、この様な結果を産んでいる事にも成る。

要は、人間としての、分相応の、振舞いとは????・・・之を考えているが、私も知らず知らずに分を越えた立場に己を置いている事に、情けなさを感じている。

現代の教育・情報は・・・分以上に生きる事を教えている・・・之が、発展を産むと思われているし、現実に文明の発展は之が基本に有った為だと思う。

しかし、人間の範疇を越える文明へと発展を続けている。

要は、一人がどう頑張っても対処できない文明と言う事・・・・仮に物を作るにも、多くの人の介在が必要だし、当然、その人との距離感も広がる方向に成っている。

これが意味する事は、共栄と言う方向だが・・・何故か各々が争っているし、俺が俺が強い、共栄で成り立っているが、共存を望んで居ないと言う事にも成る。

何故なのか、人の存在を感じないから、又、距離感が広がり過ぎた為だと私は考えている。

今が有ると言う事は、多くの人が関わって、今が有る・・・俺の物と思っていても、それを与えたのは、多くの人の力と成る。

全て俺の力で物が有るなら、物が壊れても己で対処出来るはず。しかし、出来ない・・・俺の物と思っていても、俺が管理できなものに成っている。

勿論、お金と言う力を多く持っているなら・・・新たな物を手に入れる事が出来る・・・しかし、本当の意味での俺の物とは違う・・・

要は、今と言う現状は、多くの人のお陰で有ると言う事に成るし、当然、感謝の念が出ると思うが、それが無いのが不思議と私は考えている。

人間は、人間と私は考えている。

神でも無い・・・・人間とは、六道輪廻を繰り返すとも言われる・・・之が人間なら、劣っている私は、三悪道の人間と言う事にも成る。

悪いと言う事でない・・・この場所が己に向いていると言う事にも成るので、当然と言う事にも成る。要は己が好む場所言う事に成る・・・

誰しも己が好む場所が有る・・・私は三悪道の世界を好んでいると言う事にも成る。

好む場所、住む場所ともなる・・・・各自、住む場所も違い・・・多くの違いが有るが、人間としては同じと言う事にも成る。

私は、六道輪廻と言われる、人間を楽しみたいと考えている・・・又、己が好む、三悪道の世界を、大いに享受して、この世を去りたいとも考えている。

間違っても高い立場と思える、レベルを己の住む場所とを捉えない、価値観で有りたいと考えている。

出来るだけ、分相応に生きる、この難しさに挑戦を続けたいと考えている。