2021年5月24日月曜日

優先順位・・・下降・・・

 今日も、家族からの振舞いが・・・・存在しないと言うより・・・後わしに成る私の立場・・・この部分は、若い時から変わらないが・・・・之も私にとっては良い事だと、還暦を超えてから思う様に成った。

若い時は、前へ前へと言う思いが強かった。しかし、現実のポジションは、残飯整理係が、私の持ち場に成っていたが・・・・・それを納得できない、己が居たのも事実である。

しかし、このポジションを長く続けていると、この立場も面白いし、誇れるとも思える様になる。

今後、老いが進むと思うと・・・・このポジションに誰しもなる可能性が有るし、好む・個の真内に関係なく・・・・必要性が無い、立場に成る。その中で、己で何が出来るかと考えると、今までの私のポジションが良いと考えている。

今日も、嫁を職場に送り届けた後・・・・帰る途中に有る、長男の家に伺った。

手ぶらでは、駄目だと言う思いが有るので、お菓子やジュース等の差し入れを持って、来訪した。

目的は、前回、草取りを行ったが、小さな草が残っていた。それを除草剤を使い、処理したいと言う思いで・・・


伺うと、長男が、喜んで受け取ってくれた。昼食もお金を持たされていない長男は、何を食べようかと思っていたとの事・・・・ハンバーガーを二つ、差し入れに選んでいたので、それで喜んでくれた。

又、私も、長男が、草取り後・・・・己で、小さな草を取っていた事・・・・庭の半分程度は取っていた。

彼も、己で出来る部分は、地味だが、行っていたことに、私は嬉しかった。

物を得ると言う事は、その後始末と、維持管理が問われる。

お金が有れば、お金で済む部分でも有るが・・・・お金が勿体無いと思ったり、お金が無ければ、当然、己で行う事に成る。

物を持つ、責任と義務と言う部分に成る。

物だけでなく、略全てにそれが言えると私は考えている。

40近い、長男だが・・・・少しは、年相応に近づいて来たと、私の目から見える。

物事には、汚い部分も有る。その部分も誰かが処理する必要性が有ると言う事・・・当然、お金で処理も出来るが・・・・先ずは、己で行ってみて、きつさ・汚さを知る事が大事だと私は考えている。

汚いと思っていても、それに集中し処理したいと言う思いが強く成れば、汚いと言う感覚が無くなる。

之も、経験しなければ、解らない部分である。

昔から「美人は三日で飽きる。ブスは、三日で慣れる」と言われいる。

何事も、経験、勿論、我身になる部分に成るが・・・・

立つ鳥跡を濁さず・・・・

 還暦を超え・・・・・「立つ鳥跡を濁さず」の諺が頭を過る回数が増えている。

若い時は、子育て、等々も有り・・・又、古い家督制度が私の場合、考えの基本に有ったので・・・全てに末広がりの思想が有ったと言う事・・・

しかし、子育てがほぼ済み・・・子供たちは、親元を離れる。鳥に例えると、巣立ちとなる。

家督制度の発想だと、巣を大きくしていく之が目的に成るが・・・・・・子育てで広げた巣も、子が巣立つと・・・意味を成さなくなる。

勿論、親の私も、数十年後にはこの世に居ない・・・要は、意味を成さないと言う事に成る。

要は、浮き草稼業が良いと言う方向に向かっている・・・・その現実が有るが、浮き草稼業だと、人が消耗品と言う事に向かう・・・・生きた証も無い・・・当然、証等も求めない、要は、我欲を享受できる之を望みだせば、単なる優秀な消費者・・・・良いお客様と言う事に成る。

お客????・・・・現代は買う人と成っている。要はお金を使うお客が良いお客と言う事に成る。これを目指す・・・当然、お客はお金が必要に成り、我欲が大きければ、それだけ多くのお金を求めだすことに成る。

要は、お金の奴隷と言う事に進んでいる。

私は、家の奴隷で良いと考えて生きて来た。己以外の、家族の為と言う思いが、我欲の為に生きるより、良いと言う思いが有ったからに成る。

しかし、その生き方をしていても、消費者であり、家族を守る思いで、買い続けた物が・・・・今では、負の資産と成ってしまった。

家族の為と言う、思いで、家を守る・・・しかし、子が巣立てば・・・守って居た筈の家が、負に成ると言う事・・・・

家でけでない・・・全てのものが・・・・意味をなさなく成って行っている。

大きな冷蔵庫・・・保冷庫・・等々も、家族が多く、数台あったが・・・今は、物入れに成っている。

有る芸人が「シャッターガラガラ」と店仕舞を言っているが・・・・シャッターを閉める程度では、事が済まないと言う事・・・・

広げた屏風は、たたんでしまう。広げた分、多くの作業が、しまう場合出て来る。

家も同じ・・・・たたむ準備に入る、時が来たと考えている。

商売も同じで・・・家督制度が無くなっているので、後継者不足が、有る。

理由は、己の為と言う、価値観の人が増え続けている事にも繋がる。

要は、極一部の独裁者に成るか???後は、多くの奴隷を輩出する、価値観と向かっている。

この価値観に陥ると、勝者は当然、独裁者に成り、敗者は奴隷と言う事に成る。

この理屈が強く成れば、勝者は独裁者で加害者・・・廃車は奴隷で、当然、被害者と言う理屈に成って行く。

この理屈が、現代の、平等等の論争にも入って来ている。悲しい事である。

私は、還暦を超えた・・・・終焉に向けて・・どう振舞うかが問われていると考えている。

多くの事を悩める・・感謝に成る・・・生かされている証拠とも言える。

先に逝った同窓の友は、それを悩める時間が、無かったに等しい、短い時間・・・勿論、短時間だったので、凄く苦しんだと思うが・・・それが感謝に成っていたら・・・幸せな人生だったと思える。

時間が与えられたと言う事は、多くを悩み・・・それを感謝に変える、時間も与えられたと言う事・・・・この環境に感謝と言う事にもなる。

人生を、登山に例える人が多いが・・・上る時間と、下る時間の、捉え方も大事だと思う。

勿論、己の人生の中で、何時からが、下山か???等々も、考える必要が有る。

後継者が居れば・・・作り上げた道を歩く継承も出来、もっと高い峰を目指す事も出来るが・・・現代は、居ない、高い峰・峰と進むわけにはいかない。

要は、上った山を下る、時が私は、還暦だと決めていたし、それまで寿命が有った事にも感謝に成る。

裸で生まれ、上り続けた・・・今度は、裸に向かって、下り続ける事に成る。